『NY者』(1988)

「にゅーよーかー」と読みます。
ありましたねぇ、深夜枠で。
タレントを一日ニューヨークで遊ばせて、その様子を30分の番組にしたものでした。

1988年です。
ちなみに、次回出演として依子さんが紹介するのは、玖保キリコ先生。
「いまどきのこども」の頃だ!

2008年の目で見ても、驚くほど古くなってません。
さすがにスティーヴィーBの音楽には失笑してしまいますが、
全体のテンポ、リズムは20年たっても充分通用するもの。

『マルサの女2』がこの年の頭に公開されている、そんな時期のヨーリーです。
ロケは、おそらく『青山ロブロイ物語』や『風少女』の収録と前後していたのではないでしょうか。

初のニューヨーク、依子さんのプランにあるコンセプトは、マイノリティーの街で食べること。
それも高級レストランではなく、庶民の通うダイナーやデリで、そのコミュニティーの人たちに混じって食べる。

と、ここでいきなり私事で恐縮ですが、
私も、これより3年のちに、同じような気分で一人旅をしたことがあります。
私は依子さんの3つ下なので、やはり23才のときです。
ニューヨークじゃないけど、アメリカ南部の音楽と風土に傾倒して、
ミシシッピ・デルタ食いだおれ聴きだおれの放蕩をしました。
だから思い当たるんです。
異文化コミュニティーに飛び込んでいくときの、怖いもの知らずの弾みというか、気持ちがでっかくなってる精神状態。
う〜ん、いやな言いかただけど、若さかなぁ。
そして、それって、40を過ぎた今振り返ると、せつないんだよなぁ。

アメリカについて、人種について、依子さんがけっこうストレートに述べるコメントがいくつかあります。
最初はそれをピックアップしようかと思ったんですが、やめます。
べつに何ら恥ずかしい意見ではないのです。もっともな内容ばかり。
ただ、23才の自分がビシッと述べたコメントを、あなたなら今読みたいでしょうか。
私なら、ギャ〜ッって叫んで逃げ出しますね。

この番組で依子さんが食べ歩くのは、中華、イタリー、韓国、ヒスパニック、インドの町。
アフリカンがないな。まぁ依子さんのイメージにはないか。
それから、シェイ・スタジアム。
私なんか、どうしても「シェア・スタジアム」って呼んじゃう、ビートルズの聖地でもありますが、
ここではわりと、ホワイト・アメリカのノリをゆるく見せます。

依子さんにとってのニューヨークへの興味は、やはりアジア的なもの。
中華街のスーパー・マーケットで、お目当ての瓶詰の腐乳を見つけて大騒ぎするところは、
現在とまったく変わってないと思います。
食堂で居合わせた白人の青年に名前を聞かれて、
「ヨリコ。Y-O-R-I-K-O!」
と、まるで英語を教えるかのように説明し、サッと握手するさまは、
こういうのが国際的なセンスなんだよな、と羨ましくなります。

とにかく、彼女は背筋がのびてる。勢いがすごい。
あたかも、彼女の前にある街が、人が、彼女のために道を開けているかのように、
ためらうことなく真っ直ぐに飛び込んで行きます。その細い肩のかっこよさ!
それから、この頃、目つきに少し怖い感じがあったんですよね。
そういうものが、諸々、あの時期の彼女を際立たせていたと思います。

そして、表現のしかたや、ひきだしやアウトプットの数に変化はあっただろうけど、
ここで彼女が突き進んでいく遥か先に、ちゃんと現在の彼女の姿が見えるんですよ。
ここに参った。ブレがない。
ホットドッグ屋台に並ぶニューヨーカーに、「おなかすいてんの?」と聞いて、
なぜかニューヨーカーを圧倒してるように映る依子さんの向こうに、
ロンドンで「のら猫電視台〜」と柔らかい笑顔をこぼす依子さんがちゃんと見えるんです。

もしかしたら、この番組が古びてないのは、そのせいかもしれませんね。

1988年5月31日
フジ系列にて放送

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