『マネジメント・バイアウト MBO 〜経営権争奪・企業買収の行方〜』(2007)

出来すぎですよ、このヨメさん。

いやぁ、経済のこと、経営のことにからっきし弱い私は、三上博史と洞口依子の夫婦役、
このウルトラ・エクセントリックなつがいに如何なる修羅場が訪れるのかを楽しみに見たわけですが、
ちょっと拍子抜けするくらいに平穏な家庭像です。
とにかく、ここまで良妻賢母に徹する依子さんというのは、他にあまり思いつかない。

いい嫁なんだ。
ここまで男の都合に理解を示されると、逆に何事か企みが進行しているのではないかと、
現実の男性諸氏ならだれもが不安に思うんじゃないでしょうか。
でも、そんな女のしたたかさも窺わせない。
柔らかく、包み込むような笑顔で夫の人生最大の危難を見守り、
独りにすべきときには独りにして、息子とサッカーの練習に興じて、
通常であれば家族の行く先に立ち込めうる暗雲から、いつも一条の光を差し込ませる妻。

三上さんは100店舗以上を誇る大手デパートの社長なんですが、巨大な企業グループの中ではサラリーマンにすぎない。
「臆病であるがゆえの完全主義者」と自嘲気味に語る彼は、それでも老後のさらに先までも想定した、
文句のつけどころのない家庭生活を妻と息子のために維持しています。
そこに、このグループの総帥からの召集です。
これが平幹二朗さん。
朝から巨大なカニの脚を何匹ぶんもむしゃぶりつくように平らげて、夜にはプールサイドで花火遊び。
こういう人の前に立つと、サラリーマン社長は蛇に見込まれた蛙になっちゃいます。
そんな威圧させる謁見で、オーナーが雇われ社長に命じたのが、
「きみは、別のグループ会社の重役になってくれ。いまのポストはお役御免だ」つまり、事実上の減給。

かいつまんで言うと、この叩き上げの社長が奮起して、自分でデパートの株を買占め、
会社を私利私欲の餌としか考えないこの老獪なオーナーを追い出す策略を練るのが物語です。
細かいところは、すみません、ワタシ、よくわかってないです。

さて、洞口依子さんです。
外では背水の陣で戦う夫が安らげる場所、家庭を守る主婦役で、
物語の要所要所で現れ、疲れた夫を優しく見守る視線の柔和さが印象的です。
多くの場面で、食事を運んできます。
登場シーンは、フルーツを持って運ぶ手のアップ。
なぜでしょう、彼女の出演作、出演場面には、手のしぐさが心に残るものが多いです。
デビュー作はもちろん、『勝手にしやがれ!!』シリーズもそうだし、『タクシードライバーの推理日誌9』もそうでした。
『マネジメント・バイアウト』の登場シーンは、そのままキッチンへ立ってジューサーを使うんですね。
さらに後には、三上さんの同期・高橋克己さんが訪ねてきたときに、コーヒーを運びます。
それから、帰宅した三上さんにお茶漬けを出す場面も。

ところが、この奥さん、存在感にどこか空気の抜けたような希薄さがあります。
夫の処遇を案じる顔つきも、いつものあの「ヨーリー・シャドウ」、
右目の下から頬にかけてうっすらと浮かぶ、洞口依子さん独特の疑惑の影が出てこない。
なにかいつも、ピータンのようにツルンとした摩擦もトゲもない面持ちです。

それが特に強調されるワンカットがありました。
三上さんが、妻に心配をかけまいと話さずにおいた自分の置かれている状況を、打ちあけます。
これが先述のお茶漬けのシーン。
「きみには難しいかもしれないけど」と、実際の夫婦間で使ったらエラい事になりそうな言葉で、
自分が雇われて社長を任じている会社の株を買い占めようとしている、その意味を説明します。
奥さんは、「よくわからないわ。でも、そんなことができるの?」
ここで三上さんの顔を、本来なら「穴の開くほど」見つめる立場にいる奥さんなんですが、
これを依子さんがやると、どうなるか。
目の奥になんの感情も見えない、まるで空虚な、「穴が開いているかのような」目を向けるんですよ。
私は、このドラマはここが一番好きですね。思わず「よし」とつぶやいてしまった。

そこでわかりました。
この旦那が会社の中で漂流する人なら、この奥さんは家庭の中に、格納されず、碇泊しているだけなんじゃないか。
「碇泊」です。碇を下ろしているだけ。
どこにでも行ける存在だし、行っても視聴者の不安感を煽らない。
旦那が敵の仕掛けたパパラッチにはまって、辣腕弁護士の森口瑤子さんとの会食を取りざたされても、
彼は妻をおそれているようには見えないし、妻子が蓼科の別荘に移る展開にも、ほとんど夫婦の危機感は募りません。
また、夫の危機を支える理解ある妻、として描かれるに充分の設定でありながら、この夫婦像には内助の功の臭味がありません。
それは演じる依子さんが、奥さんが家庭を棄てるにいたる閉塞感ではなく、自由に動けるだけの浮力を与えているからでしょう。


2007年1月8日22:00〜23:56 WOWOWにてオンエア
松田 秀知 監督
寺田 敏雄 脚本 

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