Fantastic
Voyage
『子宮会議』の殻は割れて、新しいものに生まれ変わった。そのかけらがキラキラ光って美しい夜だった。
洞口依子著『子宮会議』の文庫化を記念したライヴ。
通常のリーディングセッションのパートナーであるファルコン(ギター)のほかに、
ヒカシューから坂出雅海さん(ベース)と佐藤正治さん(パーカッション、声)、
さらにベリーダンサーのプラハさんにパイティティの石田画伯も参加し、音の祝祭が繰り広げられた。
女性と子宮との対話。
そこにもう一人の女性と男たちが、言葉を用いず音と舞をインプロヴィゼーション(即興)で重ねる。いや、「ぶつける」と言ってしまったほうがいい。
いつもならそこにあるはずの包み込み癒す感覚は薄く、緊張感と追い立てるような気魄がみなぎっている。
こんなリーディングセッションは見たことがない。
面食らった人もいたかもしれない。私も、始まってすぐは戸惑い、やがて徐々に惹き込まれていった。
情緒を排して飛び交うギター、キイキイとさえずるような声、元の楽器の音から想像もつかないベースとパーカッション。
即興の妙なんて生やさしいものではない。一触即発というのでもない。
重くテンションは高いが、不思議な解放感とユーモアがある。これは私があの本から受ける印象そのものだ。
何が起きるかわからないスリルと怖さ、その中で真剣にぶつかってゆくさまを、私は尊いと思った。
そしてそれを見て聴く快楽に酔った。
一人の人間の内奥へ潜り込む、野郎どもと女たちのファンタスティックな旅。
まるで『ミクロの決死圏』だ。
この渦に身を任せていると、男だ女だ、といった物差しではなく、自分は一人の、人間の子供なのだという安心と孤独が同時に内側から湧き起こるのを止められなくなる。
それこそが私がいつも『子宮会議』という本の中心に見るものなのだった。
洞口依子さんの朗読は朗読の規格を飛び越えていた(最初戸惑ったのもそこだった)。
一言一言にかかるイマジネーションの全体重と集中力がかつてないほど深く伝わる。
ライヴ後半、戸川純の作法で歌われたアルディの「さよならを教えて」にも、それは一貫していたと思う。
この夜、彼女は終章の「ただいま」から次のステップへと進んだ。
多くの人がそこで気持ちを解放され、ある種カタルシスをもたらしてくれる「ただいま」の言葉を越えた。
文庫版のあとがきにある言葉を、たからかにシャウトしたのである。
「アロンジ!アロンゾ!」と。
これには不意をつかれるていで、目を潤ませてしまった。
言葉の持つ意味もある。由来もさらにある。
しかしそれ以上に、この夜の彼女は、声で、表情で、いや全身で、完璧にこの叫びそのものだった。
大きく残酷な否定のあとにやっと手に入れた肯定の輝きだ。
そこには彼女の演じる姿があり演じない姿があり、その二つを分かつことができないくらい、「洞口依子」だった。
私は、『ドレミファ娘』よりも『部屋』よりも、今この言葉をシャウトする彼女の姿が見れたことがとても嬉しい。
こんなサイトやっている人間には適切ではないのかもしれない。でもそれが私の偽らざる思いである。
この言葉にベースが奏でるフレーズも、また凪ぐように穏やかで優しいものだった。
ときどき、チャレンジをやめない彼女のことが心配になることがある。
「ただいま。」と帰った先は安らぎの場所ではないのかと。
しかし、どうもそうではないようだ。
そして私もそうでないと知っていたような気がする(ずいぶん都合のいいハナシだが)。
そうではないからこそ、その表現すべての瞬間の中にいる洞口依子が好きなのだと思う。
願わくば、彼女の新しい航海が平坦なものに留まらず、真にファンタスティックなものとなることを。
絶対そうなると私は確信している。
Bon
Voyage!
(2011年1月25日 改稿) |