『子宮会議』リーディングセッション in 名古屋
4/4(日)、名古屋市ウィンク愛知大ホールにて、13:30〜



花冷えの夜が明けて。
開府400年を迎える名古屋城内は桜満開。

以前「ファン対談」でもお相手いただいた
おさちゃん
に案内していただきながら市街を散策し、
お城の濠に沿って賑わう露店のおばさん達の会話から漏れ聞こえる「にゃー」や「りゃー」の言葉にうれしくなる。
短いひとときにかきこむように食べた味噌煮込みうどんの熱さに汗を滲ませながらウィンク愛知に入ると、
700名以上は収容できると伝え聞く大ホールがすでに9割埋まっていました。

中日新聞社主催の「子宮頸がん予防活動キャンペーン講演会」の第3部が「『子宮会議』リーディングセッション」でした。
私がこれまで経験したこのセッションでは最も多い参加者数でした(今回、惜しくも選に漏れてお会いできなかったかたもあったほど)。
第1部では、吉澤加奈子先生の同じ女性としての実感を率直に表しながら参加者に語りかけるようなお話、
第2部では、吉川史隆先生が国内外での実例を具体的に紹介しながらのお話と、40分ずつの講演があり、
第3部がリーディングセッション、そして吉澤先生と洞口依子さんを交えたトークでした。

今回で17回目となった『子宮会議』リーディングセッション。
セッション自体から受ける印象も毎回変われば、客席の空気も同じものは二つとなかったと思います。
依子さんとファルコンが登場し、わずかな沈黙の後に最初の一節が読み出される瞬間は何度見ても息を殺して見守ってしまいます。
今回、最初に読まれたのは『子宮会議』のまさに序文、プロローグの部分でした。

このイントロダクション、とくに「これはあなたが読む、ひとりの女のひとのお話」は最高の導入部となったのではないでしょうか。
現実にいまそれを読んでいる「わたし」(著者)からの「あなたが読む」という言葉にある、主客が反転するような感覚。
そして「子宮」からの呼びかけが、幼女のようでも魔女のようでもある声(回を重ねるごとに譬えるのが難しいほど独特の響きになっている!)
で読まれていくところでは、客席に背筋を急に伸ばす人の姿がありました。

朗読の内容が、病気のことを調べるうちに「がん」という文字ばかりが目についてしまう段や、
自分を見失いそうになり、周囲との関係にも軋轢が生じてしまったと語る段(これは「洞口依子映画祭」でのトークの時にも触れられた)、
そしてそこから「自分を取り戻したい」という思いにたどり着く箇所で、何度も涙を拭っていた人も見ました。
『子宮会議』は、読者一人一人の中に入っていって読ませる一冊なのだなと、こういうときに実感します。
「がん」の言葉を繰り返し発する部分は、少し後にも出てきて、きっと多くの人がその声の大きさやトーンの変化に
いっそう胸をえぐられる思いがしたのではないかと思います。

リーディングセッション後のトークでは、手術し退院してからが本当に苦しい時間の始まりだったことが語られました。
参加者へのメッセージを求められた依子さんは、「わたしは閉めの言葉は苦手なのですが」とことわったうえで、
「わたしもここまで来るのは本当に大変でした。でも、やっとここまで来れました」と希望を持つことの意義を言葉少なに語り、
そこに「いまでもまだモヤモヤした部分はありますが」と付け加えました。
一点の曇り、とても重い曇りを残すからこそ、その希望という言葉には淡々とした明るさを感じましたね。

今回読まれた部分には、細部以上に、『子宮会議』全体の流れを想像しやすい箇所が多かったと思います。
おそらく初めて体験する人が大半だっただろうこの日の会場の、さらに初めてこの本の存在を知った人も、
この日読まれた部分から伝わることは決して少なくなかったはずです。 そこが新鮮でした。
最初にイントロダクションが読まれたことも、その印象を強くさせたのかもしれない。

リーディングセッションは毎回印象が異なります。
今回はギターがいつになく朗読とソフトにからんでいるように感じました。
しかし次のセッションではまた大きく変わっているのではないか、そんなことを想像できるのがこの試みです。
この日、リーディングセッションに初めて参加された人は、2回、3回と重ねられる機会があればと思います。
名古屋のみなさん、また日本のどこかでご一緒しましょう!



『子宮会議』(洞口依子 著 小学館)
『子宮会議』のPVをYouTubeで視聴できます!



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