『あした』(1995)

(洞口依子さんの出演場面についての解説です。 また、大いにネタバレを含みます。
作品を無心で楽しまれたいかたは、読まれぬよう…)

大林宣彦監督の『あした』です。
小型客船の事故で遭難した人々が、それぞれ愛する人を浜に呼び集め、お別れを告げて去っていく。
ぼくはあまり大林監督の作品に詳しくないのですが、『異人たちとの夏』を連想しました。

しかし、こちらは寒い季節の物語でして、
撮影も1994年の10月から翌3月にかけて行われたそうです。
そして、(デッキの上の原田知世さんを含む)22名の主要人物のなか、
ひときわひんやりとした眼差しをたたえて登場するのが洞口依子さんです。
彼女が呼子浜に現れるや、画面の奥のほうからじわじわと夜の冷気が伝わってくるのが、
ファンの贔屓目かもしれませんが、やっぱりたまらないです。

ところが、依子さんの役は、お別れを告げに来る側ではないんですね。
彼女の演じる小百合は、会社の水泳部のコーチと恋愛の一歩手前で彼の思いに応えられず、
コーチは遭難した船に乗り合わせてしまったのです。
このコーチが村田雄浩さん。
依子さんとはずっとのちに『津和野殺人事件』(2008)でも共演をされています。

小百合には、結果的にその浜で合流することになった年下の同僚がいます。こちらは「沙由利」。
この沙由利は、先輩の小百合にコーチが宛てた浜への誘いを自分宛てと勘違いして来てしまう。
二人のサユリが会社ですれ違うところが、依子さんの登場シーンです。
そしてそこから1時間、依子さんの小百合はまったく現れません。
他の人物たちは、浜にやって来るまでの道中がかなり細かく描かれていますが、
小百合だけが、みんなが揃ってややあってから、漁船に送られて最後に到着します。
ほかの人々が集まった船着き場の待合所の空気は暖まっていて、そこに依子さん。
冷たい潮風を持ち込むようにして、群像に一点の翳りをもたらします。

彼女が他の人々の談笑と距離をおいて動くのは、孤立しているというのではありません。
彼女自身が不治の病に冒されて余命わずかで、コーチの気持ちには応えることができなかった。
それが今夜、この世に存在しなくなった彼と逢える。
コーチの死を悲しみと受け止めながらも、自分と同じようにあしたから切り離された彼となら、
やっと向き合える安堵感。
そしてその気持ちにつきまとう、彼への後ろめたさ。
こんな複雑な心の葛藤を、道中記としての描写がないままで表現しているのが、
この作品での洞口依子さんです。

まっすぐにあしたを見つめられない彼女の眼差しは、青春の只中にある他の少女たちと比べて
沈着に見えるところがあります。
イルカに逢える日 』のときと、設定や立ち居振る舞いに近いものもある。
他の人物と違って道中や日常が描かれないぶん、依子さんの輪郭をぼかしたような存在感が、
小百合の奇妙に慎ましい静かさとして働いています。

彼女は、コーチの、「一日でも長く、精一杯生きてほしい」という願いを聞き入れます。
それまで穏やかに淡々と話していた小百合が、
「わたし、悪い子になるよ。生きてる人に恋をするかもしれないよ」と
涙を浮かべて、初めて感情をあらわにする場面がいいです。
その言葉に振り向かず、軽く手を振るだけで桟橋を渡ってゆく村田雄浩さんの背中と、
それ以上なにも言葉を継がずに彼を見送る依子さんの姿。
ずーっと描き込まれていなかったカンバスに、いきなり絵の具を倒して色を広げたような、
不意の涙の鮮やかさです。にくい別れです。
それに、この小百合のキャラクターで聞かせる「悪い子になるよ」というセリフにも、
いわゆる、ひとつの、ほだされてしまいます。
この世とあの世の男女ということであれば、2人の俳優さんのイメージからすると逆のような気もするのですが、
このシーンでその意外性が逆転する形になって効いています。

ところで、この映画、古い木造の客船を実際に沈めてクレーンで引き揚げたそうです。
あの呼子浜も、向島シーパークというところにオープンセットを組んだのだとか。
あの待合所は現在バス待合所として使われていると、瀬戸内しまなみ海道振興協議会のサイト
http://www.go-shimanami.jp/shisetsu/mukaishima/005.htmlにありました。
22人の俳優が(もちろんスタッフも)そこで撮影をしている光景。
きっと独特の雰囲気があるんでしょうねぇ。
ラストで、足だけとはいえ、依子さんも踏み入っていった3月の海は冷たかったんだろうなぁ。



大林宣彦 監督・編集・撮影台本
桂千穂 脚本
赤川次郎 原作
坂本典隆 撮影
1995年9月23日公開
2時間21分
製作=アミューズ=ピー・エス・シー=イマジカ=プライド・ワン 配給=東宝


 

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