『40歳問題』(2008年)

(このサイトは洞口依子さんのファンサイトで、
この記事は『40歳問題』での洞口依子さんについての雑感です)


洞口依子さんのブログの2008年3月24日ぶんに、この映画の撮影に因んだ写真が掲載されています。
依子さんにとって、それはどんな時期だったのでしょうか。
当サイトの資料室を漁ってみます。

パイティティのレコーディングは、おおかた終了していたもよう。
3月3日には、映画『20世紀少年 第1章』の制作が公式に発表されています。
『ジュテーム〜わたしはけもの』のドラマ版 のオンエア1ヶ月前。

18日が依子さんのお誕生日。当サイトの英語ページをこの日に設置。

夜はまだ肌寒く上着が必要でしたが、一歩ずつ春に近づいていました。
翌月の代々木公園でのイベントのときは花冷え。ホットワインが命の泉でしたね。

そんな寒の戻りの手前の候です。
前述の写真でも、依子さんはとても柔らかな表情を浮かべています。

この映画の中江祐司監督は、オムニバス映画『パイナップル・ツアーズ』の第2話を担当。
初めてのアルバム作りを意欲的に学園祭的に体験し、
ニャーリーの顔をあしらったバースデイ・ケーキにも大うけしたし、
異国の人が見てもわかりやすいバイオグラフィーもできたし(失笑)、
なつかしい仲間と映画の撮影。 天気も上々。
そんな中で自然にこぼれたであろう笑顔が、とても印象的です。

フライング・キッズの浜崎貴司、真心ブラザーズの桜井秀俊、そして大沢伸一。
40代に入ったところ、という以外に接点がなさそうに見える三氏をスタジオに集めて、
協同で曲を作ってもらい、ライヴで発表するのが、映画『40歳問題』のおおまかな内容です。

余談になりますが、80年代後半のバンド・ブームというのは、
中高生がリスナーの主役で、大学生だった私は乗りそこなった感があります。
そもそも関西は「イカ天」を放送していなかったし。

上記のお三方で、デビューを強烈に印象づけられたのは、大沢さんのMONDO GROSSOでした。
デビュー前からとある仲間内でたいへんな評判で、実際にめちゃくちゃカッコよかった。
真心ブラザーズは、「夜のヒットスタジオ R&N」に初登場したのを見てCDを買いに走りました。
古館さんに「平成の古井戸ですね」と言われて、YO-KINGが意外そうな顔で小さく驚いていたのをおぼえています。
フライング・キッズのことは、残念ながらほとんど知りません。
ソウル専門のレコード屋で浜崎さんのサイン色紙を見かけたくらいかな。

洞口依子さんは、彼らのセッションの間に、インタビューの形式で出演。
「40歳になったときの感想はどんなものでしたか?」という質問に答えています。
依子さんにとっての40歳は、『子宮会議』に書かれてあるとおり。
取材の中で、その部分の説明があったのかどうかはわかりませんが、
ここでは「病気になって」「がんの治療で」という言葉でサラリと語られています。

全体に、3人のミュージシャンも室内で動きが少ないのが特徴ですが、
依子さんはテーブルをはさんで椅子に腰かけた、さらに落ち着いた様子。
ただ、短い言葉で語る内容は、ほかの誰よりも重いもの。
「よく40歳まで生きてこられたなぁ、と思いますよ」と何気なさそうに語っていますが、
「死」と向き合うなかで40歳を迎えた人でなければ口に出せない言葉です。
その口調が、花冷えに見舞われる前の春先の空気を伴って、枯れた言葉のようにも思える感慨に、
どこかいたずらっぽい緩い笑みが湛えられていて、彼女独特の、迷わすような感覚も伝わってきます。

ここに登場する40代のアーティストたちは、思春期から青年期を80年代に迎えた人々です。
闘争に明け暮れた上のまた上の世代を見て、彼らの情熱を羨みながらも距離を置いてしまった世代。

映画を観ながら、一回こっきりの機会なのだからもっとぶつかりあえばいいのに、と歯がゆくなるいっぽうで、
自分にもそのやり方はよくわかっていないことを、私は自戒をこめて思い知らされます。
こんなんで、どうやって社会を背負っていけるのかと我ながら心配になるし、
社会どころか自分の人生をどうするんだ、と呆れてしまう。
だから、観おわって、この映画は私の感想からいうと、「40歳問題」ではなく「80年代問題」なのです。

この映画で、笑顔の柔らかく美しい洞口依子さん、
彼女にもこんな歯がゆさをおぼえることはあるのかな?


中江祐司  監督  
スネオヘアー 浜崎貴司 大沢伸一 桜井秀俊   音楽

2008年12月20日公開


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