『群青 愛が沈んだ海の色』(2008)

(このサイトは洞口依子さんのファンサイトです。このページは作品中の依子さんについて書いたもので、作品自体についてではありません)


2008年の7月に撮影された映画。

あの夏のことを思い返すと、不思議な気持ちになる。

このサイトには、「Yearly Yoolly」という、依子さんの1年ごとの活動をまとめたページがあって、
その2008年版を見ていただくと、おおまかなことはわかる。

7月の頭に、依子さんは那覇に滞在している。
これは桜坂劇場で、『マクガフィン』の上映と、パイティティのライヴと、
『子宮会議』のリーディング・セッションがあったからで、『群青』の撮影と直接関係はなかった。
ぼくもそれらに同行したのだけど、このイベントだけでも、たいへんなエネルギーの放出量であった。
しかも滞在中に、依子さんはメディアのインタビューや出演を精力的にこなしている。
直後に、東京のプリンスホテルでの関係者向けのセミナーで『子宮会議』リーディングがあって、
その2週間後には、横浜のサムズアップでパイティティのライヴをおこなっている。
そして数日後の8月1日には、渋谷のJZ BRATでライヴ。 これもまた鬼気迫るものがあった。
さらにそれから1週間後には広島に向かっている。 そしてウクレレ・ピクニックへの出演。

『群青』での依子さんの撮影は、そんな夏におこなわれた。 
ライヴのリハーサルまでカウントすると、もっとたいへんなことになる。
本当に、むちゃくちゃなスケジュールで彼女は動いていた。
渋谷でのライヴがあった翌日、ぼくは依子さんに2度目のインタビュー を受けていただいた。
『群青』の撮影エピソードも出たのだけど、公式な制作発表がまだだったので使わないことにした。

あの映画はいわば、2008年の夏という扉の向こう側にあったのだ。
ぼくはそのこちら側にしかいなかったが、彼女はそこを何度も何度も出入りして、
疲れて、動けなくなって、少し動けるようになって、
また動いて、とことんまで動いて、そしてまた動けなくなって、を繰り返していたように思う。

『群青』のドラマは、静かに、淡々と進む。
この映画を観ていると、あぁ、あの扉の向こうはこんなふうであったかと、不思議な感慨にとらわれる。
浜はこんなに足あともなく、波はこんなに凪いでいたかと、こちら側で起きていた出来事の激しさに比べて、意外にさえ思える。
依子さんは、主人公の恋人の母親の役だ。 これも想像と実際の演技はちがった。
彼女の役は、もっとネオ・レアリズモふうに土地のにおいのする人物像を思い描いていた。
でもそこに映っているのは、ちゃんと女の色香を放つ洞口依子の女性像であった。
とくに、悲しみにくれる主人公の女の子の背中に、そっと顔を寄せる場面でそれが立ち込めるようだ。
それが2008年の渡名喜島で撮られた依子さんということだったのだと思う。

もしかしたら、べつの時間に、べつの監督や共演者となら、ちがう彼女がそこにいたかもしれない。
きっといたのだろう。 でも、それはいい。 
あの夏、扉の向こうに、彼女はこんなふうにたしかに存在したのだ。
そしてそれが今もこれからも在るということ。
ぼくにとって、それはとても大切な、自分とこの映画との結びつきなのである。

あの夏は、扉のこちら側で起きていることにしがみつくので、せいいっぱいだった。
まるで少年の日の夏のように、突風みたいに過ぎていった。 
この映画での依子さんを観ていると、なにかヒリヒリと痛いような切ないような気持ちを抑えきれない。



2009年6月27日(土)封切

監督:中川陽介
原作:宮木あや子
脚本:中川陽介、板倉真琴、渋谷悠

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