先ごろ(2011年1月)『子宮会議』が文庫化(小学館文庫)されましたが、文庫版のためのあとがきを読むと、単行本のあとがきとはトーンが違って感じられますね。
より確信が強まったというか、前を向いている印象があります。
依子さん 「(2007年に)最初の単行本が出てからの間に、発酵していったものがあるんだと思います。
リーディングセッションで、著者と読者という在り方とは別の形での反応を得ることができたのも大きいですね。
じっさいに会場で、読んでくださっているかたたちにお会いしたり、いろいろな感想に触れることができたことも、その発酵度を高めたと言えますね。
『子宮会議』の文庫化にあたってゲラをチェックし直すとき、原稿を外に持っていったんです。
裸足でベンチに座って、夕日が沈む頃に西に向かってその作業をしていました。太陽に向かって。
単行本を出したときも、ベトナムの太陽の下でその作業をおこなったんですよ。
お茶を飲んでると、広げた原稿の上に作り物のようなプルメリアが落ちてきたり・・・それでとても捗りましたね。
私は、現実の或いは日常の、自然の中にある『デコラティブなモノ』に囲まれていることが好きなのかも。」
(小学館文庫版 『子宮会議』)
|
文庫版に高橋源一郎さんが書かれた解説もとても素敵ですよね。
依子さん 「はい!ただただひたすら感動しました。『やっぱり高橋さんの文章はこんなに素敵なんだなぁ』って。勉強になりました」
高橋さんがそこで書かれていた中に、「『ない』から始まる」という言葉があって、依子さんも出版記念の「のら猫集会」(2010年1月22日)でそれをサブタイトルにされていました。
依子さん 「最初からなかったと思えば、なにもないんですよ。あると思いすぎるとないものねだりしてしまう。それが人生なんだけど。
私も手術で失ったものをねだって、ぽっかり空いた部分を埋める新しい何かを見つけなきゃと模索しましたけど、
『ない』ということを認めて、自然に湧き出るものを生んでいけばいいんだと思えるようになりました。
それも時間の流れがそれこそ自然に変えていってくれたのかなぁ」
そこまでの葛藤というのがとてつもなく大きかったんでしょうね。
依子さん 「葛藤というのは、病気でなくとも誰にでもあることだと思います。
つらいことがあったら、言葉にすればいいと思います。
それを繰り返すうちに、自分で自分に『また言ってるよ』とか思って、そういう自分にどこか『飽きて』くる面もあるかも・・・私がそうでしたから。
かといって、無理して『元気になりました』って満面の笑みを作るのも自然じゃないですよね(笑)。
あるがまま、なすがままでいいんじゃないかなと、思いますけどね。」
その「あるがまま、なすがまま」というのが難しいんでしょうけどね。
依子さん 「そうね。難しいけど、そうなるように少しずつ溶かしてしていく・・・
生きるか死ぬかのどちらのカードを選びますかと迫られて、生きるほうを選んだ人なら、茨の道も覚悟の上。いろいろありますよね。」
時間がたつにつれて、そのときの気持ちって忘れていくのかなと。
依子さん 「忘れたっていいんじゃないかなあ」
あ、そうか。忘れてもいいんですね、それは。
依子さん 「いいと、私は思ってます。
自分のなかに楔のようにグサッと突き刺さって、『あ、トゲがささってたんだ』と思い当たることはあるんだし。
でも、そのときはそのときで、一人泣いたり、友達に愚痴ったり、家族に当たったり、あるがままにでいいと思う。無理しないで。
ただ、病を体験すると、自分は病気だからって思いがちになってしまうんですよね。
そればかり気にしていると、先に進めないような・・・これは私がそうだったんですけどね。
もちろん、私よりずっと前向きで、お仕事されている間は病気のことは忘れるようにしているというかたもいらっしゃいますよ。
でも、最初にお医者様がおっしゃったのは、『病気のことは病院にまかせて、できるだけ普通に生きていくいように』ってことでした。
私が精神的に参っていたからでもあるんですけど。
病気をして気づかされたことは多いです。人間はいつか死ぬものだとか。
そばに居てくれる人たちは単にそばに居るだけではないんだよなとか・・・そのときに支えてくれるのは、本当にそばに居てくれる人たちなんだなって。
人は一人で生まれて一人で死んでゆくものだと思いますよ。
映画『ウクレレ PAITITI
THE
MOVIE』の中で石田英範さんが言ってたことけど、
『一人で生きて死んでゆくんだったら、短い人生のなかで、いろんな人たちと出会ったり、触れ合いたい』って。
私も同感です。限られた人生のなかで、いろんな人とめぐり合うこと、それが幸せなことだと思います。」

(『ウクレレ PAITITI
THE MOVIE』)
|
リーディングセッションは観ていて毎回受ける印象が違いますよね。対話する子宮の声色が変わったり・・・・
依子さん 「リーディングセッションは、私が子供の頃に図書館で体験した『読み聞かせ』がベースになっているのかもしれません。
『読み聞かせ』って、読み手がいろんな声色を使ったりして役柄を変えていくんですよね。
私も小さい頃に本を黙読するときに、いろんな声色のイメージを想像しながら読んでいたんですよ。
この図書館での原体験って、私の中では大きいんですよ。
家には父の本があったけれど、どれも子供が読むような本ではないし、冊数は限られていましたし。
でも図書館という環境でもあるんですけど、空想の中に入りこんでいくということが大きかったんですよね。」
『洞口日和』で確認したところ、この前の文庫化記念のリーディングセッションが通算20回目だったんですよね。医療関係のかた向けのクローズドなものも含めてですけど。
依子さん 「ほんと?リーディングセッションを行った機会が20回ってことだよね。よく確認するねぇ(笑)
呼ばれればこれからもずっとやりますよ。
毎回、思い出に残っていますよ。その時その時でちがいますからね。
次はどんなことをできるのかなって考えるのも楽しいですね。
文庫化記念のときに初めて『ヒカシュー』『黒やぎ白やぎ』の坂出雅海さんと佐藤正治さんに参加していただいて、
難しかったけれど、より深い表現ができるなぁと思いも新たに挑戦しましたし。
これができるなら、『子宮会議』とは別の新しいこともできるかもなぁという光が見えたし。勇気も出ましたね。
どこかにいい場所を探しています。
リーディングのなかった『のら猫集会』というのを、沖縄の『波の上』という浜で行ったんですけど、
波打ち際で自由な空気の中でリーディングセッションができればとも思いますね。
電子書籍も、音と文字のコラボのような、面白い形でできればいいなと考えたりもしていますので、みなさんの声やつぶやきをお願いします」
いつも依子さんのなさる事には、いい意味で予想を裏切られていますので、その電子書籍というのもきっと単にデータ化するだけじゃないはずだぞと期待してるんですよ。
依子さん 「それは開けてびっくり玉手箱です(笑)」
(笑)いや、ほんとにいつもびっくりさせられてますよ。このあいだのリーディングセッションでも予想していたようなものとはぜんぜん別でしたし。
依子さん 「リーディングセッションに同じものはないんです。
聴いてくださる側のテンションも関係あるんですよね。
疲れているときに意外や意外テンションが上がったという場合もあるでしょうし、その逆もあることでしょう。
当然、こちらもプロとして生半可な気持ちでやるわけではない。
そこに固執しているわけではないんですけど、プロだという意識は私の根底にいつもあります。
まあ、いつもプロフェッショナルな『洞口依子』であり続けるのもけっこうたいへんなんですけどね(笑)
これからも、どうか『洞口依子』をよろしくお願いいたします!」
(2011年2月20日 京都にて)
いつもながら非常に拙い質問にここまで丁寧にお話しいただいた洞口依子さんに、心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。
お話のなかにもあるように、『子宮会議』が電子書籍化されれば、これはとてもユニークで洞口依子さんらしいものになるのではと、想像するだけでワクワクしてしまいます。
各種メディアで声をつぶやいて、実現につながるようにしたいものですね。つぶやきませんか?
|