『文五捕物絵図・男坂界隈』(1991)

中村橋之助主演のスペシャル・ドラマ。

もともと杉良太郎=文五で当たりを取った時代劇で、そちらのほうは見たことがないのですが、
1967年から1968年にかけてNHKで制作された旧編は、
脚本が倉本聰、石堂淑朗、田村孟、佐々木守、杉山美法、石山透・・って、
なんかもう、風力が強すぎて涼めない扇風機みたいな布陣。
それ、NHKで放送できる内容だったのか???
まったく、なんて時代だったんでしょうね、1968年。 私の生まれた年なんですが。
また一個、あの時代に対するジェラシーが芽生えてしまいました。

気を取り直して、洞口依子ファンサイトとしてお届けいたします。
いやでもね、せっかく取り直したばっかりの気を失うみたいでナンですけど、
やっぱり依子さんのファンとして、思い入れと思い込み過多は重々承知で言うんですが、
どこかそういうことと全く無縁であるわけはないと思うのですよ。
いや、私のコンプレックスが悪いんですよ。 悪いのはわかってるんだ。
だけど・・・田村孟、1968年、石堂淑朗、1968年・・・ふぅ。 なんなんだ。
なんで私は洞口依子のことを書くのに、こういう名前に出くわすんだろうね。
困るよね。 あ、私の口角、上がってます? じつはニマニマしてます。

この新しいほうも優れた作品なんですよ。
この橋之助=文五で作られたスペシャルは、倉本さんの脚本で吉田啓一郎さんの演出なんですけど、
重いんです。 後味もかなり苦い。 救われない話です。
はたして旧編がこのようなタッチのものであったのか、私は上の脚本家陣から、
同じくらいシリアスだったか、もっととんでもなかったか、思いをめぐらすしかないのですが、
改編期にあたる(1991年)3月末の時代劇スペシャルに倉本さんが書かれるくらいだから、
きっと2つの距離はそう遠いものではないのでしょう。

貧乏長屋のひとつに団扇職人の父と暮らす「いと」という娘が洞口依子さんの役です。
依子さんは『北の国から ’89 』に続く倉本さんの脚本作品となりました。
彼女は同じ長屋仲間の魚屋加吉と恋仲で、周囲にからかわれたりしながら、まんざらでもない様子。
この娘がある日、今で言うストーカーまがいの武士につきまとわれて、居合わせた加吉の父が、
一刀のもとに殺されてしまうんですね。
で、道場の放蕩息子である犯人は、仕官ではないから「斬り捨て御免」は適用されないはずが、
この道場主(丹波哲郎さん)が裏から手をまわして、無罪放免にしてしまう。
逆上した加吉はこの放蕩侍を刺し殺して仇を討って追われます。
岡っ引きの文五はこの事件にかかわっていく中で、町人と武士の階級の板ばさみにあって苦悩します。

ちょっとここで依子さんのべつの作品解説を見ていただきたいんですが、
右をクリックしてください、『とおりゃんせ』。
私はここで付け焼き刃ながらも江戸時代の警察機構についてちょっとだけ書いてます。調べたんですけどね(笑)。

岡っ引きというのは、ここで言う「目明し」らしいです。 「目明し」が関八州での役名だとか。
民間人なんですよね。 十手を預かってはいるものの、町人と変わらなかったようです。
ところが、お上からは「町人を庇い立てするでない」とそしられ、町人からは「国家権力の犬め」と疎まれる。
どちらも、よほどの事がないかぎりは面と向かって言わないでしょうが、
ここでの文五はこのはざまに立ってしまうわけです。

文五は町人のために良かれと思って働いているわけですが、彼らからの敵意と不信感を浴びてしまう。
道場主の息子を殺された一門は、暮れ六つの鐘が鳴るまでに下手人を渡さねば殴りこむ、と宣言する。
時間は刻一刻とすぎてゆく。 さぁどうする。
往生する橋之助=文五の線の細さもあって、『真昼の決闘』のゲイリー・クーパーの立場を思わせたりもします。

依子さんのシーンは、大きく分けると3つ。
まず開巻、平和な長屋の風景から事件に巻き込まれるまで。
次は、逃げた加吉の居場所を詰問されて、知らぬ存ぜぬで押し通す中盤。
具体的なセリフはほとんどありません。 取り調べのあいだ、首を横にふっているだけ。
思いつめた表情で一点を凝視したその頬がふっくらと幼さを残していてどこかいたいけで、
いたいけさが伝わるほどに何かを隠し通そうとしていることが窺える。
このあたりは、同年の『はぐれ刑事純情派 』にも通ずる味わいがあります。

最後に登場するのは、おそらくおおかたの視聴者の予想に反して、加吉がお縄を頂戴して連行される途中、
やってきた道場の連中に殺されてからです。
文五は法の側にいて法で裁くことを望んでいたのですが、階級のもたらす暴力にそれが潰えてしまう。
無力感に呆然とするしかない文五。 
そのとき、いとが、長屋の中で気を失います。 このときの依子さんがいいですね。
薄暗い室内にわずかに差す光があって、それに浮かび上がっていた彼女の横顔が、
祈るようにも絶望するようにも、そしてここが面白いんですが、どこか恍惚としたかのようにも見える表情で、
後ろにすっと倒れてゆくショット。
文五の苦悩と全体の悲劇に、まるで色と匂いが与えられたかのようです。

見ごたえのあるドラマでした。
長屋が軒を連ねる路地の外景がさまざまな角度から画面に生かされていて、見飽きません。
それに、こんなふうに善悪のマーブル模様がある作品は、依子さんに合うと思います。
ファンとしては、それがもっと大きく共振して化学反応を起こすようだと、なおよかったんですけどね。
視聴者に俳優の演技とじっくり向き合う余裕を与えてくれる、こんなドラマをまた見たいです。


1991年3月26日(火) 19:00〜20:54
日本テレビ系列にて放送

脚本:倉本聰
監督:吉田啓一郎

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