雀色時』(1992)

この作品はミステリーの形態をとっていますが、作中での洞口依子さんについて書くためには、
物語の重要な展開について解き明かさざるをえません。
再放送を楽しみにされているかたは、以下の文章をお読みにならないように。

なんて書いて、ブラウザを閉じるかたがどのくらいいるのか自信ありませんが、
依子さんは非常に重要な役を演じています。

浅丘ルリ子さん演じるアルコール中毒の弁護士の一人娘・朋美です。
母とは幼い頃に別れて、父と二人で暮らしてきた娘。

登場シーンが、海沿いにあるレストランで、母娘が刺のある会話をしている場面。
母は、夫の暴力から逃れてキャリアを追うために娘を捨て、揚句は仕事にも行き詰まって酒に逃げています。
そんな母を、娘は軽蔑しています。
母はその視線をはじき返せないのですが、素直に弱さを見せることができない。

ルリ子さんの受け身が見事です。
どんなにぶつかって行っても、すべて最終的に、浅丘ルリ子の華麗な「型」におさまってしまう。

依子さんが点けたタバコを、ルリ子さんが向かいから手を伸ばして横取りする演出があります。
依子さんのあの綺麗な手に挟まれたスリムな一本に、ルリ子さんの細い指が伸びて。
その有無を言わせないルリ子さんの気迫もいいし、そこで一瞬気圧される依子さんも、うまい。
デビューから7年でこれだけの女優に成長したのか、と思います。

ドラマは、少し『失われた週末』を想わせるオープニングから、窓ガラスや鏡、車のフロントグラスにボンネットにいたるまで、
さまざまな物にルリ子さんの姿を反射させてとらえます。

その中で、中盤の、ある重要なカットをのぞけば、依子さんとのシーンでルリ子さんの姿が反射で映るところはありません。
その代わり、このレストランのシーンでは、二人の脚を、鏡のように対称的に撮ったカットが強く印象に残り、
この母にとって娘が鏡の存在であることをも匂わせます。

物語は、ルリ子さんがアル中の発作で入院したところへ元夫の部下、役所広司さんが迎えに現れ
(ラストでの依子さんの入院と対称)、娘と元夫が失踪した旨を告げるところから、
サスペンス色が濃くなっていきます。

雀色時とは、夕暮れの、誰もが家路につく頃のことだそうです。
暗くなるまでに、まだ時間がある。
この母娘にとって、それは壊れた絆を取り戻すまでの時間。
母にとっては娘と自分を取り戻す時間です。

冒頭では、母親の鏡像でもあるかのように、我の強く猜疑心に満ちていた娘が、
じつは元夫の野心の犠牲者であったことが、少しずつ(母の心の中で)わかってきます。

全体の印象からすると、この無垢の像を演じている依子さんは、少しト書きの部分に流されている感じ。
逆に、同情した相手へ恋をし、それがちゃんと肉体を持って表現されるところは、
この時期ならではの若い色気。

依子さんは、この年の頭に『愛という名のもとに』があったあと。
また、翌年には『部屋 』の公開もあるという時期です。
タンポポ 』での黒田福美さんと役所さんを下敷きにしたようなシーンを、役所さんと演じる妙味も、
依子さんなればこその悪戯っぽさ。

さらに、物語が進展し、失踪していた彼女が発見される場面では、娘に手が届かない母親のもどかしい叫びと依子さんの叫び、
そして檻の存在が、母と子供のイメージを、動物の原点にまで還元させます。

この場面での依子さんは『思い出トランプ』のときの下着姿も思わせて、あらためて、この頃の彼女の持っていた、
大人のような子供のような、洗練されているような庶民的なような、ひとところに納まらない色気を発散させてみごとです。

母と娘の絆が再生する雀色時のラスト・シーンなんですが、とても感動的であるいっぽう、私は依子さんの顔のアップ、
唇のプニュッとした光り具合に目が奪われます。赤ちゃんみたいな。
でも、それはニュアンスとして外れてないと思います。

浅丘ルリ子さんが画面を圧する迫力なので、どうしても小さく見えるところはありますが、
20代の依子さんが、次のステップを目指して、がむしゃらに吸収しようとしている作品として心に残ります。

なお、90年代レトロの視点からひとこと。
最初のレストランで、依子さんが携帯電話を取り出してかけます。
92年らしい恰幅のよいデザイン。
依子さんがこれを耳に当てると、まるで『ドレミファ娘の血は騒ぐ』のテープレコーダー。
92年に携帯持ってる20代前半の女の子って、珍しかったですね。
どんな忙しい人なんだろ、って。
かける前に、かなり長くアンテナのばしてます。

脚本 野沢尚
演出 鶴橋康夫
1992年12月10日 放送
よみうりテレビ 制作


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