『蔵』(1995年)

1995年、これは映画との競作という形でしょうか、NHKで全6話の連続ドラマとして制作されたこの作品、
昭和の初めをおもな時期に、新潟の地主兼造り酒屋の親子三代に渡る愛憎の物語を描いたものです。
大山勝美演出、中島丈博脚本。宮尾登美子原作。
主人公で、やがて失明する娘、烈を松たか子さんが演じていますが、この幼女期の子役はなんと、
今をときめく井上真央ちゃんだったんですねぇ。
今度見直してびっくりしました。真央ちゃん、幼いころは、依子さんにあんなことを…

依子さんの役は、18歳で芸者から地主の後妻に入ることになる、せきという女。
夫役の鹿賀丈史さん、芸者の「おかあさん」の渡辺えり子さんと、依子さんには縁の深い共演者もいますね。
特に渡辺さんとのやりとりは絶妙で、甚内たま子シリーズへの布石すら感じます。

さて、このドラマ、依子さんのファンとして見た場合、みどころは大きく2つに分けられます。
まず、回でいえば第2回(依子さん登場はこの回のラスト・シーンから)と第3回まで。
この2回では、酒蔵の当主、田之内以蔵との出会いから、田之内家に後妻に入り、
そこで継子、烈の反発をくらうまでが描かれます。

もうひとつは、第4回から最終回まで。
以蔵の息子を出産し、世継の母として得意の絶頂にあったせきが、事故で息子を失い、
酒に溺れ、窮屈な家の枠から飛び出そうとするもならず、不義の子を宿すことで離縁を迫るも拒否され、
命がけでこれに抵抗し、ようやく暇をもらうまでです。

前半では、まず登場シーンが出色。
妻を亡くし、家の問題に疲れた以蔵がお茶屋で芸者衆に囲まれて飲んでいます。
ふと目を覚ますと朝になっており、足元のほうを見やると、若い妓が座ったままの姿勢で眠っている。
これがせきです。
これがどうにも「使えない」芸者で、今風に言えば「ドジっコ」芸者。
しゃべりかたも垢抜けないし、自分に旦那がつかないことまで、悪びれずに言ってしまう。
これが、遊びなれた以蔵には新鮮に映るわけで、このことは物語上も重要です。
で、ここは、鹿賀さんとの呼吸がピッタリで、せきの「洗練されていないゆえに可愛い」魅力の熱が
じんわり視聴者に伝わりきるところと、この回のエンディングの尺が見事に合っています。
思わず「やったぁ」と快哉を叫びたくなるくらい、依子さんがいいです。

せきは以蔵に、自分から「旦那として私についてください」と頼み込むのですが、ここも、どこまで計算か読めないけど、
確実にしたたかさが伝わります。
それをこんなに可愛く演じるなんて、やっぱり芸者やらせたらコワいものなしですね。

彼女が、どうやら以蔵の心をとらえたらしいことがわかるのが、神社でのお参り。
お母さんやおねえさんたちに玉の輿をからかわれながら、上機嫌で祈る姿も、かなりの小悪魔度です。
この前半での依子さんは笑顔が印象的なんですが、目と鼻と口を顔の真ん中に寄せるようにして笑う、たまらん笑顔。
シンディ・ローパーのそれに近いものがあるかも。

前半も終わりに近づくと、彼女の立場があやういものになります。
先妻の娘は叔母(娘にとっては、亡き母の妹にあたる)にベッタリで自分になつこうとせず、泥棒呼ばわりまでされる。
夫と娘と叔母も交えた4人で食事をする場面が何度か出てきますが、やけに床の冷たさが伝わる空気感です。
せきは決して頭のよい女ではなく、育ちだってよくはない。
ちなみに、娘がなついている叔母さんは、檀ふみさんです。ね、わかるでしょ。

依子さんって不思議ですよね。
女優だからいろんな役になれるのは当然とはいえ、本来はものすごく知的な陰翳のある女性ですよ。
それが、こんなふうに、家柄やら学歴やら品性やらの前に小さくなってしまう女に変わるんですね。
これがあるから、後半が活きてくる。

後半はまず、母となったせきが、それまでの仕返しをするように、娘に辛くあたる描写があります。
弟になる生まれた子供のためにと、烈が縫った着物を、雑巾にして使ってしまう。
前半で可愛さを一助していたせきの無邪気さが、こんな形で悪意へと変わるんですねぇ。

そしてせっかく授かった息子の事故死。
身の置き場のない家の中で、唯一彼女を守る楯であり、かつ槍でもあった息子の死に、足場を失うせきです。
監督不行届きをなじられ、夫に平手打ちをくらうシーン。ここの依子さん、めちゃくちゃいいですね!

このあとは酒に溺れ、放心状態の日々。
出た、放心女優の腕のみせどころです。
いい放心芝居というのは、なによりも性を感じさせなければ旨みがない、と思うのですが、依子さんは見事です。

居場所を失ったせきは、夫に離縁を願うのですが、地主で蔵元としての威厳や体面を守りたい夫は、許しません。
かくて彼女にとっては座敷牢のような状況が続きます。
お母さんも次第に立ち寄らなくなりました。渡辺えり子さんの存在感の大きさは、見えなくなったときに強烈にわかります。

せきは、おそらく酒杜氏の一人と密通を重ねたのでしょう、不義の子を身ごもり、やがて死を覚悟で流産を試みます。
このシーンはものすごい迫力です。
興味深いのは、放心状態の姿と、プラスマイナスの差こそあれ、同じようなエネルギーを感じるんですよね。
つまり、それだけ放心に実はパワーがみなぎっているということだと思います。

命がけの駆け引きに勝ったせきは、ついに田之内家をあとにします。
荷馬車の後ろに腰かけて、家の者に無言で別れを告げて去ってゆくんですが、笑みを浮かべています。
この笑みが、勝利の笑みなのか、安堵の笑みなのか、多少の名残に対する優しさのあらわれなのか、複雑な後味を残します。

と、これが、芸者せきの波乱に富んだ半生を描いたドラマ『蔵』全巻の…おいおい、せきが主人公になっちゃったよ。

ヨーリー・マニアにとっての満足度は、ズバリ、100です。


1995年6月4日〜7月9日まで、
毎週日曜日21:00-21:45、
NHKにて放映


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