『愛という名のもとに』(1992年)

「この曲のおかげで、道の真ん中に出れた。
でもすぐに退屈な旅になっちゃったよ。だから溝のほうを目指すことにしたんだ。
快適な旅とは言えなくなったけど。おかげでおもしろい奴らに会えたし」
                                 ニール・ヤング (自身の大ヒット曲"Heart of Gold"を語って)


『愛という名のもとに』は、1992年1月9日から3月26日、フジテレビ系で放送されたドラマです。
脚本は野島伸司さん。
大学時代の親友7人が、社会に出てさまざまな現実に直面する姿を描いた物語で、
依子さんはデパートの紳士服売り場に勤務する飯森則子を演じました。

洞口依子さんは、あまりにも鮮烈なデビュー作では、まだ一部の映画マニアの間で騒がれる存在でしたが、
『タンポポ』『マルサの女2』などの映画、『北の国から』『からくり人形の女』などのドラマと、
徐々に一般的な知名度を得てきました。

そしてその決定打となったのが、この作品です。
ドラマは全12回で、最高視聴率がなんと32%を越えるという、驚異的な人気を得ました。
則子の役柄は、藤木貴子(鈴木保奈美さん)、高月健吾(唐沢寿明さん)、神野時男(江口洋介さん)
に次ぐサブ・キャラクター的な存在でしたが、その明るく屈託のない笑顔と涙もろさは、
視聴者の女性層にとくに共感を得て、ドラマの人気キャラとなりました。

この記事では、則子をメインにすえて見た『愛という名のもとに』の見どころを、全12回を追って検証していきます!

 第1回「青春の絆」 (1992.1.9)  
このドラマでの依子さんは、とにかくよく泣き、笑い、応援しています。
登場するときはこのどれかだと言ってもいいくらいです。

大学ボート部の最後の選手権試合がオープニングで、則子は声援を送りながら川岸を走り、
親友の健吾、時男、純(石橋保さん)、篤(中野英雄さん)らの優勝に泣きます。
さらに行きつけの店「レガッタ」での追い出しパーティーでビールをあおっては泣き、
健吾と時男の腕相撲に声援を送り、
翌朝、健吾たちが乗りなれたボートに別れを告げると、真っ先に泣き出します。

当時、この数分を見たとき、私は本当にこれが洞口依子さんなのか、じつは「洞口衣子」とか「桐口依子」とか、
よく似た顔と名前の人と間違っているのではないのか、新聞を確かめたおぼえがあります。

とにかく、このドラマでの依子さんにはビックリさせられどおしです。
どちらかというと影があり、屈折したキャラクターの女性を演じる印象が強い依子さんとしては、
例外(反則?)といえるくらい、この則子役は素直で感情的で、なによりも天真爛漫なのです。

ドラマのヒロイン的存在である貴子は、常に高い理想を持ち、そのために努力を惜しまず、
また他人にも公平に接し、頼られることも多い、堅実なキャラクターです。
もう一人の女性キャラクターである尚美(中島宏海さん)は、華のある風貌を生かし、
モデルとして活躍をしています。
依子さん演じる則子は、とりたてて人にアピールできる才も持っているわけでもなく、
恋愛も、のめりこむ割にはすぐに男に飽きられたり、適当に遊ばれたりします。

この第1回めは、もちろん主要人物の紹介が主軸。
不倫の恋に悩んだすえ、自殺未遂を起こした尚美の入院先に集まった仲間たちが、
ふたたびかつての友情を確認しあうところがクライマックスです。

グループの中で、みんなをほっとさせるムードメイカー的存在で、明るいけれど、
じつは結婚願望と貴子や尚美へのコンプレックスを持っているところが描かれています。
そしてそんな則子像が、多くの女性視聴者の共感を呼んだであろうことは、想像に難くありません。
 第2回「夢を追って」 (1992.1.16)  
『愛という名のもとに』では、7人の主要人物がそれぞれに悩みと問題を抱え、
それぞれのドラマにわかりやすい山場があって、見ている人が感情移入できる点が多かったです。

その中でも則子と純(石橋保さん。映画『
君は裸足の神を見たか 』で依子さんと共演ずみ)の物語は、
人生でいつもスポットライトの外にいる存在の普通の若者のドラマとして、
全体の中でも重要なサブ・ストーリーとなっていました。

第2回は、そんなふたりの恋愛ドラマがゆっくりと幕を開けるエピソードで、
かつて小説家を志望していた純が、則子に後押しされてもう一度夢を追いかけるも、
出版社で酷評されて自暴自棄になります。

則子は昔から純が好きだったのですが、ようやくここで応援という正当な理由を手に入れて、
と言ったらちょっと意地悪ですけど、彼女自身も純を応援するということに後押しされるように、
彼への思いを確かなものにしてゆきます。

則子という人は周りの友人に依存する度合いがかなり高く、ここでもヤケ酒をあおって泥酔した純に
なすすべもなく、涙で貴子たちの助けを求めます。お〜い、自分の力で応援しろよ〜と
ツッコミ入れたくなりますが、そんな弱さもまた応援したくなる憎めなさが彼女のキャラなのですね。

全体を通してみるとこの回はとても重要で、ここで視聴者が則子に感情移入できないと、
後の展開が説得力なくなったでしょう。
ふだん天真爛漫で明るい則子の、純に対する健気な思いを依子さんが魅力的に演じたことで、
則子役は忘れられないキャラクターになりましたね。
 第3回「隠された青春の日」(1992.1.23)  
前回に続いて、則子と純の物語です。とくにこの回はふたりが事実上の主役と言っていいでしょう。

純を応援するという目標を得た則子が、積極的にアプローチを開始します。
「レガッタ」にて、もし純の執筆に色っぽい要素が足りないのなら、自分が協力してもいいよ、などと。
ここ、何回見ても、『北の国から’89 帰郷』で純くん(!)を誘惑する喫茶店のシーンを思い出してしまいます。
則子は言いながら、水割りに氷を入れすぎてしまうくらいドギマギしているのですが、
北の国から 』のときも、ちょっとそういうニュアンス、ありましたもんね!

純は則子に対して煮え切らない気持ちでいるのですが、富良野の純くんとちがって、ココロだけでは抑えきれません。
続くホテルの場面でのガッツキぷりを見ると、本能が先走っちゃったみたいですね。

翌日、事の顛末をそれぞれ同性の仲間に報告する則子と純。
則子は結婚も考えてしまっている様子なのですが、純はそこまでは思いきれません。
このへん、則子がこれまで男たちに「遊ばれて」しまってた理由が、わかるような気がします。
彼女は、真剣なんですよね。ただ、恋愛して相手を応援することで、自分の現実から目をそらそうとする。
男からすると、いきなり自分の夢におんぶされたんじゃ、重苦しくってしょうがない。
でも男はバカだから、ついついその気もないのにフラフラついていってしまう。

則子と純がお好み焼き屋で、お互いの心づもりをさりげなく探り合う場面が、この回でいちばん印象的でした。
言いにくそうに、自分はきみとの結婚を考えているわけではない、と白状する純。
ショックを受けながらも、それを隠すように、当たり前じゃないと軽く受け流すそぶりを見せる則子。
この場面の依子さんの表情が、せつなかったです。

しかし、若いという字は苦しい字に似てるわ、ですね。本当に。
 第4回「涙あふれて」 (1992.1.30)  
さて、尚美です。
医者との不倫に疲れてきたモデルの尚美ですが、どうも、うまく行ってる則子と純が面白くないみたいです。
他人のものを横取りしたくなる女性みたいですね。困ったもんだ。

「レガッタ」で、尚美を交えて則子と純が飲んでいるシーンから始まります。
純は尚美に出版社を紹介してもらい、どうやら雑誌連載の仕事にありつけそうなのですが、
あまりにもウマい話なので則子は不安を隠せません。
尚美からは、自分と純を妬いているのか、とからかわれますが、図星なので言い返せません。

尚美という、華のある女性を真ん中にはさむと、則子と純というありふれた二人の関係に微妙な齟齬が生じます。
純は、自分のささやかな夢におぶさってくることのない、独立した尚美に居心地の良さをおぼえます。
則子は、尚美のような女性にコンプレックスがある。

則子の不安が不満と入り混じって爆発し、純に対して「自分は安い女じゃない」と啖呵をきりますが、
どうしようもなくなった純が立ち去ろうとすると、あわてて引き止めます。
自分には人生の大きな目標もない。自分の人生は平凡だ。だから、せめてあなたの夢に乗っかりたい。
ものすごく身勝手な言い分なのですが、この場面はグッときますね。

あと、依子さんの首すじがきれいですね。暖色系のニットなどを着たとき、それが際立ちます。
 第5回「決心」 (1992.2.6)  
この回は則子が主役です。

検査薬で自身の妊娠を察した則子の動揺から始まります。
則子と純は、相変わらず心に通じきれないものを抱えたままの状況です。
病院で妊娠の確証を得たものの、則子の不安は、純がどんな反応を示すか、です。

そこで、則子は貴子に頼んで「レガッタ」に仲間を集め、そこで純に対してもはじめて、
妊娠を報告したいと言います。
うわ〜っ、そんなのアリなのか。
第三者といっしょにはじめて報告される純の気持ちは。

案の定、「レガッタ」で、仲間の前で王手をかけられたみたいになった純は、言葉も出ず、
別れ際にこう言ってしまいます。
「ノリの好きにすればいいよ」

サイテー!という声が聞こえそうですし、じっさい最低の対応なんですが、
ちょっと可哀想な気もします。
 第6回「見失った道で」 (1992.2.13)  
純の気持ちは、20代も半ばの男性だったら誰でも思い当たると思うんですけど、
自分がまだ何もなしえていない、そしてこのまま何もなしえないまま年をとっていくことへの
焦りなんですよね。だから、正直、他人のことまでかまってる余裕がない。
家庭を持つことで、自分のささやかな夢が完全に吹き消されるような不安もある。
結婚して家庭を築くということに、必ずしも夢を持って育つわけではないですからね、男性は。

にしても、あまりに往生際が悪いぞ、純

ついに則子は子供をおろすことを考え、ある朝公園に純を呼び出します。
そこで、ブランコに揺られながら、「子供をおろしても、今までどおりつきあってくれる?」と聞きます。
なんかもう、いちいち、物事の進めかたが間違ってるわけですが、
これでは、純にとって、ますます則子の存在が重くなるだけです。

貴子と尚美に付き添ってもらい、産婦人科で手術に向かう則子が、この回のヤマ場。
直前になってやはりおろすことはできないと悟った則子をかばって、
貴子が手術室に立てこもります。
やってきた純はじめ仲間たちに、男の身勝手さを責める貴子と、
震えながら「もうやめて!」と貴子にすがりつく則子の姿が強烈です。
 第7回「風に吹かれて」 (1992.2.20)  
前の回が則子中心だったからか、この回では出番が少なめです。
ただ、ここで初めて則子の家庭が描かれます。
父親がすし屋の大将だったんですね。
両親と弟も交えたなにげない会話の最中、つい自分が妊娠していることをもらしてしまう則子。

このドラマを見返して、「わたし、電話がかかってくるといけないから、家で待機してる!」
なんてセリフがありまして、あぁ1992年ってまだそういう年だったんだなぁと感慨にふけります。
貴子が勤める高校に、仲間たちがしょっちゅう呼び出しかけたりして。今だったら考えられないですね。

あと、「できちゃった結婚」という言葉も、まだ一般的ではなかったと思います。
もちろん、そういう事態は人類の歴史のかなり冒頭からあったでしょうが…
 1992年と現在のあいだには、携帯電話とIT革命という断層が横たわっているわけですが、
「できちゃった結婚」もそうだったのか。
 第8回「君が人生の時」 (1992.2.27)  
純が則子の両親に会いに行く話です。
純としては、腹をくくったつもり、と誰よりも自分に言い聞かせて臨んだわけですが、
心がこもっていないので、見透かされてしまいます。
相手の親としては、なんとしてでも、という意気込みが欲しいのでしょうが、
とってつけたような決意は空回りをするだけです。

そんな純の不安定な気持ちが見えるからこそ、則子は先々の話をもちかけ、
自分の不安を拭おうとするのですが、逆効果となります。
純は、「もうたくさんだ!」と捨てゼリフを残して、横断歩道を先に渡ってしまいます。
残された則子は、どうすることもできずに立ち尽くすだけです。
 第9回「いつわりの日々」 (1992.3.5)  
このあたりになると、依子さんも「則子ぶり」が板についてきているように見えます。

現在の私たちファンは、ブログなどで三の線も見せる依子さんを知っていますが、
当時「洞口依子」といえば、小悪魔的でクール、群がる男たちを破滅に追いやる魔性の女、
という役どころが定番化しつつあった頃。 どちらかというと、モデルの尚美役のイメージでした。
この則子役は、依子さんにとっては実はかなりの冒険であったのだろうなと、今となっては思います。
だって、高倉健さんが寅さんをやるくらいのギャップでしたからね…

則子は純の態度に、なおも出産のことを決めかねています。
それで、思い余って貴子に、「ねぇ、どうすればいい?貴子が決めて!」なんてすがってしまう。
ここでの依子さんの口調には、買い物でどっちの服が似合うか友達に聞くような軽さに深刻さがにじんでいます。

この回は、則子が貴子との外出中に倒れてあやうく流産しかけ、
尚美と密会していた純が駆けつけて、健吾に殴られるところまで、です。

それにしてもこのドラマ、よく病院のロビーで殴りあいしますね!
友情も大事だけど、いちおう病院なんだから…
 第10回「友よ」 (1992.3.12)  
この回はチョロこと篤が主役です。
篤も則子とおなじく、主役3人以上に人気を集めたキャラクターでした。
彼が事件を起こして行方をくらます直前に、則子の病室を訪れるシーンが印象的です。

何もしらない則子は、篤と世間話をしたり、篤の貴子に対する秘めた思いをからかってみたりするのですが、
自分と同じように仲間内でも地味な存在だった則子に別れを告げにきた篤が、
おまえはもう俺とちがって、目標を持っているじゃないか、と励ますところはいい場面ですねぇ。
何も知らずに、でもどこかで何かを察してしまっている(本人はそのことにすら気づかない)則子の無邪気な表情が、
よけいに悲しみを増します。
 第11回「生きる」 (1992.3.19)  
最終回に向けて、健吾と貴子と時男の関係にもう一度焦点が絞られる回で、
則子の登場シーンはあまりありません。

退院した則子はファミレスで働きながら、生まれてくる子供を一人で育てる決意をします。
純の気持ちは、少しずつ、ようやく(!)則子へと動いていくのですが、
まだ決定的ななにかが足りないようです。
 第12回「私達の望むものは」(1992.3.26)  
いろんな筋立てが、良くも悪くも解決していく最終回です。
則子の場合は、それが出産という形でやってきます。

このドラマ、いちおう健吾、貴子、時男を中心に話が展開していくのですが、
いわゆる「いい子ちゃん」の健吾と貴子の話よりも、冴えない者どうしの則子と純のほうが、
視聴者の共感を呼んだようです。
「いい子ちゃん」には「いい子ちゃん」の苦悩があることも描かれているのですが、
洞口依子さんがいきいきと演じる則子が放つ輝きが大きいのです。

それが視聴者にとって、「あんな子、いるいる」と思わせる同感から、
則子の弱さを誰もが持っているものとして共感させるにいたったのでしょうね。

とにかく、洞口依子さんにとって、大きなチャレンジだったことに間違いはないでしょう。

以上、メインのストーリーである健吾、貴子、時男の物語にはほとんど触れない、
「則子という名のもとに」でした!

こういう青春ドラマは、見終わって何年もの時間がたってから再見すると、
なかなか味わい深いものがあります。
かつてそれを見ていたこと自体が、懐かしい想い出に変わってからのほうが。
ましてや、演ずる側にとっては、一度は劇中で演じた「青春への追憶」が、
年月とともにリアルなこととなっているわけで、感慨もひとしおでしょうね。

私は、当時このドラマをそんなに熱心に見ていたほうではありませんが、
それでも「悲しみは雪のように」が流れ出すと、あの曲があちこちでかかっていた1992年前半の自分を、
当時よく一緒にいた人たちの顔を、パソコンも携帯もなく、バブル崩壊が囁かれだしながら、
まだ奇妙な薄明かりに包まれていた街の風景を、思い出します。

そして多くの人たちの思い出とそんな形でリンクしてゆけるなんて、素敵な仕事だなぁと思います。
先に引用したニール・ヤングの言葉を借りて言えば、それは、「道の真ん中」だからこそ、できることかもしれません。
このことを、「道の真ん中」にいたことのある人たちは、誇りにしていいと思います。


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