ボヘミアン・ランデヴー その2
「真夏の夜の夢スペシャル」(JZ Brat 渋谷 2008年8月1日) 後半



後半のセットは、ティティの演奏から。

「水晶玉の秘密」という、11月のライヴでも演奏したインストで幕を開けました。
この妖しく狂おしい旋律がうねる謎めいた曲調が呼び寄せるかのように、
パイティティ・ファンにとっての舞姫、ベリーダンサーのプラハ嬢が登場。
ファンルコンがワウ・ギターの音を、かきむしるように激しくその踊りにからめつかせる。
有機的な、あまりに有機的な音と踊りのマーブル模様。

演奏はそのまま、夏樹くんのハープをフィーチャーし、
なんと薫さんがピアニカを片手にヴォーカルをとって、エリントンの「キャラヴァン」に突入!
これまた憎い、憎たらしいくらい憎い趣向です。
ドラマーが1曲ヴォーカルをとる、それもエリントン、というこのキメキメにお洒落なセンス、
しかもピアニカをプーピーという…あぁこれだけはわかってほしい。
このときドラムを叩いていたのはクリスで、サックスの奔流も一体になって
音の塊が怒涛のように襲ってくるようで、なおかつエレガントさを残している余裕が、
やっぱり(淀川長治ふうに)憎いね、このバンド。

圧倒されながらも大きな感動に包まれている客席をさらにひっくり返すように、
「ウクレレ・ランデヴー」のイントロが流れ出すと、バスローブ姿の依子さんが登場しました。
ステージ中央でそれをサッと脱ぐと、コットンで作った泡仕立てのセパレートをまとっただけの姿。
やや小走りにタラップを駆けのぼると、いつの間にやら頂上には、
これまた泡仕立てのバスタブと赤ラメのウクレレ。
やんややんやの大喝采とはこのことです。
これぞ生「ウクレレ・ランデヴー」!


バスタブに横たわって、思わせぶりに、パイティティの洞口がGOROの洞口とつながっていることを、
アホなファンサイトの駄文よりも、こうまでスッパリスッキリと表現されちゃたまらない。
しかし、『タンポポ』の牡蠣の少女が、21世紀に入ってこんなことをできちゃうなんて、
あの頃の未来にやはり私たちはいるのでしょう。

歌い終わった彼女のもとへ駆けつけたのは、パヤッパヤーズの有能スチュワーデスたち。
ここでは女王に仕えるチェンバーメイドと化して、立ち上がりぎわに、
さっとバスローブを広げて目隠しをし(細かい!そしてえらい!)、そのままステージの外へ。

ここまで盛りあがった場をどうつなげるのか、これは難しいですが、
目で魅せたあとは耳で聞かせるセッションへ見事なシフトの切り替えです。
欧州の深い森を歩くような「ショコラ・パイティティ」に始まる、
ユーロピアン風味あふれる3曲です。
「ショコラ・パイティティ」は、曲の美しさにかなう演奏という点でハードルが高いか、
品格と愛らしさの調合が難しそうでした。


ただし、続く「グラッセ・マヌーシュ」は、新曲と思いきや、
「アイスクリーム・ブルース」のマヌーシュ版でおもしろい。
夏樹くんのハープと中西さんのヴァイオリンのバトルがスリリングでした。

ここで依子さんが、今度は白いネグリジェ姿で登場。

今日はもう、なんでもありか!と思っていると、その姿で「ねむりねずみのうた」。
中西さんのヴァイオリンをフィーチャーしたライヴ演奏は、
眠りに落ちたねずみをそのまま夢の世界へ連れ去ってしまうかのようで、
パイティティの隠し味でもある(と個人的に思っている)ルイス・キャロルの世界を垣間見せてくれます。
いつもは依子さんのアクビで消灯、という具合に曲が終わりますが、
さすがに今回の演奏の余韻は格別なもの。
う〜ん、『アリス』を撮るというティム・バートンに届かないだろうか、この演奏。
ヨシミさんが、中野ブロードウェイを接待案内すればいいんだな、きっと(笑)。

そんなマッド・ティーパーティーのにおいが微かに漂ってきたところに、
「クロックワーク・ドールハウス」です。
これをジャズ・クラブで聞く愉快さ。
だけどこれも含めてパイティティの曲は、ジャンルにかかわらず、
音楽を演奏する人であれば、楽しんで参加できそうなものばかりです。
モンティ・パイソンにインスパイアされて作ったというこの曲は、
音の遊び人、マヌーシュでボヘミアンな気質をたたえる賛歌のようなもの。
いつも書くことですけど、このマーチにも似た曲想をウクレレが指揮していくような、
そんな馬鹿馬鹿しくも痛快な構造は最高で、
派手にやればやるほど、ウクレレの弱っちい感じが引き立っていいです。
このへんのセンスは、まさに英国ロック仕込み。

ということで、狂喜しました、「ピクニック・ブギ」。
サディスティック・ミカ・バンドの曲。もちろん、依子さんがミカです。
ブリティッシュ・ロックと格闘した軽妙洒脱な日本のロック・バンドの先駆者として、
私はパイティティを、ハワイアンよりも何よりも、この系譜に見てしまう。
オーラとぶっ飛んだセンスがないと、ミカの跡目は継げません。

古いやつだとお思いでしょうが、存在自体がロックでないと。
この曲を歌っている途中から、依子さんの目つきに、
ふてぶてしさと、そんな自分のふてぶてしささえも笑い飛ばすような、
ブラックで鋭いユーモアの切っ先が光りだしました。

こわい。うん、こわいかもしれない。
でも吸い込まれそうになる。それになにより、ワクワクする。
これってなんだ。あ!これって、洞口依子だ!
そう気づいたとき、舞台袖を飾っていた小道具のうち、地球をすっと手に抱えて、
「七つの海越え たのしいピクニック!」と歌いながら、客席に向かって投げ飛ばしました。


この人は、なぜ、今まで歌うということをしなかったのだろう。
不思議に思いながら、不思議に思っていることが不思議になってきて、
やはりわけがわからないまま、ワクワクするしかありません。
 
いつかなんとか、「塀までひとっとび」もカヴァーしていただきたい。

「ピクニック・ブギ」が終わると、両腕を突き出したままうなだれる依子さん。
そこへ、黒い衣装を身に着けた怪しいマッド・サイエンティスト風の男が登場し、
なにかを彼女の頭にかぶせます。
博士が立ち去ると、おもいきりチープな黄金色に輝く、
50年代SF映画に出てくるようなアンテナ角のあるヘルメット。
固唾を呑んで見守ると、これまたチープな電子音系のSEが鳴って、
そのまま「パイク」へとなだれ込みました。
見事、原口チームとのコラボレーションは大成功です。

それだけでは済みません。
参ったか。そうか。でも、まだだ。まだ食らえ!
躍り出てきたのは先ほどの狂へる博士と謎の女性ロボット、
そこになぜかパヤッパヤーズまでもが加わって、ステージ前で奇怪なパイク・ダンス。
間奏に入るや、依子さんはおもむろに飛び出して客席の間を走りぬけます。
そしてステージに戻ると、まるでバンド全体が寿命尽きたかのように、ぷっつりと終演。
このエンディングも呆気なくてクールでした。

ここまでのものを見るとは思わなかった。
アンコールの「チャチャチャ・アイランド」の心なごむスティール・パンの音に
じんわりと気持ちが鎮められていくいっぽうで、
この夜に見たものがなんだったのか、謎が激しく沸騰している状態。
音が涼しく風のように頭のなかを通り抜けるなか、
急に空虚に見舞われたような、呆然として、一人になりたい気分でした。

客席からのアンコールで「ボナペティ」が再演されたけれど、正直、もう聴けませんでした。
この虚脱感については考えることすらしたくなくて、その後もなるべく話題にはしませんでしたが、
一夜明けて、こんなふうに考えています。

洞口日和としての、これは私語の世界になりますが。

私は、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』を見たとき、主役の少女がうまいか下手かなんて、どうでもよかった。
彼女が自分の存在を賭して放つ光の、その崖っぷちのような輝きが好きだった。
それは火のように熱いときもあれば、氷のように冷たいときもあって、
そのどちらにも、私は心を奪われた。
この夜の彼女に、それを見ました。
それは、失なわれてはいなかった。
そのことに、安心する以上に驚き、言葉を失くしてしまいました。

去年、彼女が復帰したとき、
自分が乗り越えようとしている、すでに起きてしまった出来事について、
痛々しいくらいの直截さで語りかける彼女に
どう向き合えばいいのかわからなくなる瞬間が何度もありました。
でも、あのとき、彼女は過去について語っていたのではなく、
懸命に、これからの自分の姿を、もがきながら描こうとしていたのだと、今にして思います。
だから、この夜の彼女は、誰も見たことがないくらい、
誰の手にも負えないくらい、新しい子供のようだった。
それは初めて彼女に出会ったときに受けた衝撃と同じものです。

真夏の夜の夢だけでなく、私には、夏の明けがたの空のような、
希望のにおいを感じさせてくれるランデヴーでした。

(このライヴの感想を中心に語る「洞口依子さんインタヴュー vol.2」はこちら

← 前半へ

ヨーリーに一歩近づけば」へ戻る


←「洞口日和」Home