『部屋 THE ROOM』(1993)

YORIKO
DOGUCHI
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この作品は『洞口依子映画祭』で上映されます!

マネしたくなる映画、であります。

麿赤兒さん演じる老いた殺し屋になって電車の中でケン玉してみたい、
洞口依子さんの不動産屋嬢のように、伏し目がちに小声でしゃべりたい、
佐野史郎さん演じる「もうすぐ死ぬ男」みたいに、白昼、日陰で殺されたい…
あんなふうに、白黒の粗い画面のなかで無言で呼吸してみたい、こんな世界に生きてみたい…

と思わせる映画が悪かろうはずがありません。
園子温監督、いつものイタズラっ子のような感覚を緩めることなく、
俳優の肉体と風景の放つ力をがっしりと掴まえて、みごとにひとつの物語を描ききっています。

麿赤兒さん。
かつて伊藤雄之助さんの顔を「味があるにもほどがある」と評したのはリリー・フランキーさんですが、
その伝でいけば、「存在感があるにもほどがある」。
麿赤児さんがいるだけで、視線がそっちに吸い寄せられてしまいます。
こういう人とひとつの画面におさまるって、役者としてどんな気持ちなんでしょうね。

殺し屋が、不動産屋と部屋を探す話です。
不動産屋は若い女ですが、「女の子」ではない。客相手にお愛想のひとつも言わないし、ニコリともしません。
「麿赤兒=殺し屋」という、非日常の極みみたいな存在と、対等に画面におさまること。
これがこの映画で依子さんが担う役目のひとつです。

オープニング、殺し屋の姿が、複数の長回しショットを重ねて、ロングからアップへと移ってゆきます。
依子さん登場はそのあとです。
正面からのどアップ。
カメラを一度も見ることなく、淡々と消え入りそうな声で、接客します。
この表情で決まりです。
悲しみにくもったような、しかし世界との不協和音を鈍く鳴らす底意のほうがまさっている、
洞口依子ならではの表情です。
これが最初にあるから、二人がいる風景にスリルが生まれるんですね。
二人の存在感が静かなバトルを繰り広げるわけです。
監督としては、絶対に欲しかった表情だろうし、みごとにとらえたと思います。

この映画、途中で殺し屋の回想場面をはさむ(大島渚監督の『無理心中・日本の夏』に匹敵する白昼の路上!)ほかは、
ほぼすべて、二人が無言で移動する場面で成り立っています。
目も合わさないまま電車の扉近くに立ち、駅をいくつもやりすごす間、セリフはなく、カメラも据えっぱなしです。

しかし退屈しません。
麿赤児さんと洞口依子さんのたたずまい、放つ存在感があまりに雄弁で、画面から目が離せなくなるのです。
四畳半から徐々にランクが上がり、最後は廃墟にたどりつく場の魅力もあります。

依子さんのセリフにはすっとぼけたユーモアもあり、事実コメディとしてもクスクス笑えますし、
不条理劇にもなる可能性はあるのですが、依子さんが手許でしっかりと糸を引き、無駄に拡散させていないと思います。

ぜひ見てください。最初の表情だけでも、どうか。
洞口依子さんを、もっと好きになります。

こういう映画は、永遠に、見る人を若くしてくれますね。

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