勝手にしやがれ!!朗読計画、または君は羽田由美子を見たか 
-2007年12月12日、大阪中崎町うてな喫茶での「『子宮会議』リーディング・セッション@大阪」をレポート-


「ここってさ、東京でいうと、どこだろうね?」
雨がそぼ降る大阪の中崎町でタクシーを降りて、歩き出してすぐのこと。
その問いにファルコンが答える間もなく、ヨーリーは自分で、
「恵比寿の、駅前かな? わかった!中目(中目黒)だよ。ナカメ!」

TV番組の収録でかなりお疲れのはずが、この町に入ったとたん、やけに足どりも軽く、
珍しい自販機を指さして、「なに、あれ!すごい」などとはしゃいでいます。

私は、とっさに思いました。
--- この人は、いま、この町に、呼ばれてる!

洞口依子さんが、ぐんぐん、町のスピリットの奥へ吸い込まれていくのがわかるんです。
彼女のアンテナが、わっと咲くように開きだしているし、そしてこの町のアンテナが彼女をとらえて、
ふたつの間に見えない信号が行き交っていく。

中崎町は、大阪の玄関口、梅田の東隣り。
キタの喧騒から離れて、路地が入り組み、そこに古くからの民家が建ち並びます。
最近は、ここに喫茶店やカフェ、雑貨屋が集まり、さまざまなアーティストたちがのびのびと暮らす、
庶民的かつ自由な雰囲気のある地域。

番組の収録にあわせて、大阪で子宮会議ができないものか、との相談が依子さんからあったのが
ほぼ1週間前のこと。
忘年会の書き入れどきに、無料のスペースを提供してもらえるか、あちこち談判したところ、
最後の最後にこの町にたどり着いたのでした。

「あ、民家だよ。懐かしい感じ!」依子さんの声がすっかり和んでいます。
「それが会場ですよ。うてな喫茶」と、私。



言葉にならないような、感心した声が、依子さんの口からもれました。

時刻は8時半を少しまわったところ。
引き戸を開けると、カウンターとテーブルで15席ほどの店内に、すでに6〜7割のお客さんがいて、
「あ、来はった」という目をこちらに向けます。
昔ながらの対流型石油ストーブが暖めている店内。
縦に細長く奥行きのある造りは、京都なら「うなぎの寝床」と呼ばれる町家なんですが、大阪でもそう呼ぶのかな。

その店内を奥へ歩いていく依子さんから、急にものすごく強い「気」が発せられているのを感じました。
今の今まで、この人とここまで移動している途中にはさほど感じなかった、格別強力なオーラです。
準備をして、あいさつをしている。だから、まだ何も始まっていないのだけど、ひょっとして、
依子さんのなかで、この店内が、「現場」として認識されたのか?
ということは…「女優」モードだ!
すごい、すごい。一挙手一投足ごとに、どんどん「女優」が入っていくのを感じます。
依子さんが自分のビデオカメラをカウンターの上に固定し、自分とファルコンが入るフレームが決まると、
さらにそのメーターが上がっていきます。
この人は、この町で、この店で、演じようとしている!

お客さんが次々に入ってきます。
15人を超えたところで、店長さんが向かいのフラメンコ・スタジオから低い丸椅子をいくつも借りてきてくださり、
少し詰めてもらって、20人をちょっと出たお客さんに、オーダーされた飲み物がひととおり行き渡った9時すぎ、
依子さんが前に出てあいさつを始めました。

このようすを入口のすぐそばから眺めると、写真でしかみたことないけど、
無名時代のボブ・ディランが弾き語りでレギュラーを務めていた頃の、
60年代のニューヨークはグリニッヂ・ヴィレッジのコーヒー・ショップのよう。
そんな想像ができるのも、この中崎町独特の空気感と、それと交感してテンションがあがっていく真っ最中の
依子さんのたたずまいがあるから。



「私にとって、大阪は、日本のなかの外国みたいなとこなんです」
ふふふ、という笑みが客席から、もれる。
「ちょっとジャマイカみたいな印象かな」
最後尾からこの様子を、雨の日に、ほとんど広告もなかったにもかかわらず来てくれた皆さんと依子さんを見てると、
熱いものがこみあげてきます。

この日はまったくのアンプラグド、つまり、マイクで拾わない声と、アンプを通さないギター。
店内は広くはないと言え、モニターがない状態では、本を読む自分の声が頭に響いてギターの音はよく聞こえないし、
声を届けるよう、マイクがあるとき以上に神経をつかう。
この日はこの条件でよく頑張ったと思います。

とくに、予想外に多かった男性客を意識してか、「カッパくん」が登場する箇所を何度かはさむのがよかったです。
私も男なので、「子宮会議」でいちばんグサリとくるのは、「カッパくん」との関係です。
とくに本文p174からのくだりは、彼女がこの本でいちばん言いたかったことの一つが、
男性女性の区別なく迫ってくるところなので、彼女の朗読でぜひ聞きたかったところ。
重いです。とても重いし、ここでは会場にせつなさの空気の塊りがのしかかるようでしたが、
「あぁそういうことなのか」と一気に彼女の表現に吸い寄せられるのが伝わってきます。
「カッパくん」の演技にしても、下北沢のときは、もっと声色を取り入れていたのだけど、
よりさりげなく響くようになっているし、そのさりげなさが悲しさにも転じます。

ファルコンのギターは、いつものセットではディレイを効かせて残響で音を紡ぐかのようなんですが、
この日はとても素朴な生の音色。
たぶん、本人の耳にはバランスまでは聞こえてなかったと思いますが、
バックで静かに鳴っている感じが、なぜかカリンバなどのゆるい音を思わせたりしてよかった。

と、後半に入って、とつぜん椅子から立ち上がった依子さん。
そのままゆっくり前へ進みだし、店内を入口のほうへ向かって歩きだしたのでした。
女優・洞口依子が、朗読者・洞口依子に勝っちゃったのでしょうね。

ややあって、ハッとした私。ビデオカメラで追わなきゃ。
固定してあったカメラを掴むように持ち上げて、彼女を追って移動しました。
そして、カメラのモニターを見た私は、息をのみました。
羽田由美子…!

 
羽田由美子は、黒沢清監督のVシネ『勝手にしやがれ!!』シリーズで依子さんが演じた役柄。
黒沢監督の演出によって、由美子役の依子さんは、真っ暗な店を背景に、うなじを美しく浮かび上がらせ、
しゃべりながらさらに奥の暗がりに歩いたり、立ち止まって振り向いたり、
ひたすら美の背筋を伸縮させているかのような印象を与えてくれて、私は(何度も書くけど)大好きなんです。

いま、このうてな喫茶の、とくにカウンター近くに立って本を読む姿。
女優・洞口依子のなかでも、羽田由美子スウィッチが入ってしまったのですね。
モニターを見ていた私は、トリハダです。もひとつ、
トリハダ2です。首くくってもいい、と思ったもん。
(もしかして、ワタシ、羽田由美子を「撮った」、黒沢清監督以外の唯一の人間なんでしょうか)

後から聞くところによると、依子さん、このときは本当にすべてが「映画」の世界に入っちゃったんだそうです。
それも、とりわけ役者の動きが自由な映画。黒沢監督の映画がそうだし、ゴダールの『中国女』とかもそう。

なんたるシアワセ。
この日、これを見れたかた、いいもん見ましたね。
わかるでしょう?
『子宮会議』という本が、ただの闘病エッセイにならず、その向こうにいろんなモヤモヤした影が蠢いていて、
最終的に「ものを創る」ことのコワさから逃げないで背負ったからこその強度があるということが。

あの店内にいたみなさん、彼女がこっちに歩き出したとき、ドエライものを感じたでしょう?
朗読の内容とはちがう、なんだかわけのわからん空間が、あの店内に突然生まれたでしょう?
そういうことをやってのける女優なんですね。

去年、つまり2006年、私は彼女のブログを見つけたわけですが、
それはもう、井戸の底で光が当たるか当たらないかの暗闇に、彼女はいたわけです。
ま、いろいろいいこともあったんでしょうが。あくまで比喩として。
そのころ彼女を見つけるには、井戸の上から声をかけて、無事を確認してからじゃないとできなかった。
でも、もう、今現在、私は彼女を見上げています。
まだ、はるか上空とまでは言わない。いかな私でも。
それでも、あんなだった人が、こんなになったということに、年の瀬、私は大きな感動をおぼえました。

セッションが終了したあと、依子さんから「ウクレレを弾きたい」との言葉が出て、
店長さんにお借りした依子さんは、ファルコンのスライド・ギターとセットで、
パイティティのIce Cream Bluesを披露。
音数の少なさが、この曲ではチャーミングさにもなるんですね。

聞きながら、あ、そうかと思ったのは、じつに私事なんですが、
はじめて『ドレミファ娘の血は騒ぐ』のポスターで依子さんを見初めたのって、
ここ梅田界隈のどこかの映画館だったのでした。扇町だったかな?
幾星霜、なんていうと大げさすぎますけど、そう思うとなんとなく星を見上げたくもなりました。
雨やっちゅうのに。

 
うてな喫茶さん、末筆になりましたが、会場ご提供、本当にありがとうございました

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