Talk To Her!

洞口依子さんインタビュー
(by 夢影博士=管理人)

 そもそも、こんな企画が通るとは思ってもみませんでした。
初めて洞口依子さんにお会いすることができたのは、2007年6月10日。
下北沢で、彼女の朗読会&サイン会と、パイティティのライヴが行われたときのこと。
そのときに、予想外にいろんなお話をうかがうことができた私は、ダメモトで取材を申し込んでみました。
 
 実現したのは8月4日。
この日、パイティティのライヴが、昼はアップルストア、
夜はDERORIと渋谷で行われ、
これにあわせてお時間をとっていただける、とのこと。
場所は宮益坂にある昔ながらの趣を残す喫茶店。
高鳴る胸をおさえながら、インタビューをはじめました・・・



★演技というのは、銃口をつきつけられるようなもの

インタビュアー(以下、黒フォントはインタビュアー):
今年に入ってからの洞口依子さんは、音楽活動や執筆活動など、今まで以上に幅広いご活躍をされていますが、
最近のインタビューを拝見すると、「女優をさらに続けたい」など、女優であることにもいっそう積極的なご発言をされています。
そういう確信を持つにいたったいきさつというのはあるのですか?

洞口依子(以下、青フォントは洞口依子さん)
「女優が好きだから。女優しかできないからですよ。
私は器用じゃないので・・・ウクレレも弾くし本も書いたけど、それは表現の手段のひとつとして考えているので。
いちばん何がいいかというと、カメラの前で映画やドラマをみんなと一緒に作っていくのが好きなんですよ。」

ご病気されて、そこから復帰されたあとに、女優であることを「これだ!」と力強く思われたということですか。

「うーん、それもあるね。
あのまんま病院行かないでダラダラ過ごしてたら、間違いなく・・・ちょっとおかしい感じになっていたから。
そういうことを思うと、まだまだやり残していることとか、やりたかったこととかが山のようにあるのに・・・
本当だったら、私のかかった病気みたいなのは、仕事をちゃんとセーヴしたりとか、
お辞めになったりとかするかたがほとんどなんですけど、私は、復帰してやらなきゃなって、
それだけが希望のようなものでした。」

たとえば、これを機に完全に執筆のほうに進もうというのとは、ちがうんですね。

「えぇ。私はボキャブラリーが少ないし、そんなにうまくないんですよ。
それに小説家のハードルがとても高いのは、周りにいる小説家の友人などを見ていてもわかるので、
それだけで食べていけるとか、成功するとか、そういうことを考えたことはないです。
かと言って、それも表現のひとつだから、書きたいことがあれば書けばいいかな、と思ってます」

実質的な復帰作『マクガフィン』を撮ったことで、自分はこういうことがやりたいんだというお気持ちが強まったのではないですか。

「それはありますね。
不思議なもので、私は、カメラの前に立つことがすごく嬉しいのね。
あの映画はデジタル・カメラだったんですけど、それでも自分がカメラに吸い込まれてプリントされていくような感じが
手ごたえとしてあったんですね」

その手ごたえというのは、文章を書いたり演奏したりということとは全然ちがうものなんですか?

「ぜんぜん。(演技のほうが)強くて。
さかのぼって考えたら、篠山(紀信)さんに写真を撮っていただいた15歳のときに、カメラという、不思議な・・・
拳銃みたいなものが・・・」

拳銃、ですか?

「拳銃。銃口を突きつけられてるような感じというか。その前で、生かすも殺すも好きにして、って感じで。」

自分の身を投げ出すような感じですか!拳銃を突きつけられたような感じ・・・

「そうそう。そうしたら、私を撃てないでしょ?」

おもしろいですね。それは、突きつけられているものを、自分で撃ち返すような快感なんですか?

「(首を横に振る)」

でもないんですか。なかなか想像がつかない感覚ですねぇ。

「(しばし考えて)『撃ち返す』っていう表現なら、キーボードを叩いたり筆を取ったりして、
文章を書いたり絵を描いたりするほうが近いですねぇ。


だから、私を見抜いてくれる監督が言うのは、無防備であるときの洞口依子の芝居がいちばん好きだってことなんですけど。
黒沢清監督なんかがそうですね。脱力している感じのところをわざと撮っちゃったりとか。
思い当たるカットがいくつかあるでしょう?」

はい!わかりますねぇ。とてもよく。

「だからすごく要求が難しいんですよね。
役者を重ねれば重ねるほど、(現場で)なにか芝居をしたくなっちゃうんですよ。
あまりよくないことだと思うんですけど、しちゃうんですよ」

(ここで注文した飲み物がきたので、乾杯。
「夜の部もはじけましょう!」と依子さん。
そして私に、「緊張してるの?」「ハイ。緊張してます」

昼の部のアップルストアで歌を披露して緊張したお話になると、
「緊張しましたよ。はじめてだもん。リハはすごかったんですよ。
たのしかったぁ!『これで歌える!』って盛り上がってね。モンティ・パイソンばりに」
「モンティ・パイソンばりにですか?」
「うん!サイコー!って」
「あ、はじけちゃったんですか!」)


★ゴダールとの出会い

そもそも、映画に対する興味や関心は、いつごろお持ちになったのですか?

「17くらいかな?」

高校生くらいですね。

「そうですね。篠山さんに撮っていただくようになったころです。」

なにか決定的な衝撃を受けた作品って、あります?よく『気狂いピエロ』のお話はされますが。

「そうですねぇ・・・『気狂いピエロ』・・・影響されましたねぇ」

で、ゴダールの映画などを見たときに、いちばん何がよかったんですかね。
やりたいことやってる奔放な感じですか。

「人が自然に動いてて、風景の中にホントに自然にたたずんでるところや、セリフが美しくて、
カメラがおもしろくて編集が斬新で・・・ヨーロッパがすごく好きですしね」

たとえば、ゴダールなどもそうですが、いわゆるハリウッドの映画にはないようなエキセントリックな部分があって、
高校生くらいになるとそういうものに惹かれるセンスが芽生えたんではないですか。

「(首を横に振る)うーん、べつに」

あ、そうでもないんですか。じゃ、自然な動きがあって、セリフが美しくて・・・

「うん、ハリウッド的なものだったら、B級な笑える映画が好きでしたね。『XYZマーダーズ』とか」

サム・ライミの。

「そう。けっこうカルト系が好きです」

あ、カルト系。

「(笑)」

ゴダールなんか見てると、その当時の社会運動などと結びついてたり・・・

「そうなのよね!でも、その頃って、アタシ、ただの女子高生だから、そういうのに詳しいはずもなくって。
そういうことよりも、たとえば、フレームの中にいろんなものが入るわけじゃないですか。
ここにあるストラップが入ってたりとか、こういうのとか、ちり紙が丸まって入ってたりとか、そのぜんぶが好きなの。
これはもう、蓮實(重彦)さんの影響よね。」

なるほ・・・あれ?蓮實さんの影響が(黒沢清監督との出会いより)先に来たんですか?

「いや、あとだね」

あぁ、後付けで考えたら、ですね。

「19くらいだから、黒沢さんの映画に出て、立教大学の蓮實ゼミに通うようになって」

通われたんですね!

「怒られてね!見ろと言われてた映画を見ないで授業に出て、蓮實さんに指されてね(笑)」

それはすごい体験ですよねぇ。

「さすがに東大の授業は聴きに行けなかったんだけど、立教は塩田(明彦)君たちとかと行きましたね

じゃ、とくにゴダールなどの持っている毒の部分に敏感に反応したのでもないんですか。

「毒の部分?」

えぇ。たとえば、皮肉っぽい要素とか、キツい部分があるじゃないですか。日常の風景に死体が転がってるカットとか。

「毒の部分・・・あんまり深く考えなかったです(笑)」

(笑)あ、とくに毒というふうには思われなかったですか。

「・・・そういうものが好きなんですよね。
誰もが『美しいね』って言うものより、汚れてたり、はかなかったりするもののほうが、琴線に触れるのかなぁ」

単純に美しいだけのものより、その中にそうじゃないものが入っているほうがいい、ということですか。

「(深くうなずく)役者がそのフレームの中でのびのび芝居している雰囲気がすごく好きです。
フレームの中に全部の登場人物を閉じ込めて、重ならないように人物を配置したりするやりかたよりも、
人が入ってきて、セリフ言って、抜けて行っちゃうとか、あぁいうのがすごく新鮮で。これでいいんだ!って」

それは新鮮な衝撃ですよね、高校生ぐらいだったら。
ちょっと意外ですね。もう少しこう、トゲのある部分に敏感に反応されたのかな、って思ってたんですよ。

「どうなんだろうね?ちょっとわかんないです(笑)」



★アイドルになる話はありました

『子宮会議』にも書かれてあったのですが、映画デビュー前に今後のご自身を考えられて、
「自分はアイドルには向いてない」と思われたそうですね。

「(笑) うん、じつはね、アイドルになるお話はあったんですよ。
『なるわけないだろう』と思って、丁重にお断りしました」

お話はあったんですか。

「えぇ。やってなくてよかったですよ」

なにがアイドルに向いてないと思ったんでしょうね。

「みんなの前でニコニコできない子だったから・・・
(考えて)自分では思ってなかったけど周囲の大人に言われたことに、
『(洞口依子は)七三に(優等生的に)構えながら、中身は風変わりな、ビザールな感じの女の子だよね』
って言われたことはありますね。
アイドルって、もっとほがらかで、笑顔で可愛くって・・・それがたぶんできないだろうなって。
『優等生的に構えてはいるけれど、あの子はまなざしがなんか・・・あまり笑わない子だね』って、言われてたんです」

あ、その頃からまなざしについては言われていたんですか。

「だから、『笑うと可愛いんだよね、彼女の笑顔を見たいよね、笑わせたいよね』って」

(「笑わせたいよね」にしみじみと、そうだったなぁと思い返しながら)
あ、そういう感じで『アイドルをやらせてみたい』ってお話だったんですか?

「いいえ、そうじゃなくて、それは、ただ単に『こいつはいける』くらいのノリだったんじゃないですか?(笑)」

そっか、人前で笑えない子ですか。

「ちっちゃいころから、でした。『子宮会議』の、母と写ってる写真も、眼(ガン)たらしてるでしょ?
『写真撮るよ』って言うと、わざとよそ見をしたり、わざと眼(ガン)たらしたりとかして、本当に父親が困ってましたね。」

困らせてましたか。

「はい。ロクな写真がないんですよ、だから。写真が大嫌いで」

嫌いだったんですか。

「笑うことが嫌いで。
なんにも楽しくないのに、なんで笑わなきゃいけないんだろって思って・・・
(テーブル横を通っていく男性を呼び止めて)中江さんじゃない!ちょっと!」

(依子さんも出演されたオムニバス映画『パイナップル・ツアーズ』の、第2話「春子とヒデヨシ」の中江祐司監督でした。
中江監督 「おぉっ、うわぁ、ビックリした!」
洞口    「『恋しくて』、大盛況のようで!ビックリ。當間くん、来てんのよ!」
中江監督 「ホント!」
洞口    「うん。私、今日、アップルストアでパイティティのライヴやって。そのときカメラを回してくれて」
中江監督、会釈して立ち去る。)

「わぁすごい、ビックリした。今日はみんな沖縄から来てるみたいね!」

(笑)で、アイドルの話なんですけど、当時は今ほどアイドルのヴァリエーションも富んでなかったですしね。

「うーん、今のアイドルのことはわからないけど。
でもね、それは15のときに『週刊朝日』に出てからの流れで来たお話ですけども、私はふまじめながらに、
職業はちゃんとやりたいなって思ってたし・・・」


★子供時代

勉強はお出来になったほうなんですか?

「ぜんぜん。答案用紙を白紙で出すような子でした(笑)」

あぁ!ちょっと困った子だったんですね。

「はい。先生が逆に心配しちゃって。『なにがそんなに嫌いなのかなぁ』なんて」

反抗心みたいなものが強かったんですか?

「そうかなぁ?自分は自分の生きたいように生きてるだけで。」

「できない」だけじゃなくて、「書かない」となると、それはもう、「態度」ですもんね。

「つまんないな、と思ってた。こんなことで人の尺度を測ってほしくないと思って。
そんなことしてたって、アタシ、こうやって生きていけてるもん(笑)ぜんっぜん平気」

(笑)なるほどねぇ。

「でも、好きな科目に関しては、大丈夫?ってくらい、のめりこむほう」

何がお好きだったんですか?

「国語、語学系に、美術・・・」

ははぁ、美術への興味は、映画への目覚めと重なるんですか?

「ちっちゃいころから絵を描いたり物を作ることが好きだったので・・・親には『芸術家になんかになって、どうするんだ?』みたいな。
そっちのほうをやらせたいんだけど、人生をそっちには行かせないようにしていたみたいですね」

親はどこでもそんな感じですもんね。

「『芸術家になんかなったって、どうするの?』って言われてもねぇ。なりたいんだもんねぇ」

そういうユニークな子供だったと・・・

「ユニーク? ユニークなの?」

ユニークですよねぇ。ま、いい子ちゃんではないですね。

「いい子ちゃんになりたくても、なれないんだもん。しょうがないじゃない」

「なれない」だったんですか。「ならない」んじゃなくて。

「『なれない』んだもん。やることなすこと、全部否定されてさ」

周囲に対する苛立ちとか、感じていたんですか?

「・・・まぁ、ありましたねぇ。でも、一日じゅう学校に行ってるわけじゃないし、学校行っても楽しい仲間はいるし、
放課後は放課後でまた楽しいし」


★『ドレミファ娘の血は騒ぐ』

そういう中で、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』の秋子って女の子の役が来たときに、「私に近い」っていうか、共感っていうのは?

「べつにないですねぇ。これは役だから、って。」

そうなんですか。「この子の気持ち、わかる」という感じも?

「うん、なにしろデビュー作だし、お芝居も、演劇部に所属して何かやったとかくらいで、そんなの初めてだし、無我夢中で。
『不思議の国のアリス』状態です」

依子さん自身が(あの役のように)『不思議の国のアリス』だったんですね。

「毎日が新鮮で楽しくて。スタッフの人たちがとっても生き生きしてて。
映画の現場というものに初めて触れた瞬間でしたから」

そっか、あの役に対して、共感があったのかなと思ってたんですけど。

「共感というのはなかった。一番最初の仕事だから、ついてくのに精一杯だし。
これで何かゴダール的なことがやれちゃうのか、みたいな楽しさのほうが勝ってました。
それで伊丹(十三)さんも一緒でしょ。もうドキドキよ。色っぽい男ばっかりなんだもん。加藤賢崇さんもよ!」

(笑)たしかに。
あの映画のオープニングなんですが、依子さんの表情のアップで始まるじゃないですか。
あれはかなりテイクを重ねたんですか?

「・・・おぼえてない・・・とにかく無我夢中で。
ラッシュか試写を見たときに、いやんなっちゃって。なんでアタシこんな表情しかできないんだろ!って。
それだけ一生懸命で、なにも計算してなかった。笑えって言われたら笑うし、立ってろって言われたら立ってるだけで。

最初は黒沢さんもどうしたものかと困ってる感じだったけど、次第に『この人はもしかしたら天性の女優かもしれない』と思うようになった、
って何かに書かれてましたね。

でも要求はどんどん高度になってきて、最後の海辺で『一緒に来ませんか』って言われてるところの表情とかは、
一枚のなにかの絵を出してきて、見せるんですよ。
でもね、(監督が逡巡しているマネをしながら)『う〜ん、いや、ま、いっか』って、しまうのね(笑)。」

「どうせできないだろう」って感じですか?

「いや、じゃなくて、なんか監督自身も
『あ、ちょっと作りすぎちゃうかな?でも、こういう表情、してくれると、うれしいんだけどな・・・』
『(少女の声色で)え?こ、これをやるんですか?』
『・・・え?う〜ん、いや、ま、まぁ、いいです、あいまいで。あいまいな感じで』
ってなるのよ」

ハッキリと、こうしてくれ、という演出ではないんですか。

「黒沢清さんの演出って、『カリスマ』も『ニンゲン合格』のときもそうなんだけど、
『向こうからトントントンと来て、グラスを置いて、そのままセリフを言いながらフレーム・アウトしてください』って感じなんですよ。
だから、最初、黒沢組に入った人って戸惑うんだって。自由にやれちゃうから、『どうして?なぜ、私はここに座らなきゃいけないの』とか、
『なんでこのタイミングで水を飲まないといけないのか』とか、最初は戸惑うみたいですね。
役者は、演じたがっちゃうでしょ。
それが、上がったフィルムを見ると、
『あっ!すべては黒沢マジックのなかにあるのかぁ』みたいなね」

ホントそうですよね。
あの『ドレミファ娘』のオープニングも、なんともいいようのない表情というか、あの年頃の女の子の持っている苛立ちというか不安感というか、
そういうものが、そのまま出てるっていうのがあって。あれでグッと引き込まれますよねぇ。

「本当?ありがとう」


★洞口依子は変わったか

ちょっとここで、GOROの頃のお話もおうかがいしたいんですが、こういう文章を持ってきたんですよ。
「いまはソラシド」って、85年12月号の依子さんのグラビアに付いていたキャプションなんですが(文章だけをテキスト化した資料を手渡す)。

「これは、当時の編集の男の人が一生懸命、女の子の気持ちになって考えたものですよ」

依子さんが書いたものではないんですね。

「ちがいますね。編集のかたが私に取材したのを、頑張って書いたものですね」

これ(生まれた家にあった薄暗い空間や、ゴミ焼却場の煙突など、殺伐とした物に魅力を感じる、
といかにも当時の洞口依子さんが言いそうなことが書かれてある)なんか、
あの当時の洞口依子ファンにアピールするような像をピッタリとらえてありますよね!

「私は、GOROという雑誌の激写で回を重ねて、グラビアを飾れたことは、すごくうれしかった。
あの時代に勢いのあった雑誌だし。
それからどんどん『朝日ジャーナル』で、筑紫(哲也)さんが『新人類の旗手たち』という連載で取材してくれたり、
それでちょっとは、『お、サブカル、これでイケルかな?』って(笑)」

80年代半ばくらいのね。
その頃・・・篠山紀信さんのお写真の頃からでもいいんですけど、今その頃をふりかえって、
『私はすごく遠いところに来たな』っていう感慨がありますか?
それとも逆に『あんまり変わってないなぁ』って(洞口、うなずく)・・・あ、変わってないと思いますか。

「アタシは、変わってないとおもってるんですけどね。
いつまでも篠山さんの前でキャッキャッってハダカになれちゃう女の子だし、『子宮会議』で久しぶりに(帯の写真を)撮ってもらったときに、
『やっぱり、この篠山さんに撮ってもらいたい!』って思った。またやりたいって思った。
感覚が合うんですよ。
それは、『子宮会議』のスタッフもそうで、私がヤンチャだった子供のころから知ってるから、気心が知れてる。
みんなも『依子はいつまでも依子だよ、いつでも可愛いよ』って言ってくれると、うれしくなる」

それは本当にそのとおりですよね。まぁ・・・(自分も同じことを言いたいのだけど、照れて言葉を飲み込んでしまっている)

「かわいくない時期があるんですよ!ちょっと変に大人びてしまったときとか。
でもそういうときは、「可愛くないっ」とか言うし。正直なの」

あ・・・そうなんですか。
まぁ・・・こう・・・映画やテレビとして映ってるぶんには、こういうのも魅力かなぁと思うんですけどもね。
じゃ、自分が劇的に変わったというふうには思いませんか。

「うん。むしろ、変わってないから・・・大丈夫かなぁ。着てるものもほとんど変わってない。
いま着てるものも、10年20年くらい前に同じようなものを持っていたと思う(笑)」

(笑)結局選んじゃうわけですね、同じようなものを。


★独りであるということ

『子宮会議』を読んでいると、人とのつながりを求めるところと、それと正反対の、独りでいたいという部分と、両方感じます。
依子さんは、いつもそういう部分を持ってらっしゃるのかなと思うんですが。

「みなさんもそうなんじゃないですか?
いつも誰かと一緒にいたいかと言ったら、そうでもないし、独りの時間が大切だと思うし」

あんな大変な状況に陥って、誰かにすがりたいという気持ちは当然あるんでしょうけど、
そういう中でもまだ独りを大事にするっていうところがあって、面白かったんですよね。

「私、ちっちゃいときからそうかも。子供部屋もちゃんとあったし、どんなに狭い団地に住んでいようが、
大人は大人の世界、子供は子供の世界っていうふうに分かれてたし。
だから、そういう『個』がありましたね。
区別なし、っていうのは、ちょっと・・・すいませーんって感じですね」

誰かと一緒にいたいという気持ちと独りがいいという気持ちとか、少し前の話題ですけど、
単純にハッピーなだけじゃなく、そうじゃない部分もほしいとか、依子さんのお芝居にも、
そういう感情がミックスされたようなところがあると思うんですけどね。

「・・・猫だね、いまの話だけ聞いてるとね」

あ、動物だとね。

「かまってほしいくせに、ちょっと相手にされると、ヘソ曲げちゃう。猫みたいに可愛くないんだけどさ!」

いやいや、そんなことないですよ!

「他人に必要以上に入って来られるのが好きじゃないから。
私、断れないんですよ。いいですよって、断りきれなくなっちゃって。ドンドン入ってきちゃう人っているじゃない。
で、私は自分で対処のしようがなくなっちゃって、自滅ボタンがポンと押されちゃう」

距離があったほうがいい?

「と、言いつつも、親に対してだけど、『いつでも私を見ててくれなきゃイヤ!』みたいな(笑)。親がそうだったからかな?」

そういうのって影響しますもんねぇ。

「ま、高度成長の頃って、大人も生きるのにみんな必死だったんだろうねぇ・・・
お遊戯会とか、授業参観とか、来てくれないから、いつも凹んでる・・・せっかくの晴れ舞台なのになぁ、って。
たまに見に来ると、ケチョンケチョンに言われて」

厳しかったんですねぇ。

「厳しいっていうか、ハードルが高いんですね。いつもボロボロのダメ出し。
だから誉められたいし、いつも見ててほしいし」

いっぽうで、距離をおきたいっていう・・・

「それがないと、人間関係が成り立たない気がする・・・どうなのかな。わかんない(笑)」

うん、そうですね。
それはそうなんですけど、ただ、年齢とともに、どこかそういう気持ちと折り合いがつく人も多いですしね。
とくに、俳優のかたなんかでもね、若い頃にそういう感情を多く出している人でも、
徐々にそういうのが表に出なくなる人がいると思うんですね。
でも、洞口依子さんの場合は、ずっとそういうものがあると思うんですよ。

「変わりようがないんじゃ?」

うーん、すごくいい意味でトゲがあるっていうか。

「そう?気をつけて、じゃあ!」

(笑)もう傷だらけになってますよ。

「(笑)えーっ!そうなの?私そんな、夢影さんを傷だらけになんかしてないよぉ?」


★ビートルズとの出会い

(笑)えぇっと、先を急ぎますね。
依子さんはすごく音楽がお好きで、ミュージシャンになりたいと思われたことはなかったんですか。

「(きっぱりと)ありません」

なかったんですか?

「はい。聴いているだけです」

実際に楽器は演奏されてたんでしょう?

「聴いてるほうが好きでした」

たとえば、ビートルズの、最初「アイ・フィール・ファイン」を聴いて衝撃を受けたそうですけど、
彼らの音楽もヘビーな方向性のものってありますよね。
たとえば、ジョン・レノンなんかの、すごく内向的な世界なんかは、どうでした?中学、高校のときに。

「やっぱり、人間が成長していく間に、いろいろな心のヒダがどんどん増えてきて、膿が詰まったりとか、欠けたりとか、
人との出会いでツブツブになったりとか、いろいろあるんだろうなぁ、っていうくらいには思いましたけど、
まだ子供だから、外人だからめちゃめちゃ大人に見えたし。
歌詞の意味というよりも、音の雰囲気が好きでしたね。
後期ですね、歌詞の重みが政治的だったりするんだなと理解できたのは」

そうですね、ただ、歌詞もそうだし、音の作りが変わってくるっていうのは、
内面的にも複雑になってくるっていうのがあったと思うんですけどね。

「そうですね」

そういうのを聴いて、「私もこういうことをやりたい!」とは思わなかったですか。

「思いません」

それは、ジャックスでもピンク・フロイドでも?

「聴く専門。
ただ、楽器は好きなんですよ。中学生のときも。ヘタながらもコピーをやってると、
へぇ、こうやって弾けるんだぁ、って思う実感がおもしろくって。音楽っていいなって」


★『ドレミファ娘』は特別な作品

ミュージシャンに対して持たなかった憧れを、女優に対して持ったわけですよね。

「でも最初は、女優もどうかなと思ったんだけど。
やっぱり『ドレミファ娘』に出て、初めてスクリーンの大画面で自分の顔を見たときに、決定的にやられちゃったかな。
『ドレミファ娘』があったから、決めましたね。あれが『ドレミファ娘』でなかったら、続けてなかったかもしれませんね。
それだけ衝撃的。いい意味でも悪い意味でも」

(深くうなずく)えぇ。

「あれがデビュー作って、けっこうたいへんだね、って言う人もいるしね」

それは、ご自身でもそう思います?

「たまに、ね。
でも私は、『ドレミファ娘』がデビューでよかったと思ってる」

それはそうですよね。それに、その後も、あれ以上のものはあると思いますしね・・・
ただ、やっぱり、特別ですよね。それはもう、ファンから見ても特別ですよ。

「・・・ありがとう」

あの映画以上に魅力的な洞口依子がいる映画ってのはあるんですけど、でもやっぱり、あれは特別だと思いますね。



★洞口依子の才能はマルチか

最後の質問です。
これだけいろんなことをキャリアで積まれても、洞口依子さんってマルチな感じがしないんですよ。
じゃ、マルチって何かってことになるんですけど、少なくとも、器用にやってるようには思えないんですね。

「器用じゃないと思う。不器用なくせに、あれもこれもしようとしてる。なんとかしないといけない」

でも、あれもこれもって言うよりも、表現されたいことは、ほとんど一つなんじゃないかなって思うんですよ。

「うん。でも、それがわかんない人が多くて、 洞口依子は、作家デビューをするんだろ、とか。
で、ウクレレをやったら、あぁ女優として行き詰まりを感じているから音楽をやるんだろ、とか。
そんな簡単に決めないでよね!って感じだよねぇ。
やりたいことやってて、なにが悪いんだって」

でも、それはね、やってることが箸にも棒にもかからなかったら、誰もなにも言いませんよ。
やっぱり、やってることにインパクトがあって、すごいからですよね。
そうじゃないと、誰もそんなこと言いませんよね。

「しまいにはさ、『監督やれ』とかさ。カンベンして〜!」

監督は無理ですか?

「(無言で渋い表情を浮かべる)」

個人的には見てみたいですけどね。依子さんが監督されてる映画。

「あ、夢影さんが見たいの?」

ちょっとは、やりたいという気はないですか?

「(顔を近づけて)ま、ちょっとはね!(笑)」

(笑)ちょっとは、あるでしょうね。依子さん、映画好きですもんね。

「(映画を見ていて)イライラするときあるよね。
こんなところでスロー使うのかなぁ、役者の心理がわかってないなぁ、とかさ(笑) でも、そうやって見るのは楽しいけどね」

あえてそれを自分がやろうとは思わない?

「役者がやるのは大変です。役者がやって成功した例なんて、伊丹さんくらいしかないんじゃないですか?」

でもたぶん、これからいろんなことに幅を広げていっても、どれも洞口依子の表現になると思うんですけどね。

「そうだねぇ。そうしていくように、頑張ります」

ぜひ、そうしてください!

「たぶん、あと10年20年30年、元気にやってたら、ずっとやってると思いますので、
(インタビュアーを手招きするしぐさで)『ついてこいよ!』みたいな(笑)」

(笑)あ、はい!もちろんです!
なんか、すごくいい閉めの言葉をいただきましたね!
ありがとうございました。

「いえ、とんでもないです」

 


(2007年8月4日 渋谷 茶亭 羽當にて)
*この記事内で使用されている写真は、洞口依子様に許可を得て撮影、掲載したものです。無断転用は固く禁じます。 


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