『弁護士 高見沢響子9』(2008)

一万年、後・・・・』での壁に映し出された白黒映像、
トリハダ2 ネック』でのパソコンモニターの中、
ジュテーム わたしはけもの』での室内、と
昨年に活動を再開してからの洞口依子さんは、動きを制限された条件での演技に磨きがかかってます。
もともと大きな動作以上に、表情やしぐさの面で魅力を発揮する女優さんだと思うのですが、
上に挙げた3例とも、基本は一人芝居で、その作品の中枢にある重要なニュアンスの表現を担っていました。

今回の『弁護士 高見沢響子9』では、その制限が拘置所内の接見室です。
面会に来た弁護士、高見沢響子役の市原悦子さんとガラスをはさんで向き合うシーンが大半。
したがって、一人ではなく、市原さんの「肉を斬らせて骨を断つ」ような卓抜たる芝居にぶつかってゆく、
ファンとして、それはもう、見ていて手に汗握らされるような展開であります。

依子さんの役は、夫を殺した容疑で逮捕された主婦、奈津子。
殺人現場に呆然としゃがみこみ、やったのは自分だと答えてしまいます。
さらに一人娘の凛子も部屋に血痕を残して失踪し、奈津子はその件への関与も疑われます。

理解を得られないことへの苛立ちから、奈津子は自暴自棄気味で、訪れた高見沢に対しても
不遜で挑発的な態度を示します。
この段階では、かつて岩下志麻さんと桃井かおりさんがバトルを繰り広げた映画『疑惑』のような、
敏腕弁護士と悪女の逆転裁判劇へ発展するのかと思わせるのですが、そうではないんですね。

法廷は出てきません。
事件そのものも、大きな波をうねらせることなく、案外淡々と収束していきます。
ドラマとして、それよりも、高見沢響子の家庭も含めた、親子と夫婦の関係、家族の問題に焦点が当たります。
事件を調査するうち、高見沢は奈津子の家庭の事情を少しずつ理解していき、
それが自身の娘夫婦との間にある問題から遠くないことを悟ります。
高見沢にとって、接見室での奈津子との対話は、自分の家族の問題についてヒントを得る場でもあるんですね。

この接見の積み重ねは見ごたえがあります。
「このガラスがなければ、引っぱたいてやりたいわ」と言っていた高見沢が、
最後には、ガラスごしに、奈津子の手に自分の手を重ねる切ない場面まで、
この室内での依子さんは、あたかも市原さん演ずる高見沢と母娘であるかのようです。
同時に、高見沢は奈津子の中に、これまで目が届かなかった娘と自分の姿を見ます。

最初、依子さんはそっぽと言うより体ごと横を向いて応対してます。
依子さんのしなやかな細い手足が、言うことをきかない猫のように伸びて、
唯一と言ってもいい、彼女の全身が印象に残る場面。
やがて調査が進み、高見沢の家庭の問題が流れに加わってくるのですが、
奈津子のキャラクターは、そう易々と変化しません。
セリフだけ拾うと、どう考えても母親失格であるし、同情を呼ぶところが少ない。
なのに、高見沢の気持ちになって、辛抱強く彼女に反省の機会を許したくなるのはなぜでしょう。

私は、これは依子さんの登場シーンにあるんじゃないかと思います。
ドラマの冒頭で刑事が彼女の家に入ってきたとき、夫の死体の横で座り込んでいる彼女の姿。
放心しています。
世界でもっとも放心姿が美しい女優、洞口依子の放心状態。
視聴者は、この最初の最初で、すでに気持ちをつかまれているのですね。
奈津子の欠落部分や孤独までもが、依子さんの放心に垣間見えるのです。
だから、彼女がマスコミに対してどんなに喚きちらそうと、
ふてくされた態度で足を投げ出そうと、自暴自棄な発言を繰り返そうと、
彼女の奥に孤独感があることをすでに理解しているし、そのありように惹きつけられます。
この、小さなブラックホールのような虚脱感は、依子さんならではの抗えない魅力です。

この作品も含めて、最近の諸作での依子さんに私が感じるのは、
観客とのコミュニケーションを、以前よりも意識するようになったのかなということです。
まったくの勘なのですが。
洞口依子さんの表現は、彼女がカメラの前に立つだけで相当な完成を見ると思うのだけど、
今いちど、その輪を広げて、演技することで他者とつながっていこうとする意志を感じるのです。
そういう、おおらかで外を向いた力を感じています。
そして動作ひとつひとつが、エレガントで可愛い。昔の彼女よりもずっとそうなのではないでしょうか。


2008年5月12日 21:00〜22:55
TBSにて「月曜ゴールデン」の枠として放送

長尾啓司 演出
石原武龍 脚本

「この人を見よ!」へ

←Home (洞口日和)