『洞口依子映画祭』@シネマヴェーラ渋谷 イベント・レポート
11月15日(日)
YORIKO |
この日、洞口依子さんは、珍しく朗読の序盤から感情の高ぶりを抑えきれなくなったようでした。
朗読のあとには、『子宮会議』執筆の経緯を生原稿などを披露して語る時間があって、
執筆時の自分がいかに張り詰めていたか、家庭内での家族の気配りや、
親しい人を傷つけてしまった後悔を口にする時に、彼女は大粒の涙をこぼしては拭っていました。
読むパートもまた特に重い描写が続きます。
診察から宣告への流れと、それを受け止めきれない自分を冷酷なまでに突き放して見つめる言葉が、
つぶてのように客席に投げ込まれます。
その言葉の表現力がそのまま気持ちを引き上げていったのか、
途中から感情の出入りする弁が決壊したかのように、声の調子が揺らいでゆきます。
あれは涙で文字が見えていないんじゃないか、などと冷静に見ていたわけではありませんが、
感情に流されるのではなく、それと真っ向から戦っている姿、もがく様がさらけ出されて、壮絶ですらありました。
その朗読のテンションに客席が引き込まれていくのが、すぐ隣りから、最前列から、最後列から、伝わってきます。
どこかで一度中断して仕切りなおしてくれても、誰も文句は言わなかったはずです。
でもそれは「リーディング・セッション」の一回性から大きく外れることになるし、
なにより、そんなふうに声の震えまで聞こえるほどの今回のパフォーマンスにも、
その瞬間瞬間にしかいない洞口依子が見えて、その彼女と向き合うことを誰も止めたくない、
そんな極度に集中した空気が流れていました。
ファルコンには難しいセッションだったんじゃないか、と思って後から彼に聞くと、
「なにも考えなかった」。
「どんなふうに音を付けようとか、いっさい考えませんでした。
ネックに当たるライトの反射を見て、それに入り込んでしまって、何が起きてるかもわからなかった。
瞑想しているみたいで、帰りの電車の中でもまだ抜け出せなくて、駅に着いてからはじめて我に返ったくらいでした」
ギターはかなり早い段階から音数をどんどん絞っていって、
やがて無音(「休符を弾いている」と彼はよく言う)が続くようになりました。
そしてエンディング近くから再びフレーズを弾きだした時の音の柔らかさが、
朗読の声の高まりとまるで別の世界から響いてくるようで、
聞いていてフワリと体を持ち上げられた心地がしました。
ちょうどそのとき、依子さんが最後の段に行く手前で、「あとがき」から数行を拾って読み出したんです。
これが25周年を意識してのことだったのかどうか、私にはわからないし、詮索にあまり意味があると思えません。
ただ、この「あとがき」のいちばん後ろには母親への感謝の辞が書かれています。
短い、普遍的な思いが綴られた散文です。
この一文が読まれたところで、ギターの音色の優しさとあいまって、
何度も試して開かなかった鍵がやっと開いて家に入れたような安堵をおぼえました。
そして「ただいま」という言葉が、今日も客席に向けられたのでした。
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