依子さんが登場したときに、わぁ、という声が漏れ聞こえましたが、「あ、先生になりきってる!」という声ですよね。
じつは集会がスタートする前に、集まっていただいたみなさんにチョークを取っていただき、
黒板に猫の肉球の絵を描いていただいたのだけど、なぜかドラえもんはいるし、
「とうとう来ました」とか書くお調子者はいるし(クラスに一人はいる…私がやりました)、
「グラフィティ」なんて気の利いた言葉を知らなかったころに戻ったような落書き黒板の前で、
依子先生は出席簿をめくって出欠をとりだしたのでした。
1時間目は『子宮会議』のリーディング・セッション。
教壇上の蛍光灯をのぞいて、まっくらになった教室の、机と机のあいだを歩きながら読み進める先生。
今回朗読されたのは、退院後の夫婦関係の変化から以降の部分でした。
大阪でのリーディング・セッションでもこの部分がおもに読まれたのですが、
そのときと同様、今回も男性の参加者の姿が見えます。
子宮頸がんという病気をなかなか実感としてつかみにくい私にとっても、腹の奥にまっすぐに飛びこんできて突きささる部分です。
ファルコンのギターもそのあいだはほとんど音を鳴らさず、重い現実が淡々と語られます。
今回のリーディング・セッションは完全なアンプラグド、肉声とギターの生音だけでした。
すべての音がクリアに届くのではないのは不利ばかりかというと、そんなことはなくて、
ことにこの教室のスペースでは、それが自然に聞こえました。
そしてその自然さが、残酷でもあるし、温かみにも感じられます。届かないから心が騒ぐ。
今回はそれがよかったですね。
やっぱり、「ただいま」で泣いているかたもいました。
あの言葉には本当にいろんな気持ちを重ねてしまいますね。
2時間目は、いきなり「転入生」の紹介です。
笑顔で教室に入って来られたのは、高橋都先生でした。
しばらく、依子さんとの掛け合いで「転入生」を演じられていたのが可笑しくて、場が一気にほぐれました。
依子さんも最初は高橋先生を「生徒」として話をつづけていましたが、「先生」は「先生」なもんで(笑)、
途中から「あ〜、もう、『高橋先生』でいいですね」と路線変更。
私も、これはとくに役にこだわる必要はなくなったと思います。
なぜなら、そんなことをしなくとも、高橋先生のお話は気さくでユーモアたっぷりで、
依子さんとの対談も聞いていてリラックスさせてもらえるものだったからです。
このお2人はつい最近『がんサポート』誌で対談なさったところで、
そのときのテーマであった「子供を持ちたいという気持ちとどう向き合うか」について、この日も少し話されました。
そのときに、これは発言するのにすごく決意が要ったんだろうと思うんですが、参加者の女性が、
ご自身の非常に障壁の多い育児状況をもとに、とても切実なご意見を述べられたんです。
それは、たとえば私なんかが、「子供を生めないつらさ」として、すんなりと理解したような気になってしまいがちなことに、
いやそれだけがすべてではないんだと、ご自身の痛みを持って伝えていただいたような感がありました。
そして、これとはまた別に、ご自身が闘病する女性が、ご高齢のご両親の心配と気遣いにどう向き合えばいいのか、
と悩まれている姿にもいろいろな思いがよぎりました。
高橋先生と依子さんのやりとりに、違う視点から質問された女性のご意見も強く印象に残りました。
そんなふうに、ただディスカッションにうなずくだけではない意見交換の場となってよかったと思います。
教室のスペースも、そんな場としてちょうどよかった。
また、パートナーである男性と別れなければならなくなった女性のお話もつらかった。これは本当につらかったです。
支えを必要とする状況のときに相手に去っていかれる苦しみを耳にして、男性としても人間としても、
自分はそうはならないと信じたいのだけど、すべての人にそれが100パーセント保障できるかというと、
そう言えない自分に気づいてしまう。そんな自分に戸惑いをおぼえる。
そしてそれは、女性から男性に向けての声というだけではなくて、病気の例が変われば、その逆だってありうることです。
それが現実としてあることを、わかってしまうだけにやるせなく思えます。
対談の終わりのほうで、忌野清志郎さんの「がんはロックだ」という言葉が話題にのぼりました。
がんに限らず、病気や災難というものは、その人が抱えている問題をむごいくらいに鮮明に浮き上がらせて、
それと向き合うことを余儀なくする。
でも、もしもそのなかに力を見いだす可能性があるとしたら
---私がそうなったら、はたして見いだせるか自信もないのですが---
もしかしたら、その「向き合う」ということから獲得できるのだと信じたい、
お2人が話されていた言葉の意味はそういうことではないかと思います。
でも、それはこうして簡単に書いてしまえるようなヤワなものではないですね。
集会は、短い休憩のあいだに、日直の米澤さんがお手本を示してのヨガ教室をはさんで、
ふたたび依子さんとファルコンがウクレレと歌で、清志郎さんがモンキーズの歌に日本語の歌詞をつけた
「デイドリーム・ビリーバー」を演奏して幕を閉じました。
「ずっと夢をみて 安心してた ぼくはデイドリーム・ビリーバー」という詞は、
日本語の歌のことばとして極上のものだと思います。
こんなふうに、あらゆるシチュエイションで人の生活の一瞬に「響く」ことばはめったにない。
依子さんが、最後に「彼女はクイーン」と歌われるところを「彼はキング!」と、
清志郎が聞いたら相好崩しちゃいそうなくらいの笑顔で歌い捧げたことを、私は忘れないと思います。
「