『ミカドロイド』(1991)

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この作品は『洞口依子映画祭』で上映されます!

まず冒頭、日本軍がかつて極秘裏に開発していた人造人間「ジンラ號」のスペックが字幕で説明されます。

動力:   複式直結発動機五型
      蓄電池三号 二次廿一型
射撃兵装: 百式改短機関銃(ベ式)
一般兵装: 九十八式軍刀
空挺兵装: 九十一式落下傘
自爆装置: 三式自動発火装置
      五瓩爆弾六個

…う〜ん、ありがたみがわかりません。
原口智生監督はガメラシリーズ(平成版)の造形に、石井輝男監督や鈴木清順監督らの作品で特殊メイクを担当されているベテラン。
きっと、わかる人が見たらわかるんだろうな、くらいに察するしかない。

とくに「(ベ式)」「九十八式軍刀」「九十一式落下傘」のところ。
「おぉっ!ベ式か」「なるほど、九十一と来たか!」と反応してみたい気がする。
待てよ、リアクションも、「おぉっ!」ではないのかな。「うぅむ」だったりして。

というわけで、一部ミリタリー・マニアの間では、洞口依子といえば『ミカドロイド』だ!が常識になっているほど、
カルト的な人気を持つ作品です。そのあたりについては、私にはなにもコメントできません。
「ジンラ號」のズングリムックリの体型も、実際にあった日本軍の軍装と兵器を下敷きにしているそうです。
そういうことがわかったら、きっとまたちがう楽しみ方ができるんだろうなぁ。
そういうの、シンパシーを感じるんですよね。ワタシもまた独自の楽しみ方で映画を見てますから。

この映画での洞口依子さんは、仕事のできるキャリア・ウーマン。
仕事だけではなく、恋もドライにテキパキこなし、かったるそうに夜遊びをしています。
この導入部の依子さんには、あんまり惹かれるものはないです。
洞口依子にバブル期の若い女をあててみました、といった程度で、21世紀の今日、私のエンジンはかからない。

ところが、彼女がふとしたことから、吉田友紀さん演ずる電気修理の男の子と、地下駐車場に閉じ込められてしまう。
そこに「ジンラ號」が甦って、武器を振り回して襲ってくる。追っかけてくるんです。
さぁ、映画はここから、ひたすら逃げる物語になります。
戦争に翻弄された兵士の悲哀を漂わせてはいますが、追っかけて逃げる話です。すごく古い。
この古い骨格の中に入ったとたん、依子さんが輝きだすんですよ。これがポイント。
彼女の瞳が、そこからラストまで、恐怖で開きっぱなしなんです。

洞口依子さんは、そこにいるだけで、相当に恐怖や不安を醸しだすことのできる女優です。
気が抜けたような、呆然としたような表情や仕種が作品の「勘所」にハマると、特異な異物感を作り出す。
だから、本当はあんまりハッキリと怖がらないほうが素敵ではあるんです。
もっとボンヤリした曖昧な不安感に生命を吹き込むことのできる人だと思う。

にもかかわらず、「追う/逃げる」のシンプルで明瞭な構成と、マニアックな装置への偏愛的こだわりが、
時にバランスを崩しかけながら歪んだ愉しみをもたらすこの映画の世界では、彼女の大きなリアクションが、
「ジンラ號」の動きやスピード感を飛び越えてしまうほど痛快な馬力を見せてくれるのです。
それはクライマックスで、「ジンラ號」への反撃を企てるときの表情に溢れるセクシュアルな輝きまで続きます。

つくづく、特異な環境で光る女優さんなんだなぁと思います。

89年のある雑誌インタビューで、依子さんは、
自分のような屈折した人間が、屈折した経緯で公開されるような作品でデビューしたので、
はみだしものが素晴らしいんだと思うようになってしまって、
いつのまにか裏街道に居つくようになってしまった、という意味のことを語っています。
俳優という職業に就いたことのない私には、それは本音なのかどうか、想像するしかない。
でも彼女がこれまで、そして今もなお描き続ける、くね曲がったように見える軌跡には、
やはり洞口依子流儀としか言いようのない筋が通っていて、私にはそれが輝いて見える。とてもユニークな、宝物だと思う。
できれば、誇りに感じていただきたいです。


なお、黒沢清監督と林海象監督が出演されてます。
どこに出てくるかは見てのお楽しみ。

(原口監督へのインタビュー記事はこちら
(『ミカドロイド』については、こちらでより詳しく書いております)


1991年11月8日
東宝シネパック 制作 東宝 配給
原口智生 監督 脚本
実相寺昭雄 監修
樋口真嗣 特技監督

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