『テクニカラー』(2010)

無知をさらすようで恥ずかしいけれど、楽屋の鏡台の前に置かれている写真、小さくてよくわからなかったが、あれは誰なのだろう。 
ジンジャー・ロジャーズ?『寄席の脚光』のジュリエッタ・マッシーナ?
カバンひとつで安いビジネスホテルをその日暮らし、場末のパブでまばらな客の拍手をもらって糊口をしのぐマジシャン母娘の、
しゃべくり担当のお母さん・ハルミが自分を投影するには、そのポートレイトはあまりに落差があります。

にもかかわらず、舞台でのハルミは活き活きと弾けています。 このハルミを演じる洞口依子さんがすばらしい。
若い女性監督の短編を上映する『桃まつり』で上映されたこの映画は、まず最初に「うそ」というお題があったとのことで、
マジックという見世物にとどまらず、セリフのやりとり、衣装や電話や絵など、
目を凝らして見ているとあちこちに「うそ」が仕掛けられていて、意外性を呼びます。
しかし、洞口依子ファンにとって一番の驚きはこのハルミという役を演じる彼女の弾けっぷりにあるでしょう。

魔性の女、悪女、ファム・ファタールといった役柄で鮮烈な印象を焼きつけてきた彼女だけど、
じつは意外にもというか、コメディーやコミカルな役どころを演じることも多いです。
おもにテレビドラマでは、育児を放棄して恋人と温泉宿にしけこむ母親を演じた『
好き』や、
思春期の息子の非行に手をこまねきながらも何もしない母役の『
ディア・フレンド
』など、
意志が弱く自分で決めることができずに他人に甘えっぱなしの親を演じて、見る者を呆れ笑いさせることも少なくありません。
『テクニカラー』のハルミ役には、そうした過去の作品での彼女を重ねることができるのですが、
それをここまで乾いた躁状態のユーモアで演じきっている映画はほかにありません。
しかも、彼女のもたらす笑いが、ハルミという女性像に親しみやすさだけではなく、
つかみどころのない不確かな色あいを与えているのが、洞口依子さんでなければ表現できない味です。

そしてこの色っぽさ。
洞口依子ファンサイトを銘打っておきながら、「今度の彼女は色っぽい」などと書くのは自分でもどうかと思いますが、
ハルミの男性関係での行状があえて婉曲的に仄めかされるときの、含みをもたせた色っぽさは、
やはり特筆すべきものがあります。
とくに家庭訪問のくだり。 ちょっとちょっと、お母さんってば。 思わせぶりでかなり笑えますね。

おもしろいことに、このお母さんには舞台と実生活との虚実の境目というものがあまり窺えません。
たぶん、ペーソスがほとんど持ち込まれていないことも大きいと思うのだけど、
母ひとり娘ひとりの生活を、清濁あわせ飲んでしっかりと生きているその足取りが、舞台でのステップとつながっています。
それが開巻とともに彼女が登場した瞬間から伝わってくるのが心地いい。
彼女の顔はまだ映らないけれど、それでもその後ろ姿は、この女を演じるのが洞口依子以外の何者でもないことを一瞬にして伝えてしまいます。
手をかざし、うっすらと笑みを浮かべる。 そのどちらも何に向けられているのかはわからない。
けれど、このハルミという女が、映画が始まる前から彼女自身の歩みでその道を歩いてきた足取りがわかるんですね。

そういえばこの映画での彼女の出番は、その場面とあと1つだけが屋外で撮られています。
そして少し味付けが異なるその2つの場面での彼女は、舞台やホテルなど屋内でのハルミのつかめないキャラクターに、
とても凛とした表情と小気味よく引き締まった輪郭をつけてくれます。 

ところで、私はこの母子は、マジックをあの規模で成功させるというあたり、じつは天才マジシャンではないかと思ってしまいます。
あのお母さんはそこに絶対的な自信があるから、ああやってとんでもない前口上を並べることができるのか、
それとも自分にも何がなんだかよくわかっていないのか、とにかく何故だかハルミというお母さんは嬉々としている。
きっと楽屋の鏡台に置かれたポートレイトも、混じりっ気なしの本気なんでしょうね。
随所に虚実を散りばめながら、「うそ」を本気でなりわいとしている人々への、ささやかだけど確かな讃歌が息づく映画です。
船曳監督のような新しい世代の映像作家が、ご本人もおっしゃるように黒沢清監督の作品に親しみながら、
この役を洞口依子さんに、としたその発想のジャンプが嬉しくてしょうがないです。
この映画自体が30分間のマジックショウみたいですね。

船曳真珠 監督・脚本・編集
月永雄太 撮影
田中浩二 美術

2010年3月13日 公開
船曳真珠監督インタビュー)(洞口依子さんが『テクニカラー』を語る

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