『部屋とYシャツと私』(1993)

見終わったあと、なぜか矢野顕子の「ラーメンたべたい」を聴きたくなります
(奥田民生のヴァージョンでも可)。
「男もつらいけど、女もつらいのヨ」てことか。
って、ダメじゃないか。せっかくの国民的大ヒット曲から生まれた映画なのに。
じゃ、有森也実さん主演ということで、「らうめんたべたい」でどうだ。うまいっ。

也実さんと依子さんが高校時代からの友達で、有森さんは5年つきあった彼氏と、
結婚はしたいんだけど、自分の納得のいくゴールインの輪郭がぼやけて、なにやらモヤモヤしてます。
依子さんは、すでに子持ちの主婦。昼間は大学にも通ってます。
で、最初は依子さんが也実さんにアドバイスする側だったのが、
じつは結婚や夫婦という問題にモヤモヤしているのは依子さんだったんですね。
彼女は失踪し、やがて離婚します。

この映画、むかし見たときは私も若く、杉本哲太氏演ずる彼氏寄りで感情移入して、
「めんどくせぇ女だなぁ」と同情した記憶があるのですが、
それからずいぶん経ってこうして見直すと、ヒロインたちがけっこうせつない。
なにがせつないのか。

「UFO」がせつないんですな。あと、スプーン曲げ。

このヒロインの美紀と香織(これが依子さん)って、1993年に25歳ということは、
おそらく私と同い年なんですよね。
このへんの年代にとって、ピンクレディーの「UFO」もユリ・ゲラーも、
子供の頃の大事件というか、鮮烈に記憶に残った現象で。
もちろん、「UFO」は、あの空飛ぶ円盤大ブームの一端(突端か)。

大したムーブメントを経験しないまま大人になったこの年代は、
結局、アニメとかヒット曲などでしか世代意識を分かち合うほかない。
それぞれ未婚、既婚の立場から、結婚に迷いを感じている当時のこの2人の女性が、
スプーン曲げで小さな奇跡を起こそうとする姿や、
カラオケで「UFO」を歌い踊る姿は、いまこうして見るとかなり迫ってくるものがあります。
とくに後半、もう一度、今度はロングショットで歌い踊る「UFO」は、
どっぷりと暮れる夕陽を背景に、音がまったくない中、それでもこの歌を共有できることのせつなさ。
ここはいい場面です。

依子さんは、最初、『
愛という名のもとに 』の延長を思わせる、庶民的で気さくな雰囲気を漂わせて登場します。
也実さんと待ち合わせて食事、お茶、途中のスーパーでトイレット・ペーパーの特売品を買う姿。
なるほど、主人公を引き立たせるサブ・キャラクターか、と軽い気持ちでつきあって見ていると、
ヨーリー・マニアの目にはですね、改札口で也実さんを見送るあたりから、
急に肩のあたりに一種の気合いを感じ出すんですね。
そこからです。おもしろくなってくるのは。

スプーン曲げは、依子さんの団地の部屋で行われるんですが、トレンディ・ドラマとはちがって、
スプーンのアップから始めてカットを細かく切り返すことはしません。
画面の左半分が壁で隠れて、右半分の奥で、なんかやっているけど、なにやってるのかわからない。
それでも、カメラや編集で、拾いにいかない。ひたすら、ふたりが手元を見ている姿を引いてまわしている。

也実さんには悪いですけど、こういう場面では、依子さんの独壇場です。
画面から縛りが解けて、感情が泳ぐような空気が充満しているシーンでの依子さんは素晴らしい。
役柄や映画の特徴からして、それほど曖昧さが広がるような芝居は期待できないんだけど、
見事に洞口依子ならではのダークな「気」が沈殿し、物語の成分に、少しずつ「よごし」を入れていきます。
この役の彼女が結婚生活に感じている不全感を、どんな説明よりもその存在感でズバリと表現しています。
こういうことをやらせると本当に輝く。
これがあってこそ、彼女の失踪が、いないがゆえの「重し」となって翳を落としますし、
夕陽をバックにした「UFO」にも、音がまったく不要になります。

もうひとつの見どころは、中盤で出てくる、也実さんと依子さんの高校時代の写真。
一瞬、合成かと思ったんですが、これが動き出して、短い回想シーンが始まります。
このときの依子さん、18歳のGORO時代と変わらない。10年たってるのに!
ここは、けっこう感動ですよ。
写真が動き出したときには、映画とは活動写真のことであったのだ!と新鮮な驚きをおぼえます。
ちょっと言いすぎか。



製作=セシール 配給=ポニーキャニオン
1993年3月6日公開
100分 カラー ワイド
今井啓毅生 監督

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