「新しい章に入りました」
洞口依子さんインタビュー vol.2 (2008年8月3日 都内某所にて)


洞口日和ではじめて洞口依子さんにインタビューさせていただいて(→ここ)から、
ちょうど1年後の2008年8月3日。
こうして新たにインタビューをお届けできるのはうれしいかぎりです。

このインタビューが行われたのは、渋谷のJZ Bratで「
真夏の夜の夢スペシャル」があった翌々日。
その感想をベースに、とても興味深いコメントをいろいろいただくことができました。

この日、東京は猛暑(そういえば、1年前もそうでした)。
そんな暑さを吹き飛ばすくらい、依子さんの口調はいたってフランクで、爽やかでさえありました。
重い発言もありますが、世間話の続きのように、軽やかに語る依子さんの表情は明るく、
現在の彼女の好調が窺える、自然体で前向きな内容となりました。

(以下、ブルーのコメントが洞口依子さんの発言です



★ 人前でなにかをするのは苦手でした

 JZ Bratでの「真夏の夜の夢スペシャル 」での依子さんには圧倒されました。
 終わった後、私は呆然としましてね。
 話しかけられても、「ちょっといま、一人にしてください」みたいな状態だったんですよ。

 
 
「らしいですね。聞きましたよ(笑)」
 

 
  (笑)で、こんなすごいパフォーマンスができるのに、
 なんでこの人、今まで音楽をやってこなかったのかなって、不思議に思ったんですよ。
 

 「そう? なんででしょうね。
 デビューしたのがレコード会社だったので、デモは録ったことがあるんですよ」

 
 そうだったんですか!
 
 「うん。ただ、会社側が、洞口依子は女優一本でやったほうがいいということになって。
 ちょっとショックだったんですけどね。 わたしはやっぱり音痴なんだなって。

 私は、人前で歌うのがあまり好きじゃないんですよ。
 芝居の舞台にも立ったことがなくて、生々しいのが嫌い。
 でも、音楽はべつなんだよね。
 映画でも、オペレッタ・シーンが始まるとぜんぜんちがうものになるし、
 音楽って、すごく不思議な武器なんだよね。

 でも、まさか自分が音楽をやるなんてこれっぽちも思ってなくて、
聴いてるだけでいいやと思ってるところに (石田)画伯と出会って、
ウクレレに出会って、そのうちライヴをやることにもなって。
 でも、初期のライヴはすごく緊張しちゃって。
人前で弾かなければならないのがすごくイヤだったの」

 
  ワクワクではなく、ですか?
 
 「そう。 ちっちゃいころから、教科書を読みなさいって指されただけで、
耳まで真っ赤になってたの。
 人前でなにかをするのが、とっても苦手な子。
 
それから、パイティティで回を重ねるごとに、音楽をやることの楽しさとか、
みんなで音を出す楽しさとかが わかるようになったんですよ。
 中学の頃に軽音楽部に入っていたから、みんなで合わせる楽しさは知ってたの。
 で、パイティティやるようになって、そう思ってるうちに病気になって。

 去年ぐらいからだよね、バンドサウンドになってみんなでやることが
本当に楽しいなって思えるようになったのは。
音楽をやることも、映画やドラマを撮ることも、自分がなにか去年で変わった。
 新しい章に入りました」

 
 それはやはり、『子宮会議』と関係がありますか?
 
 「うん、ありますね。
 自分に本当はなにかできるかもしれないのに、どこか自信がなくて、行動を起こすことも、
 またそれになんにも反応がなかったらとか、いろんなことをこわがっていたんだと思う。
 
それまでは、映画レヴューとかを書いたりしたことはあるけど、本はべつなんですね。
 たいへんだし、無責任ではいられないから。
 でも、(『子宮会議』を書くことによって)自信というのかな…
(考えこんで)『やるんだ!』と思ったね」
 
 楽しんじゃえ、ということとはちがいますか。
 
 「それももちろんあるけど、楽しいことをやるための労力ってたいへんじゃないですか。
 自分で何かを始めるのって、たいへんでしょう?
 でもそれをも覚悟で、『自分のやりたいことをやるんだ』って。
 それで仲間が集まって。
 
みんな同じなんだよ。自分の仕事としていること以外に、なにか楽しいことをやりたいって。
 そう思う年頃なのかもね。

 パイティティはみんなステキ。
 『真夏の夜の夢スペシャル』でわかったことがあってね。
 あの、野郎どもに囲まれて立っている私って、すごくカッコイイ!って」

 
 いまそれを言おうとしたんですよ(笑)
 
 「デイモン・ラニアンじゃないけど、『野郎どもと女たち』。
 私だけじゃなくて、踊り子プラハとかパヤッパヤーズも含めて、『女たち』」

 
★ パイティティは色っぽい 

それと、パイティティにいるときの依子さんが、だんだん「バンドマン」の顔になってきてるんですよ。
 



 「(笑)なってないよ〜!」

 
 いや、なってますよ。 すごくいい、「バンドの一味(いちみ)」って顔ですよ。
 
 「知らない間に演じてるのかしら」
 
 最初はぼくも、依子さんのやってるバンドってことで興味を持ったんですけど、
 もう今では依子さんがバンドの一味になってますよ。 それがおもしろいんです。
 
 「絵的にもカッコイイというか、あの人たちがいるからなのよね。 ほんとにステキ。
 薫さん、坂出さん、ヨシミ、ファルコン、齋藤さん、夏樹くん、中西さん、クリス、画伯、
 そしてパヤッパヤーズに踊り子プラハ。
 なかなかあんな人たちいないよ!映画みたい!」

あの野郎どもに囲まれているアタシってのがね、なんかいいんだ。
 『MASH』の世界かな。野戦病院の医者たちの中に、一人だけ女医がいるじゃない。
 みんなで悪ふざけしてるの。

パイティティと一緒だから、アタシがこうやっていられるんだと思う。
 だれもカッコつけてないもん。  生身のカッコよさ。 荒削りの…」

 
 色っぽいんですよね。
 
 「色っぽいの!色っぽいよねぇ」
 
 出てくる音もね。 
 で、めちゃくちゃ巧い人たちなんですけど、うまくまとめようとしないんですよね。
 あれがカッコイイ。
 
 「そこなの。彼らもいろんなことをくぐり抜けて来たうえで、もうまとめるのはツマラナイ、って。
 リハでも、『もっと崩そうよ』って言うの。
 パイティティは最高ですよ!」

 
 じゃあ、そういう思いから、ライヴにも積極的になってきたんですか?
 
 「そうね。あとは、去年の夏のデロリぐらいから。
 アタシは、パイティティのビザールな感じを、『ロッキー・ホラー・ショウ』みたいなショーにしたかったの。
 曲も少なかったし、音楽だけじゃなくて、いろんなコーナーにしたくて。
 そうやってるうちに、パイティティ・エアラインズにしようよ、って話になって」

 
 コンセプトが生まれたんですね。
 
 「そうすることによって、まったく嘘なんだけど、想像力をかきたてることによってワクワクするというか。
 『真夏の夜の夢スペシャル』でも、最後にお客さんたちが目をキラキラさせながら帰って行くの。
 夜祭がえりの子供たちみたいに!」

 
 とくにあの夜は、つかみが完璧でしたよね。
 機内アナウンスが入って、パヤッパヤーズが出てきて、タラップを上がるってところが…
 
 「タラップがカッコよかったねぇ!あんなタラップ作れないよ、ふつう!原口さんのおかげだよ!
 原口さんがさ、『タラップ作ろうと思ってる』って言うの。
 『タ、タラップぅ?それは、なに?人がのぼれるやつ?』
 『あたりまえじゃん!洞口っちゃん、俺、だれだと思ってんの?』(笑)
 できたのを見たら、『パイティティ・エアラインズ』って書いてあって。
 『嘘みた〜い』!
 
 あれがステージの中で、いい感じの雰囲気をかもし出したんですよ。
 会場の客席の感じもラウンジっぽくてね。 キャンドルがあったりね。
 夜間飛行みたいで、よかったですよ」

 
  虚実ないまぜになっているようなワクワク感があって、よかったですね。
 
 「原口さんとしては、もっとやりたかったんですって」
 
 (原口監督が)本番中はかなり慌ただしくされてましたよね。
 
 「ヘルプがいたとは言え、あれをほとんど一人でやってたのよ。
 私の衣裳もですよ!舞台装置だけじゃなくて、衣裳よ!」

 
 『ウクレレ・ランデヴー』の衣裳もね。
 
 「あれもさ、あの泡の水着!」
 
 あのPVをステージで再現するというアイデアは?

 

 「アタシです。
 あのとき、バンドの音が一瞬とまったのよね。 あの姿で出ていったとき。
 『誰も聞いてなかったよ、こんな格好で歌うなんて!』ってメンバーがビックリ」

 
 あの驚いたリアクションも、演出では出せない生の驚きでしたね。
 
  「坂出さんが、初めて音止ったんですって。
 バンドやってきて、あの『ウクレレ・ランデヴー』で」

 
 坂出さんに音を止めさせるパイティティ(笑)
 
 「メンバーが誰も知らないステージングがアリなパイティティ」
 
 あれは大喝采でしたね。
 
 「あそこまでやらないとね!」
 
★ リーディング・セッションという試み 

 パイティティと並走させる形で、「リーディング・セッション」というのがありましたよね、この1年で。
 音楽とはちがった試みですが、たとえば打ち合わせはどの程度あるんですか。

 

 「ほとんどしないんです。 だんだんお互いが馴れてくるのがよくないので。
 最近、お互いに初心に帰るということを心がけてるんです。
 打ち合わせはあまりしないで、どの部分を読むかということも、どういう音を出すかということも、
 なるべくですけど、その場の雰囲気にまかせる。

 最初にデロリでやったリーディング・セッションが、お互いに最高の体験だったんですよ。
 こんなすごいことがあったのか!ってくらい。
 あれがあったからこそ、ファルコンと組むことに決めたんです。
 ファルコンは人の気持ちをわかって、それを音に紡ぐことのできるミュージシャン。 貴重な存在ですよ」

 
  逆にいちばん難しいのはどんなところですか?
 
 「時間との闘いかなぁ。どうしても尺はあるし。
 あとは、馴れちゃいけないということ。
 自分の書いた言葉を、自分の声で、ちゃんと伝えたいから、いつも新鮮さを忘れたくない。
 馴れてくると、気持ち悪くなるんですよ。 朗読で、ギターと一緒でしょ」

 
 きれいに流れていってしまう?
 
「そう! 馴れ合うと気持ち悪い」

ぼくは那覇のときがすごくよかったんですよ。 気迫がすごかった。

「あれは特別でしたね。
沖縄で再生させてもらったことへの、恩返し。
沖縄の人たちの温かい波動が来るというか。
沖縄の人たちって、一生懸命に聞いてくれる.
短いと、『もっとやらないの?』とか(笑)
その温い空気感が気持ちよかった。
終わってからも、あんなにみんな『すごくよかったです!』って言ってくれて。

アタシは伝道師でもなんでもなくって、癌の人が抱えている悩みを、
ほんの一角でもいいから感じてもらえたらな、って思う。 
ただそれだけなの。
それが、思った以上にいろんな人たちに届いて。
医療に携わる人とか、若い女性とか、男性も、読み物として面白いと言ってくれる」

男として読むと、わからないことはありますね。
で、なんでわからないんだろうって、考えるんです。

「男と女はちがうから、しかたないですよ」

で、やっぱり、読み物としておもしろいんですよね。

「うれしいなぁ。 あれを書いているとき、私には何かが憑依しているような状態で。
誰も私にこわくて触れないような感じで。 『ひとり安田講堂』(笑)」

(笑)篭城してたんですか。

「もう、パソコンの周りは瓦礫の山。資料に書きなぐった紙に、呑みかけのお茶・・・殺気立ってたみたいです」

ぼくはリーディングだけで音楽のついてなかった下北沢の時、「大丈夫かな?」とも思ったんですね。
自信がなさそうにも見えた。

「もともと自信はないんです、アタシは。 デビューからずっと。
自分に60点〜70点を与えたのは『 』のときだけです」

あれが60か70というのは、点が辛すぎると思うんですけどねぇ。

「でも、そうよ。 自分に厳しいから。
それと、自分のダメさをいつも悩んでしまう」

まぁ、だれしもそういうところはあると思うんですけどね。

「いやぁ、けっこうみんな器用だよ。 アタシはダメなんだなぁ。
でも、なんでダメなアタシを起用してくれる人たちがいるのかなぁ・・・ダメだからかぁ!とかね。
でも、その人たちにダメって言われたことないんだよなぁ、
なのになんで世の中に受け入れられにくいのかなぁ、って。
ある一定の人にしか受け入れられないこの私(笑)」

こんな、京都からやって来るファン、とか(笑)

「でも、少ない人たちが全部好き、って言ってくれたら、それでいいとも思ってる。
山のあなた 徳市の恋 』の石井監督も、あの映画での私をとても評価してくださったんです」

あの映画だけじゃないですが、依子さんの顔のアップが出てくると、客席から不思議な波が起こるんですよ。
それは、「なに、この人?」「この人がここに映ってるこの状況と、それを見ている自分って、いったいなに?」という。
とくに最近だと、『山のあなた』と『酒井家のしあわせ 』ですね。

「あまり見慣れない顔だから、出てくると調子狂わされるとか。『見たことのない動物を見た!』って」

(笑)「調子狂う」というのは、いい意味で、そうかもしれないですね。

「うしろから、いきなり膝カックンされた感じとか。
だけどそれが気持ち悪くない、でもなんかムズムズする、この人ってなんだろう?っていう。
それっていいことじゃないですか?」

すごくいいことですよ!

「焦りませんよ、もう。 着実にやっていきます」

★ 私はもう闇を見切った

『子宮会議』ですごく好きなフレーズに、「私はもうどこかで闇を見切ったのかもしれない」というのがあるんですが、
あれは本を執筆していくなかで、自然と思うようになった感慨なんですか。

「実体験ですね。
月の上を歩いているような感じ。
穴ぼこがあちこちにあって、深いのもあれば浅いのもあって、
落っこちたりもするんだけど、意外と心地よかったりもするじゃないですか」

とりあえず、隠れ家にもなる。

「そう。 こわいばっかりじゃない
…『闇を見切った』という言葉だけじゃすまないこともまだいろいろあるんだけど、
それはもう読んで想像してもらいたいですね」

あの言葉があることで、ぼくのような同じ病気の経験がない人間もわかるんですよね。
生きているうえで闇ってのは絶対にあるし。

「あるよ。 生きてりゃ。
とくにこういう世の中になっていると。 自殺する人が増えるのもね。
そうなる気持ちを、私も味わったことあるし。
その瞬間には、次の瞬間のことすら考えられないの。
でも、あんなに痛い思いをして苦しい決断をして生きようとしたことが、そこで死んだら…なに?って」

それに、最近の依子さんからは、以前にはなかったものが感じられるんですよね。
強くなったようにも見えますし。

「強くはないんだけど」

人を許せる強さというか…

「あぁ、やっぱり。 勉強したんだよね。 人にぶつかって生きてきたから」

失礼ですけど、昔の洞口依子さんより、いまの洞口依子さんにこうしてお話伺っているほうが、
ぼくは嬉しいです。
昔の、あれはあれで、いいんですよ。 でも、いまのほうがいいですよ。

「飾らないで生きていこうと思うようになったことも、病気して後だね。
飾らないことのたいへんさってのもあるけどね。 内面の勝負だから」

病気でいろんなものを失くしたりしたけど、得たものもあったということでしょうか。

「うん。 言葉でははっきりとは伝えられないけれども、いまの私を見てくれればわかると思う。
女優業でも、執筆でも、パイティティでも」

★ 若い映画ファンからの注目

最近、20代の若い人たちから、「洞口依子さんって、すごいですね」という声をよく聞くんですよ。

「わぁ、うれしい!」

いつの時代にも若い映画ファンというのはいますし、そういう若者が黒沢清監督の映画を観て、
というケースが多いようなんですが、彼らの感想に共通していることに、
「なんでこの洞口依子という人は、同じ世代じゃないのに、わたしたちが生きている感覚がわかるのか」
というのがあるんですよ。

「へぇ〜(笑)」

彼らにとっては、新しい発見なんですよ。 洞口依子という女優が。
依子さんもぼくも、80年代に60年代の映画や音楽を発見したと
き、それを古いとは感じなかったでしょう。
それが、次は依子さんの番なんですよ。

「私は、なにも計算とかできなくて、このまま生きてるだけなんですよ(笑)」

(笑)もうちょっと、なんかカッコイイこと言ってくださいよ〜

「自分のことで必死だし(笑)」

うん、でも、そういう期待があることを知っていただきたいです。

「まぁ、見てなさいよ」

はっはっは。

「50、60になったときとかさ」

おっ、いいじゃないですか、シモーヌ・シニョレみたいで。

「昔のままでいてほしいって声もありますけど、私は、時期が来たら、受け入れなきゃいけないし、
私は年をとることをいやがってはいない。
年取ったねぇとか言われると、あなたはいくつになったの?って思っちゃう(笑)
でも、若い人には、若いときをぞんぶんに楽しんでほしい。
女の子は肌がきれいだし、男の子だって勢いがあるし」

NY者』のときの依子さん(23歳)は、肩で風きって歩いてましたね。

「(笑)なんなんだろね!何様のつもりなんだろね、って感じだよね」

ニューヨーカーに向かって、「アー・ユー・ハングリー?」って(笑)
でも、これからどんどん新しい世代からの評価も加わると思いますし、
年齢のこととか、あまり考えなくていいですよ。

「うん。だってしょうがないじゃない!こうやって生きていくしかないんだし
ヨーロッパの女の人なんか、すごく自然に年をとってるでしょう。
あぁいうのを受け入れる文化がうらやましいよね。
でも、私はヨーロッパ人じゃないので!
アタシ人なので!(笑)」

正直、ここまでまっすぐに、いろんなことについて答えていただけるのは嬉しい誤算でした。
この1年間で依子さんは本当に変わったし、それは彼女自身が言うように、「新しい章」なのだと実感します。

パイティティと『子宮会議』、そのリーディング・セッションが強く結びついていることが改めてわかり、
そこで得たライヴへの積極的な姿勢が、女優としての抱負にもつながっていることも伝わります。
これはインタビュアーとしても、とてもうれしく、力づけられるインタビューだったと思います。

2007年のインタビュー→ 

2009年のインタビュー 

2010年のインタビュー

2011年のインタビュー 

2014年のインタビュー 

依子さんも途中参加の「原口智生監督インタビュー 

熱くヨーリーを語る「當間早志監督インタビュー 

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