『パンドラの匣』(2009年)
                              

(当サイトは洞口依子さんのファンサイトで、このページは作品中の洞口依子さんに関するものです。
また、ネタバレを大いに含みます)

洞口依子さんが冨永昌敬監督の新作に出演!と聞いたときから盛り上がってしまい、
公開前から「映画館に行く前に!『パンドラの匣』道場」なるページを立ち上げ、そこに冨永監督からいただいた御言葉を掲載したりもしたのですが
とは言っても映画は好条件だけでは決まらない。
う〜ん、残念な出来だったら皆さんにどう顔向けができようかという逡巡も多少はありました。

けれど、最初のカットが映った瞬間に「勝負あった!」「ヤラレタ!」とすっかり参ってしまって、
陶然とした心地で最後までぞんぶんに楽しみました。 おもしろかった!

この映画自体についての感想はいつか、どこかで述べるとしまして、洞口依子ファンサイトとしても、これは会心の作と言えるもの。
奇跡の怪作『シャーリー・テンプル・ジャポン』以来、すっかりご贔屓となった冨永監督の作品で、
これまで私を惑わせてくれた依子さんの魅力がひらひらと躍っているのを観るのも楽しい。

父親が不在の物語です。
太宰治の原作では多少の記述があったひばりのお父さんが、ここでは現れません。
ひばりの家族として登場するのは、依子さん演じるお母さんのみ。

オープニングの、玉音放送のエピソード。
よくあるのは、(だいたい屋外で)ラジオを取り巻くように頭を垂れる大人たち、という絵柄ですが、
ここではひばりの家に集まって拝聴する人々を横向きに座らせて、三和土(たたき)からひばりの視線で描いています。
忍び泣きの声がするでもなく、あまり重過ぎない空気の室内。
そこに、ひばりとお母さんとの短いやりとりがあるのだけど、これがなんともとぼけた軽みをともなうものです。
「お母さん、ぼく、血を吐きました」
「あら?」
この瞬間の依子さんのリアクションが絶妙。 
「あら?」って、病弱のひとり息子が喀血したと報告してるのに、しかも国家の一大事に立ち合っているのに、
目も口もきょとんと丸めて、「あら?」。
なんだか浮世離れしたところがあるというか、この時代の女性像ではあまりお目にかかれないつかみどころのない愛嬌。
これをいっさい説明することなく、あの世にも妙なるテーマ曲に乗せてのタイトル・バックが始まる呼吸が、何度観てもニクいです。

お母さんはいったんここで退場。
物語は、ひばりにとって父親からも母親からも遠い、「余計者」の他人どうしが身を寄せ合う健康道場へと場所を移します。
花宵先生なる人物が、父親のキャラクターを備えているようにも思えるのだけど、彼はアイデンティティにこじれた部分があって、
それはオープニングでサラリと描かれた日本の敗戦とも結びついてあれこれ想像させるのですが、それはともかく。

お母さん。
もう一回登場するんですよね。
それも、最初の時以上にさらにフワフワした雰囲気が増していて、ひばりのもとを訪れる足取りなんか、少々浮かれてるかのようにも見える。
この映画では、ひばりは主に2人の女性をめぐって恋のすれ違いやかけ違いを繰り広げるわけですが、このお母さんも、なんだか、あやしい匂いがします。
だって、染谷将太くんの演じるひばりがほんとに魅力ある男の子なんですよ。
結核という自分の置かれた境遇から、他人に優しすぎることもないし、ひねくれすぎてもいない。 でも、自然体で心に茨を感じさせる。 
そして、それすらもまだ未発達、未分化で。 ダークに完成されていない。
そんな男の子だから、なにかしら女性に訴えかけるものがある。

で、お母さんも、たぶん、その一人です。
再登場シーンでのお母さんのこの笑顔を見てくださいよ。 これって、「ちょっと自慢の年下の男の子」に向けられる笑みですよ。
それにあのプレゼント。 
先にマァ坊からのあんなに素敵なプレゼントあって、まるでそれに対抗するかのようなイメージで(物語上、まったく接点はないのだけど)、
「この自慢の男の子は、わたしの息子よ」とばかりに、ふわり、そして無言で受け取るひばり。 このシーンは素晴らしいですよ。
その直後に、マァ坊とお母さんと、両方の女性からのプレゼントでコーディネイトしているひばりはさすがです。 それも無意識、って感じがいい。
こういうのを、「魅力的な男の子」像というのだと私は思う。

洞口依子さんが演じることで、このお母さんの中にはマァ坊的なものと竹さん的なものが同居しているかのように思えます。
ひばりがその2人の女性のあいだをウロウロする感覚には、ひょっとするとこのお母さん像が、洞口依子さんがいるのかもしれない。
そんなことを、お母さんの再登場に思うのでした。

こういう役ですという説明が難しいキャラクターだったと思うし、じっさい説明はほとんどされないけれど、忘れがたい。
そういう面やプレゼントなどもふくめて、『ニンゲン合格』での依子さんが好きというファンにも観てほしいです。

私にとって、この映画の美しいテーマ曲もアブストラクトなサウンドトラックも、どちらも、洞口依子さんの魅力と切り離して聴くことができません。


2009年10月10日公開
製作 ユーロスペース 『パンドラの匣』製作委員会
配給 東京テアトル
冨永昌敬 監督・脚本・編集
原作 太宰治
音楽 菊地成孔
撮影 小林基己


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