『振りむけば通り雨』(1987)

大人の恋物語です。
それもドロドロしたものではなく、大人なりの真っ直ぐで淡い恋心が奥ゆかしい。

篠ひろ子さん扮するヒロインは、かつて恋人に裏切られた過去を引きずりながら、
飲み友達で愚痴友達でもある坂東英二さんに、なんとなく心の安らぎを感じています。
ところが、どうも彼のほうに、友情を越えた温度がありそうでなさそうでじれったくて、
篠さんは佐藤慶さん演ずる年上の男性と結婚することになります。
その報告のため、どこか心を決めかねている状態で坂東さんに会いに京都へ出かけます。

彼女の友人・大信田礼子さんの姪が、依子さんです。
大信田さんの頼みで、嫁入り前の篠さんを監視するためにくっついて来るのですが、
ちゃっかり彼氏(布施博さん)を連れてきて、篠さんのことはどうでもいい、興味本位でしかない様子。
大人どうしが、火がくすぶったまま、それでもなんとなくお互いを必要としているような機微があるのに対して、
自分たちのことしか考えないし、即物的でドライ。
しかも天真爛漫というか、あっけらかんと悪びれていません。

大人からしてみると、イライラさせる存在です。
自分たちにだって若い頃はあった、でももう少し人と人の空気を読んだり、態度を切り替えたりできた、
なのにこの若い子らは、なんなの?

「あぁいうのを新人類っていうんだってよ」
あるいは、
「ちょっと、あんたたち!新人類だかなんだか知らないけどね!」

依子さん、篠さんと大信田さんにそう言われてます。

「新人類」という言葉が広く使われるようになったのは、1984〜1987年のあいだとされています。
流行語大賞に選ばれたのが、1986年。このドラマはその翌年の放送です。

「新人類」の定義として、「1978〜1987年に成人した若者」というものがあるようですが、依子さんはまさにど真ん中。
「朝日ジャーナル」の連載「新人類の旗手たち」でインタビューが掲載されたこともありましたね。
(『新人類図鑑Part2』筑紫哲也 編 朝日文庫に収録されています)

私は1988年成人なので、「新人類」の定義からは逃れられるかと思うけど、10歳ほど上の人にそう呼ばれたことがあります。
じつにサブカル臭い若者だったからでしょう。
じつはそこが重要な見分けどころだったりして、このドラマの早苗ちゃんは、私の印象ではとくに新人類という感じはしません。
たぶん早苗ちゃんは、宝島もrockin'onもビックリハウスも読んでない子でしょう。
戸川純の歌や岡崎京子のマンガを「ネクラ!」と言っちゃう子でしょう。

ちなみに、早苗ちゃんのどういうところが「新」と呼ばれたかというと、
「つい最近彼氏と別れて『男なんか信用しない』と言っていたのに、もう新しい男がいるらしい」
という点です。
これ、額田王(ぬかたのおおきみ。万葉歌人。天武天皇の后説が有力)だってこう言われてましたよね、たぶん。
もっとも、このドラマの枠である「東芝日曜劇場」の範囲内だと、とりあえず「圏外生物」ということになるんでしょう。

マンションの鍵貸します』の項でも触れたことですが、デビューから『タンポポ』、『君は裸足の神を見たか』と
順調にスクリーンでのキャリアを積んでいく洞口依子という女の子を、TVというメディアでどう活かせるか、
当時の送り手が最初に当ててみた像というのが、旧人類にとっての「新人類っぽい女の子」、だったんでしょう。
もしくは、今で言うところの「不思議ちゃん」(当時は「不思議っ子」という言葉を用いていたような気がする)。
ただ、いずれにせよ、依子さんにとっては、そんなに座り心地のいい椅子ではなかったように思えます。

このドラマでも、役の上では、ヒョコヒョコと軽やかにステップを踏んでいるはずなんですが、
彼女はもっとべつの歩き方を探しているようにも見える・・・なんて言うのは、「後出しジャンケン」でフェアじゃないですが。

蛇足なうえに、とっても失礼なんですが、篠ひろ子さん、このときは現在の私と同じお歳だったんですね!
ショック…篠さんにかぎらず、この80年代くらいまでは、大人が大人の顔をしていたんだなぁ。
ある種、役割を引き受ける潔さというか、少なくとも、現在の私にはここまでの風格はないです。
だって、ラストで佐藤慶さんと並んで歩いて違和感ないもんなぁ。
佐藤さんの引き立て方がうまい、というのはあるんだろうけど。

1987年6月21日21:00-21:54
TBS系列「東芝日曜劇場」枠にて放送
山本実 演出
松原利春 脚本


追記)

 

本文中にある『新人類図鑑Part2』(筑紫哲也 編 朝日文庫)について、お問い合わせをいただきましたので、
こちらに紹介させていただきます。

この本は昭和61年9月20日に発刊されたもので、当時『朝日ジャーナル』誌で、編集長だった筑紫哲也氏が、
さまざまな分野で頭角を現す途中にあった若者へ行なったインタビューをまとめたものの第2集です。
田口賢司氏が解説を担当され、インタビューには野々村文宏氏も登場します(第1集には中森明夫氏も)。
当時私は、ここではじめて藤原ヒロシ氏の存在を知り、筑紫氏との会話で(ラジオのディスクジョッキーではないほうの)「DJ」
というものについて初めて知りました。
今となっては笑い話ですが、ここでターンテーブルを駆使する藤原氏の写真を見ても、
「なにをやっているのか、わからなかった」のでした。
86年ですよ。あの「ウォーク・ディス・ウェイ」がヒットするのが、この年の秋なのです!

洞口依子さんは、最後から2人目に登場。
「女優の仕事のないときは、喫茶店で働いているそうだけど、どのくらいになるの?」という質問から始まります。
このときのフォト・セッションは、その喫茶店で撮られたのでしょうか。依子さんはウェイトレスの格好をしています。
喫茶店の奥の壁には、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』のポスターが貼ってあります。
漢詩に熱中していた頃らしく、蘇軾について語るヨーリー(「私は蘇東坡として覚えている」「海南島に行きたい」、などなど)。
もうすぐ公開となる『タンポポ』での自身の出演シーンを、「ブニュエルっぽい」と解説するヨーリー。
そして最後は「キューブリックやヴェンダースの映画に出れたらいいな」と夢を語るヨーリー。

・・・

いや、何に沈黙しているかというと、当時これらの発言を読みながら、いちいちあっけにとられつつ、
なるほどなるほどと頷いていた自分を思い返しまして。
ぜんぶ、若さのせいにしましょう。

白谷達也氏による写真がまたどれも、いい。
瞳をクルンと丸く見開いて、半開きの唇からいたずらっぽく舌を少しのぞかせている、おどけた扉絵。

そして私が当時の依子さんの写真でいちばん気に入っていた、おそらく店内の、ぼんやりした照明の中の顔のどアップ。
周囲の世界と相容れない孤高さが漂う少女のまなざし。

全11ページ。20歳の洞口依子。
私がインタビューさせていただいたとき、いまの依子さんは、「その頃とあまり変わってないと思う」と答えてくれた。
私もそう思います。
だからこそ、なおさら、聞いてみたい。
20歳の自分に、なにか言葉をかけるとしたら、なんと言いますか?

なんにも言う事ないかなぁ…ふつう。

(さらに、『
女の人さし指』解説でも、このインタビューについて補足しています!)

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