『私は悪女?』(1994)

まず、たっぷりと、桃井かおりさんと夏木マリさんが女の対決をくりひろげます。
こわいこわい。この撮影現場のことを想像するのがいちばん怖いです。

物語は北海道から始まります。
ふたりは清水紘治さん演ずるホテルマンの前妻(夏木さん)と後妻(桃井さん)という設定。
前妻の夏木さんは、生まれて一年の娘も置いて、男を作って失踪。
後妻に入った桃井さんは、娘にいきさつを隠して本当の子として育てています。
そこに、突然前妻からの連絡があります。
彼女は病で余命いくばくもないので、夫に会って謝りたい、娘に会いたい、と言ってくる。
後妻が会いに行くと、たしかに死の床にある。
夫は彼女の手口を知り尽くしているので、かかわりあいを避けようとしますが、
後妻は前妻への憐憫が、少しずつ夫への不満に移ってくる。
おのが不甲斐なさをなじられた夫は、苦い思いのまま前妻を訪ね、口論となり、絞殺してしまいます。

ふーっ、ここまでが怖い重い。
あれっ?
依子さんどこに出るのかな、だいいち「桃井対夏木」だけでもう腹いっぱい。
これに「洞口」が加わったら、なんかサングラスに黒マジック塗るみたいなスターレスの世界に突入して
しまうじゃないかと思っていると、そうだったのか、時間がそこで一気に飛んで、20代の大人に成長した娘、
これが依子さんなのでした。

そこまで、「悪女、ははぁん、夏木マリね、似合うねぇ」とか
「この、感情抑えた桃井かおりの図、ちゅうの(あ、桃井節が移っちゃった)?これだって悪女でしょうに!」
とか、展開の怖さにあらがうかのように、解釈つける余裕を確保していたのが、
この娘の底なしの悪さには背筋が寒くなります。こいつが、「悪女」。

舞台が大阪に移り、依子さんが歩いてくるところから後半が始まります。
見るからに普通の女の子。
自転車置き場にやってくると、じつに何食わぬ顔で、停めてある自転車のチェーンを切断し、
そのまま軽やかに怪しい自転車屋に入って行き、幾枚かの金に換えます。
それを見たのが北村総一郎さん演ずるおじいちゃん。
呼び止めてやさしく諌め、親身になって彼女の力になってあげようとする。
と、依子さんは、このおじいちゃんを食いものにし始めるんですね。

この娘がまたワルいやつだ、お手伝いさんになって通いだし、身の上話などでおじいちゃんの同情を引きながら、
おじいちゃんの情がこっちになびいてきた頃合いに、急に来なくなる。
で、おじいちゃんが会いたくなりだした頃に、ひょっこり現れて、
「北海道の母が亡くなって・・・」
かと思うと、
「私、体が悪いんだけど、お金がないから病院に行けなくて・・・」
まぁ、不埒な悪行三昧。
ついには、このおじいちゃんを落としてしまうんですね。

依子さん、カッコいい。そのひとことに尽きます。
今でもこういう役はできるし、もちろん似合うだろうけど、これはこれで、20代の洞口依子のスパークが飛び散ってます。

桃井さんと夏木さんは、前半でピッタリと出番が終わります。そんなのアリなのか。
ということは、ドラマの後半は依子さんがこのおふたりの重みを一身に引き受けているわけです。
桃井&夏木の非日常的なまでの演劇感、シアター感に拮抗するのは、依子さんの、庶民性を残したたたずまいから
蛇の舌のようにチロチロとのぞく悪意と凄みです。

演出も凝ってます。
夜、表を走っていく車のライトが、回転木馬のように依子さんの顔をかすめていきます。
おじいちゃんの家の格子戸越しに映る依子さんの顔が、鉄格子の向こうにあるかのように見える瞬間が出てきます。
雨が棒のように依子さんの顔の前を降りしきり、水のカーテンの向こうにぼやけて見えます。
これら縦縞のモチーフ。

この娘が、父のおかした殺人(彼の前妻=彼女にとっては実母が被害者)をどのように受け止めたのか、
まったくその描写や説明はありませんが、縦縞のモチーフがこの娘の背負った十字架のようにも見えるのですね。

それにしても、視聴者の気分を救わないドラマです。
最後の最後、この娘に同情しようかと身を乗り出したとたん、それをひっくり返してしまう。
いやぁな後味を残す物語なのですが、依子さん、ホントこういう役を楽しそうに演じますよね。
彼女の中には、人間のダークな部分とごく自然に化学反応を起こす物質が粒子レベルで存在するのではないか。

(なおオンエア前日には、依子さんが関西テレビの『紳助の人間マンダラ』にフル出演し、番宣を務めました)

1994年11月21日放送
関西テレビ制作
三浦綾子原作
林宏樹演出



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