『洞口依子映画祭』@シネマヴェーラ渋谷 イベント・レポート
11月14日(土)

YORIKO
"25é anniversaire"

DOGUCHI
FILM FESTIVAL

@シネマヴェーラ渋谷 
2009/
11/14(土)
   
<上映作品>
『CURE キュア』
『ドレミファ娘の血は騒ぐ』

<スペシャル・イベント>
黒沢清 x 洞口依子

(「INTRO」サイト掲載:「洞口依子インタビュー・シネマヴェーラ特集上映によせて」も併せてどうぞ!)


黒沢清監督と洞口依子さんとのトークイベント。
そして、この日の上映作品は『CURE』と『ドレミファ娘の血は騒ぐ』。イベントの直近は『ドレミファ娘』。

となれば超満員の場内。
朝一番から観つづけていたかたもいて、開放された入口のドアのギリギリまで人が詰めかけています。

私は扉の外にいたのですが、142席のホールに入った200人以上の後ろ姿を見れたことは、この上ない喜びでした。
みんな待ってたんだよなぁ、映画祭やってよかったなぁと思える時間でした。
だから、たとえトークの声しか届かなくとも、あの場所は特等席でした。

洞口依子さんのデビュー25周年ということは、『ドレミファ娘』撮影から25年ということでもあります。
ステージに招かれた黒沢監督と依子さん、そして、この日、司会進行を務めていただいたのは、
アジア映画を多く紹介される映画評論家の暉峻創三さんでした。
『ドレミファ娘の血は騒ぐ』で、秋子の気を惹こうとキャラメルをあげたり、
レコードを貸そうとして「いらなぁい」と可憐につれなくされる「テルオカくん」その人です。

つい今しがたスクリーンで観たばかりのあやしい青年、テルオカくんが、
「『ドレミファ娘の血は騒ぐ』でテルオカを演じました暉峻創三です」と挨拶した瞬間、思わず「おーっ」と声をもらした人もいたそうです。

依子さんは、先ごろ万田邦敏監督が出版された『再履修とっても恥ずかしゼミナール』を広げて顔を隠し、
「万田です」と自己紹介(静かにウケている人たちがいた)。
『ドレミファ娘』の制作レポートも収録されたその本にふれて、あの作品に洞口依子さんが起用される経緯が
監督と依子さんの両方から語られます。
このイベントは、こういう、当時のエピソードのステレオ再生がスリリングです。
そこに暉峻さんが軽いツッコミを入れたり入れられたりすると、暉峻さんのあの映画と変わらない声と口調も助力して、
なんともあやしげな、サラウンド・トーク効果が生まれます。

依子さんは、『ドレミファ娘』のオーディションを受ける前からディレクターズ・カンパニーの名前は知っていたけど、
『神田川淫乱戦争』は観てなかった(ようやく成人映画館に入れる年齢になったところ!)とのことなので、
世代的に大森一樹、石井聰亙監督あたりの作品を見知っていたのでしょうか。
ロマンポルノと聞いて躊躇はあったものの、伊丹十三氏が配役されているし、なにより黒沢監督の「黒曜石のような」眼を見て、
この人なら信頼できそうだと思った、というなかなかいい話です。

これを受けて黒沢監督の依子さんの印象は、「とにかくイヤイヤ受けに来ているのが顔に出ていた」とのことで、場内は爆笑です。
「新人というと、笑顔、笑顔の売り込みが多いなかで、それが逆に心に残って、この娘に賭けてみようと思った」と。

この映画から数年後、テレビ局を訪れた監督はそこで偶然『時にはいっしょに』を収録中の依子さんと遭遇。
「まだデビューして間もないのにすでに大女優の風格があって、並み居るベテランたちをも『洞口さん待ち』させていたように見えました」
依子さんは苦笑いでこれを打ち消し、「ちがうんですよ!誤解なんです!」、そんなふうに見られるけど、そんなことはないんですと否定しますが、
暉峻さんが、「ぼくも、いつ洞口さんにひっぱたたかれるかとビクビクしてました」との駄目押し発言。

映画のマジックって、裏側を知りすぎないほうが幸せなことが多いのかもしれませんが、これだけ時間がたてば、
またそれも観客にとってはファンタジーに転化するのでしょうか。
こんなやり取りを黒沢監督が隣で見て微笑んでいる、そんな空間がお祭にぴったりです。
どんなメイキング特典も、このライヴ感にはかなわない。

撮影の初日、最初のカットで、まったくの新人だった彼女にいろいろと動きをつけたところ、「全く良くなかった」と監督。
依子さんは、「初めて踊りの所作を習ったみたいに、言われたままの動作をしようとしてぎこちなくなった」。
ところが、「『好きなように動いてみてください』と指示したところ、その瞬間にすべてが変わった」

この発言は、『ウクレレ PAITITI THE MOVIE』でも黒沢監督が語られています。
依子さんは、そこでの監督の「彼女は女優だったんです。自分では気づいていないけれども、彼女は女優だった」というコメントがとても嬉しかったようです。
ラスト近くの海辺のシーンについて、依子さんの証言。
監督が秋子の表情について一度指示を出して、「あ、やっぱりいいです」と引っ込めたことで、よけいにそれが気になってしまったこと。
あのシーンでの依子さんの、なんとも形容しがたい困惑を湛えた微苦笑の、これが秘密だったりして。
さらに依子さんが、『勝手にしやがれ!!』でも同様のことがありましたね、と付け加えます。

そしてあのルノワールとゴダールが鉢合わせになったようなラストシーン。
暉峻さんの証言、「彼女が歌うまでに、走らせて走らせて、大変なことをするなぁと思いました」。
依子さんの回想、「まだタバコを吸ったこともなかったのに、
『機関車(フランス映画でよく見られる、煙りを吹かしっぱなしでくわえるスタイル)をやってください』ですからね」。
それに対して、監督の苦笑する声が聞こえて…それはもう幸福な時間を過ごさせていただきました。

『ドレミファ娘』での依子さんの歌。
「監督に、『下手でもいいから、堂々と歌ってください』と言われました」
『ニンゲン合格』のときも彼女が歌うシーンがありましたが、そちらはフルバンドの生演奏をバックに従えてのワンカットで、数テイク撮ったそうです。
「下手でもいいから、堂々と」は、「下手だからせめて堂々と」などではなく、「堂々と歌っているあなたが映画的ですばらしい」ということだったのでしょう。

最後に依子さんから監督への質問。
「恋愛映画は撮らないんですか?」
黒沢監督の恋愛映画、私も観てみたいんですが、どうなんでしょう。
監督の答えは、「ぼくは恋愛ものを撮るより、アクションやホラーに惹かれる」といったものでした。
『ドレミファ娘』や『トウキョウソナタ』での手のアップなんか見ると、
でもやっぱり一度くらい…なんて考えてしまうんですが。

これは『ドレミファ娘』という映画に似つかわしい言い方かどうかわかりませんが、このイベント、恩師と生徒が語り合っているような温かい雰囲気が流れて、
それが観客の気持ちを和ませてくれます。
もっとも、そこに落ち着かないのがこの3人のこの人たちたる所以なのだと思うし、それを知っているから、ファンも和むのに照れながら、でもやっぱり顔がほころんでしまう。
私のように、そんなほころびを他人に見せるのに25年かかった人は、ほかにもいたんでしょうか。 そんな人ばっかりだったりして。
そんなふうに思うと、この25周年というのは、私やここに集まった人の多くにとっての25周年でもあったんだよなと、
エレヴェーターに乗り込む人たちをちょっとまだ帰したくない気持ちにもなったのでした。 さすがにそれは何十年たとうとできないけど。

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