風は、「地獄先生」のPVの中でも、中からも、客席に届くほどに伝わってきます。
ほかの冨永監督の作品でも印象的な山の緑を、木々を抜けて、ナースたちが休憩する屋外の喫煙所に面した部屋のカーテンを揺らし、
ひとり際立って目を惹くナースのタバコの煙りを立ち上がらせては空気に潜りこませる。
遠慮がちに会釈しながらなんとなく遠巻きに気をつかっているほかのナースたちの前を彼女が歩いて進むにつれて、
画面に不穏で危険な香りがどんどん広がってゆく。
劇場の大画面に映る彼女は、ほかの作品での依子さんとくらべても何ら遜色がありません。
いや、これは近年の傑作のひとつと言っていいくらいの出来だと思います。
そんな「作品」の作り手である冨永監督のご登壇は願ってもないイベントだったのですが、
残念ながらこの日、監督は新作のクランクイン直後とあってお越しいただけませんでした。
そのかわりに、と映し出されたのが、つい数時間前に撮られた監督からのお詫びとお祝いのビデオ・メッセージ。
意外にも、というか、これが作品のテイストからも伝わる冨永監督らしさに満ちたものでした。
メッセージの内容は、
当サイトにも寄せていただいたものをさらに具体的にしたお話。
さらに、依子さんがジャンヌ・モローを彷彿とさせる、と感じた監督が、
いちばん「らしい」表情で色調をヌーベルバーグっぽく変化させてみた、といううれしくなるような裏話。
そして私が共感のあまり笑いをこらえきれなかったエピソード。
もともと2時間サスペンスで洞口依子さんを「発見」した中学時代の冨永監督、
『愛という名のもとに』の大人気でクラスで話題になっていたときには、あえて興味がないふりをしていた、というものでした。
『パンドラの匣』が最近作ということもあって、あの作品での依子さんについて触れたコメントもうれしかった。
冨永監督は、あの母親は太宰にとって理想の女性像だったのではないか、と解釈されたんですね。
そう考えると、あの作品には魅力的な女性がたくさん出てくるなか、お母さんの存在って独特です。
あのプレゼントの場面でのお母さんが、健康道場の中にいる助手さんたちとは別の、
外部からやってくる色あいの異なる女性としての印象が強くて、
それでプレゼントの場面があんなにいたずらっぽい可愛さで輝いているのも、そういうことだったのか!と得心しました。
冨永監督のこのビデオ・メッセージは、できればもう一回観てみたいくらいおもしろかったです。
撮影の準備に追われるスタッフの声が時々聞こえてくるのも、不思議な臨場感がありました。
そしてスクリーン前に、パイティティの石田画伯、ファルコン、依子さん、そしてヒカシューから坂出さんがそろい、
いよいよ相対性理論のやくしまるえつこさんの登場です。
いっときに比べると増えたとはいえ、なにしろほとんどメディアへの露出がないやくしまるさん。
彼女は『ドレミファ娘の血は騒ぐ』のファンを公言されていますが、そうでなくとも、
相対性理論の音楽と彼女の歌声のとらえどころのない魅力には、
依子さんがスクリーンの上で放ち続けてきた他に換えがたい個性と存在感と響きあうものがある。
この日は、パイティティとのセッションという形で、それが直に音として伝わりました。
演奏されたのは相対性理論の曲。「地獄先生」「スマトラ警備隊」「LOVEずっきゅん」でした。
なんという声・・・むかしマイルスのトランペットを「卵の殻の上を歩いているようだ」と評した人がいましたが、
か細いからというだけではなく、存在そのものに耳をすませて聞き入って、その人の在りように近づきたいと思わせる。
そして、繊細でありながら大胆。
そんなパラドックスの渦巻く声が、細かいアルペジオがモザイクのように組まれるウクレレのアンサンブルと、
調和しながら挑発をかけてくるのがスリリングでした。
画伯が「地獄先生」の途中で「チューブラー・ベルズ」のフレーズを引用していましたが、
単にコード上の偶然というよりも、新しく整った「地獄先生」の曲想から導きだされた感がありました。
「地獄先生」に「チューブラー・ベルズ」。やられた。
そしてそんなヒネりを加えてもなお凛として崩れないこの曲の強さってなんなんだ。
「スマトラ警備隊」「LOVEずっきゅん」では、ファルコンと依子さんの裏を打ちまくったシンコペーション!
全曲、アレンジは坂出さんで、「地獄先生」のベースは私にはロン・カーターっぽく聞こえてカッコよかったです。
この日のイベントは、最初に書いたように『パンドラ〜』が生んだコラボレーションの賜物だと思いますが、
またこの場所にヒカシューの坂出さんと、洞口依子さんと、相対性理論のやくしまるえつこさんが並ぶ、
この事実を思い返すと今でもドキドキしてしまいます。
世代の差を音楽がつなぐ、時代が一周する、というよりも、感性が強度を失うことなくリレーを続けている、
そんなしぶとさが、こんなにしなやかに表現された場が「洞口依子映画祭」であったことがうれしいです。
この日のライヴを見たひとは、ぜひ自慢しちゃってください。