『炎立つ』(1993)

当サイトは、この『炎立つ』で侍女・柾(まさき)を演じた洞口依子さんのファンサイトです。
依子さんの出演作を、出番数秒のものから出ずっぱりのものまで解説していくのがこのコーナーで、
いわゆる作品評とは主旨が異なります。

また、最初にお断りしておきますが、ネタバレです。ストーリーを書いてます。

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洞口依子さんが出演された大河ドラマはこの『炎(ほむら)立つ』以外には、
1991年の『翔ぶが如く』と2003年の『武蔵 MUSASHI』があります。

この93年、大河ドラマは年2本制作され、『炎立つ』は7月にスタートし翌3月に終了しました。
前作の『琉球の風』が1月から6月まで、そして後続の『花の乱』が4月から年末まで。
通常より短い期間で、しかも原作と脚本がほぼ同時に書かれたそうで、
制作上のいろんな修羅場を想像してしまいます。

全3部構成で、依子さんの出番は第2部「冥(くら)き稲妻」
この部は全8話で成り立っています。
清原清衡(きよはらのきよひら)の異母弟、家衡(いえひら)が兄者に叛旗を翻す、
「後三年の役」という内紛の顛末が描かれていて、
この兄弟(兄が村上弘明さんで、弟が豊川悦司さん)の軋轢が見ごたえあります。

第1話「母子の契り」

依子さん演じる柾(まさき)は、この回から登場します。
弟・家衡がまだ若いころ、嫁候補として都から招かれたのがこの娘。
弟のためにどんな娘が来たのか気になる清衡が、「柾どのは?」と妻(坂本冬美さん)に尋ね、
うながされるままに見やると、板敷の廊下(「縁側」って呼んでいいんだろうか?)にいるのが、柾。
清衡の子供らを遊ばせているように見えますが、これが横着と言いますか、
自分は本から顔を上げず、玩具をぽんと放り投げたりして適当に子供らをあしらっている様子。

清衡の妻は困惑しながらも、「都のおなごとあって、本が好きなのですね」。
柾は「この本は、古いだけです。ただただ、古いだけです」と、辛らつなコメント。

ちなみにその本とは『蜻蛉日記』。作者は藤原道綱母だそうです。
このやりとりを御簾の向こうから伺っていたのが、清衡と家衡の母(古手川祐子さん)。
「あのような賢(さか)しいおなごは、嫁にはふさわしうない」と渋い顔で、侍女に迎えることになります。

この第2部は兄弟と一族郎党の衝突を主軸にしているためか、どうしても男性陣が目立ち、
女性はあまり印象に残りません。
その中にあって、どこでも本を持ち歩いて読んでいる柾のキャラクターはおもしろく、
全体の進行にもう少し余裕があれば、この役と洞口依子さんが結びついた旨味も発揮されたのかなと思います。
でも、9ヶ月でこれだけのドラマをさばくには、そこまで比重を置いてはいられなかったのかもしれませんね。

第2話「策略」には、依子さんの登場場面はありません。

第3話「亀裂」

冒頭から登場します。
清衡が、かねてより因縁のある源義家(佐藤浩市さん)とはじめて対面するのを、物陰からこっそり覗いている柾。

カメラが彼女の素足からのぼっていって、目を細めて様子をうかがっている表情をとらえまして、
これが、視力が低いようにもとれる目つき。
ふだん、「北国の生活は退屈にございます」などとこぼしている彼女は、読書するときと、
このように何事かを盗み聞きするときに、瞳が好奇心で輝きます。

平安時代にも、こういう空想趣味の強い女官がいたのかもしれませんね。
とくに彼女の場合、本を読みふけっている姿が強く印象に残ります。

第4話「清衡の反乱」

風雲急を告げる展開になってゆきます。
清衡の兄・真衡(萩原流行さんが楽しそうに演じる悪役)が、源氏の血を引く娘と平家の少年を結婚させて、
自分と養子縁組をします。 
この陰謀を阻止せんと、清衡は自分の館にこの貴い若夫婦を迎え、女たちも笑顔でもてなします。
柾は、姫君に、「物語などお好きでしたら、お読みになりませんか?」と話しかけ、彼女の読書家キャラが強調されます。

第5話「清原分断の罠」

さらにこの回では、写本をする柾に、さきの姫君が「写経ですか?」。
柾は、「このような田舎では本も満足に手に入らないので、見つけたときに写本をしているのです」と、
例によって愚痴をこぼしながら、その本『宇治大納言物語』を姫に勧めます。

私の乏しい古典の教養では、たしかこの本って、『宇治拾遺物語』の本編ですよね。
『宇治拾遺物語』がこれのアウトテイク集だったんじゃないかな。ちがったらすみません。
もしそうだとしたら、柾は説話集も読む、なんでも来いの本の虫ということでしょうか。

第6話「兄と弟」

この回では、くだんの若夫婦のうち、行動を制限された平家の若君が酒におぼれる場面があります。
昼間っから女たちを前に呑んでクダをまいてからむ近くで、なんとここでも柾は本を読んで仕えています。
しかも若君の酔いが度を進めると、本に目を落としたままクククと笑い出したりします。

勤務中に読書しているのを咎められないということは、周りが彼女に匙を投げているのか、
あるいは酔っ払いの殿に不満を持つ同僚たちが、彼女の天然の大胆さに同調しているのか。
いずれにしても、「洞口依子が本を読んでいる姿」が、じつに効いてくる瞬間です。

周囲に気兼ねしない彼女の態度を放任しているのは、この館の人々だけではなかったのです。
視聴者もまた、なんだこの本ばっかり読んでる娘は、と訝りながらも、
平安の世にも新人類(!)がいたということだろう、くらいに納得して放任していたのです。
そのことに気づかされる一瞬です。

また、柾という侍女は、本を読むときにかなり顔を近づけるのですが、
人と話をするときも、目を細めがちにして見るんですね。
近眼なんでしょうが、ドラマのなかで、第三者の視点で成り行きを観察しているような、よそよそしさを感じさせます。
先述したように、あと少し細かく描く余裕があれば、柾の面白さはもっとわかりやすくなったんでしょうが、
私のような洞口依子ファンには、むしろこのくらい放っておかれるほうが、イマジネーションを刺激してよろしい。

この回ではさらに、柾の大舞台が控えています。

柾が家衡の寝室で女の死体を発見する場面。
ここから、蒼くうすぼんやりした灯りのもと、ホラー的な空気が熟成されていきます。
ギャッと驚くまもなく、家衡たちがやって来て、あわてて物影に隠れる柾。
柾に気づかない家衡は、そこで
謀叛の密議を開きます。
画面奥では男たちの謀略。
画面手前の真っ暗な襖の陰に、依子さんの顔が蒼い燭にぼおっと浮かび上がる。
 
彼女の特異な美しさが禍々しさと手を結んで、ここが、このドラマでの依子さん最高の場面。

この1993年、すでに洞口依子さんはサスペンス劇場で活躍されていたので、
ここはそこで磨かれた彼女の勘や反射神経があらわれている、という見方もできます。

ただ、
コミュニティの外から来た変わり者でありながら、それが愛嬌にも転じる柾の像と、
演じる依子さんの意外にあっさりとした味つけに、あとほんのちょっと加味すれば、
いや、けっこうな量を加味して混ぜなきゃダメかな、
私には、この場面での依子さんに、このあと大きな飛躍をとげるサイコ・スリラーでの彼女を
プレヴューすることもできます。
すごく気の早いプレヴューですが、彼女自身の個性が自然と醸しだす不安感に、
恐怖を誘うシチュエイションに負けない主張が感じられるのです。

第7話「後三年の合戦」

依子さんが登場するのは、この第7話まで。
柾が知った家衡の陰謀は、奥方と子供を監禁するというもの。
しかし、これを注進したにもかかわらず、清衡はなんの用心も見せず、その日を迎えようとします。
不安と焦りに曇る柾の表情は、このドラマの彼女で、感情がもっともわかりやすく伝わるもの。

清衡の命を受けて、柾が奥方と子供をつれて館を抜け出そうとする場面。

『炎立つ』は、大河ドラマとしては、スタジオ収録でないロケの部分が光る作品で、
第7話は、第2部でもっともその効果が発揮された回です。
めずらしく平安時代の衣裳をまとった洞口依子さんが広い敷地を急ぐ姿は、記憶にとどめたくなります。

その後、脱出に失敗して監禁された彼女たちの非業の最期では、
燃え盛る炎に動転する柾の姿が、きっぱりと死を覚悟した武家の奥方と対象的でした。
柾の最期も、あっさりしていてよかったと思います。
でも、こういうシーンって、演じるほうは大変なんでしょうね。

この『炎立つ』については、私は先に総集編の2本組ビデオを入手して見ました。
このドラマを上下にまとめるのは、いかにも無理があります。
展開はさらに加速され、柾も彼女が読書好きであるという設定すらわからないほどでした。

奥州藤原氏三代の興亡を描いた物語です。
大河ドラマでもあまりなじみのある話ではないと思います。
正直いって、登場人物の名前をおぼえるのもけっこうな作業でした。

でも、
作品はとても面白いです。
とくに、ここで取りあげる第2部は傑作と呼ぶに値するできばえでしょう。
9ヶ月で三代にわたる物語を、相当過酷な条件のもとに進行したことと察しますが、
よくここまで作ったなぁと思いました。

今回、全話DVD化されたものを見直すと、どことなくつかみどころのない「新人類」(!)のような人物像に、
洞口依子ファンとしてくすぐられる箇所が多々ありました。
全話となると少し難しいかもしれませんが、ファンなら、第2部は見て楽しめますよ。

(追記)
 
原作のこの第2部に相当する『炎立つ <4> 冥き稲妻』(講談社文庫)を読んでみたところ、
依子さんの演じた柾という侍女は登場しませんでした。
乙那(ドラマでは寺田稔さんが好演した、物部氏)の従者である真耶に、その原像がうかがえますが、
ドラマ用にオリジナルに作られた登場人物といってよいでしょう。

『炎立つ』での依子さんは、彼女に特徴的なしぐさや目線などは抑えていますが、
本に夢中になっている姿からは、文系女子の巧まざる可愛ささえかもし出されます。
彼女が仕えの最中に読書をして吹きだしてしまうタイミングも、
読んでいた本(おそらく、滑稽話も含まれた『宇治大納言物語』か?)がおかしかったのか、
殿の醜態に失笑したのか、演出ではあいまいになっているのが絶妙なおもしろさです。
侍女というよりは、フランス映画に出てくる小間使いのようなキャラクター。
重厚な物語にあって、ほんのりエスプリを漂わせる存在であります。

ちなみに、彼女がドラマ中で読んでいた『蜻蛉日記』は975年ごろ、
『宇治大納言物語』は1070年ごろにそれぞれ成立したもの。
『炎立つ』第2部のおもな物語は、1085年前後とのことです。
『蜻蛉日記』を「この本は、ただ古いだけです」というのは、それなりの実感でしょうね。


1993年9月26日(第2部「冥(くら)き稲妻」の第1話)
〜1993年11月7日(同第7話)
原作…高橋克彦『炎立つ』 (第1部、第2部のみ)
脚本…中島丈博


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