『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(1985年)


「あなたが引いた一本の線の上を、律儀になぞっていく私は、もう、どんな構図にもおさまらなくなる」
                                         (『ドレミファ娘の血は騒ぐ』、秋子のモノローグより)


『ドレミファ娘の血は騒ぐ』は、高台からキャンパスを見下ろす洞口依子さんの姿をとらえた場面から始まります。
小型のテープレコーダーを持った細い腕が現れ、緑に囲まれたキャンパスの遠景が映し出され、
強い風に髪をなびかせた依子さんの顔が大写しになります。
そして、ナレーション。

「とうとう来ました…吉岡さん」

この冒頭の数カットだけで、この映画は、少なくとも洞口依子の作品としては成立してしまいます。
これだけでも、完璧なのです。

依子さん演じるのは、「田舎から」来た(おそらく)高校を卒業したばかりの少女、秋子。
彼女は、同郷でバンドをやっていた吉岡実という男を追って、彼が在籍する大学へやってきます。
でも冒頭の表情には、「思いつめた」ように見えながら、その向こうにも奥にも、恋の炎が見えません。
まるでこのあとの展開に、不安を感じているかのようでもあり、最初からすべてに失望しているかのようにも見えます。

この映画は、洞口依子さんの女優としてのデビュー作であり、
黒沢清監督の映画に依子さんが登場した記念すべき最初の作品でもあります。

黒沢監督は、演技に関してまったくのアマチュアだった依子さんに不安を感じ、
いろいろと演技をつけてみたがうまくいかず、思いきって好きなように動かせてみたところ、
驚くほどいい動きをしたので、「天性の女優」だと思われたそうです。(『黒沢清の映画術』黒沢清、新潮社)
最初に見たときも、今回見直しても、芝居の巧拙はまったく気になりませんでした。
伊丹十三さん以外の誰も、演じようとしていないし、そういうものが求められる映画ではないし。
(ただ、この場を借りて、麻生うさぎさんの素晴らしさを特筆しておきたいです!)

ここでは、今につながる洞口依子的な表情の原型を、あらゆる場面で見ることができます。
全編通して仏頂面で無愛想、というのでもなく、ちゃんと笑みを浮かべたりするのですが、
まるで形状記憶されているかのように、どんな表情も戸惑いと違和感の表現に吸引されてしまいます。

この不機嫌な空気は、このあとの出演作でも、多少の形は変わっても、何度も何度も表現されます。
あるときは自分以外の他者との一体感を必要としながら、安直にすべてを肯定できない、不全感だったり。
または、切実に他者を求めながら、同時に同じくらいの深度で他者を疑う、世界との距離感でもあり。
それがこのデビュー作ですでに体現されているのは感動的です。
いや、いつもそれを核として抱えているからこそ、洞口依子さんの表現は、
演技をしても、演奏しても、執筆しても、服を着ても、服を脱いでも、
必ず洞口依子さんにしかできないものになりうるのでしょう。


この映画は当初『女子大生・恥ずかしゼミナール』というタイトルの、
日活ロマン・ポルノとして制作されました。
それがさまざまな事情でお蔵入りになってしまい
(『黒沢清の映画術』によると、映画会社の内紛の巻き添えをくらったようです)、
志ある人々の尽力によって、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』としてよみがえりました。

『女子大生・恥ずかしゼミナール』が新しく生まれ変わるにあたって、
からみのシーンの大半をカットし、20分ほどのシーンが追加撮影されました。
依子さんが「子守唄」をアカペラで歌うラストも、じつはそのひとつでした。

そのことを頭に置いて見直すと、たしかにラストの戦争ごっこの場面には、「追加」感があります。
というより、本来のラストとなるはずだった海辺のシーンが、あまりによくできているのです。
こちらは、学生の一人(岸野雄一さん!)が依子さんに、大学に戻りませんか、と声をかけ、
依子さんがなにも答えずに曖昧な表情を浮かべると、カメラがパンして海と空を映し出す、という見事なピリオドです。

私は、「子守唄」の醸しだす白茶けた無常感とスリルもいいと思いますが、
風景→依子さんの表情で始まった映画が、依子さんの表情→風景で終わるまぼろしのエンディングにも
ドキドキしてしまいます。
ここでの依子さんの表情は、満足しているようでもあり、怒っているようでもあり、泣いているふうでもあり、
さまざまな感情がマーブル模様になった複雑なニュアンスのものです。
あえて言うなら「微苦笑」でしょうか。ただ、なんに対してどれほどの微苦笑なのかは説明がつきません。
その点も、オープニングでの表情と似ています。

洞口依子さんの、この「微苦笑」ふうな表情は、現在でもよく見かけます。
それがどんな感情なのか、私には説明できません。
私にとっては、その表情が、「洞口依子的」な空気の渦の中心にあるように思います。
ほかの誰にもできない表情です。
そして、それを言葉で捕らえようとすると、いつも、空気の粒になって、消えてしまうのです。

「簡単だわ。わたしは、こそこそいじいじした女じゃない。笑う女。
男の馬鹿笑いとはちがう、ただひとつの、最良の微笑みさえあれば、完璧だ。
どうです?吉岡さん。この微笑みの謎が、とける?」

                            (『ドレミファ娘の血は騒ぐ』、秋子のモノローグより)

(追記)
「『ドレミファ娘の血は騒ぐ』の『製作ノート』が存在するって本当ですか?」というご質問をいただきました。
これはほかにも興味をお持ちになるかたがいらっしゃるかと思い、
こちら で回答させていただきます。

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この作品は『洞口依子映画祭』で上映されました。



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