〜洞口依子さん出演作品解説〜

『SHOGUN 将軍』(2024年)

『SHOGUN 将軍』第10話(2024年4月23日火曜日配信)

 ついに大団円。作品全体の感想は日を改めて書くことにして、最終回のことを。
 「戦を経験したことのない者ほど戦をしたがる」という意味の虎永のセリフが何話めかにありましたが、それが窘めや皮肉ではなく、虎永の周到さを裏づける実感なのだと、よくわかる最終回でした。彼の胆力と知略には恐ろしくなります。この虎永を、策謀家の凄みの中に人間としての情の細かな動きを織り交ぜながら、単に共感できる明瞭さではなく、含みと厚みのある人物像で表した真田広之さんは本当に魅力的でした。
 ブラックソーンの日本語がもっとも強く胸を打つ回だったとも思います。藤さまとの慈しみに満ちた会話にしても、覚悟を決めた虎永との対峙にしても、たどたどしい発音や断片的な文法の日本語が相手の心に響き、また私たち日本人視聴者の心も揺り動かします。「藤さま、いい尼」の言葉が、どれほど大きな優しさを運んでくることか。それが藤さまを包んだ後は、何語であろうと気持ちと気持ちで通じあえるのです。嘘がないから。
 藪重も最後まで藪重らしく、肝が据わった上で小ずるくて、しかも何も見通せてなくて良かった。彼が虎永から「紅天」の真相を明かされるとき、視聴者は自分が藪重と同じくらいに虎永に翻弄されていたことを知ります。『SHOGUN』を見てきた視聴者の目線は、藪重とほぼ同じ位置にあったのです。たとえ史実がわかっていても本作がそれとは別個に面白い点は、そこにもあります。合戦前夜で幕を閉じることも、藪重の目線では想定外。つまり、『SHOGUN』自体が視聴者に対する虎永の策略だとも言えるのです。
 洞口依子さん演じる桐の方は、落葉の方からの文を虎永に手渡します。そこで桐の方が夫に呟く言葉が序盤での夫婦の会話を思い出させ、前話から続く緊張感をほぐします。あの序盤の虎永と桐の方の時間は、虎永の顔に嘘のない笑みが浮かぶ貴重な時間でもありました。
 これまでに数々の悪女役や愛人役を演じてきた洞口さんですが、ここでの正室役は夫と苦楽をともにしてきた歳月を、語らずとも伝える自然な奥行きを感じさせます。桐の方が虎永のもとに帰り着いたとき、まるで虎永も彼女のいる場所に帰ってきたかのような安心感をおぼえます。この味わいは、洞口さんの他の出演作であまり見たことがありません。見事な照明演出が満載の本作にあって、桐の方は洞口依子さんの演技で内側からも温かい光を発している、そんな印象を持ちました。


『SHOGUN 将軍』第9話(2024年4月16日火曜日配信)


 で、続けて見た第9回がまた、輪をかけて強力なエピソードです。
 もう私は、将軍=鞠子ということでいいのではないか、なんて思ってしまいました。どんな男性キャラクターよりも強く、そして哀しいじゃないですか。
 鞠子が動くたびに涙があふれて止まりませんでした。人間という弱い生き物が、持てる力の限度を超えて、たとえ勝てないのだとしても気高く戦っている姿。泣けました。
 それは鞠子の姿だけでなく、彼女を演じるアンナ・サワイさんの姿でもあり、この回を見る人はアンナさんが鞠子役を生きる瞬間が連なった大きな波に巻き込まれます。
 ブラックソーンと鞠子との関係も、恋愛というよりバディ感が漂っていて、それが最高潮に達した回でもあります。だから二人が結ばれるのは当然だし、「よかったね!!!」と祝福したくなるのです。
 そんな鞠子を見ている周囲の人々も素晴らしかった。誰も彼女を止められないわけですが、それぞれの思いで見ています。藪重は保身の通用しない鞠子に手を焼いているし、ブラックソーンは言葉の壁に事態を把握できなくとも、彼女のただならぬ気を察して引き留めようとします。落葉の方は幼なじみである鞠子と、まるでピラトがキリストの真意を確かめるかのようにして向き合います。
 洞口依子さん演じる桐の方も、そんなふうに鞠子を見守る一人です。大阪城に入った鞠子と久しぶりに対面して言葉をかわす場面に始まり、賊の襲撃から身を隠すまで、予測のつかない展開を引き起こす鞠子を案じます。桐の方は物語の序盤でも襲撃を体験しているので、終盤の今回とシンメトリーを成しているようにも見えます。
 この第9回の後半、女性たちが鞠子を見守る反応では、桐の方の表情が要所で挿まれています。とりわけラストの絶望感と恐怖の中ですべてを目の当たりにする表情が第9回を締めます。

『SHOGUN 将軍』第8話(2024年4月9日火曜日配信)

 この回と次回を視聴する時間がとれず、やっと追いついて見たら、『SHOGUN』屈指のヘヴィーな2回でした。見た人ならおわかりでしょうが、この2回を続けて食らうと、『SHOGUN』のこと以外なにも考えられなくなります。衝撃的な展開もさることながら、画面から立ち現れる空気のヘヴィーさに圧倒されて息を飲んでしまうのです。本当に、目が離せない2回でした。
 これまでの7回を見てきて、虎永に鞠子にブラックソーンといった主なキャラクターに親しみをおぼえています。それは感情移入とは少し違っていて、彼らの行動を支える掟(コード)を、異国人の視点が捉えた不可解さも含めたうえで、ひとつのあり方として理解を進めてきたからです。現代の日本人からしても理不尽であり、だけどその根底にある掟の束縛については、どこか今の私たちにも思い当たる部分があります。そこを凝視するうちに、登場人物一人一人の顔がよく見えるか、もっと見たいと思わせるドラマです。
 とりわけこの第8回では、西岡徳馬さんの演じる戸田広松が壮絶なまでにクローズアップされました。虎永の右腕であり無二の友でもある彼は、これまでの回でも『SHOGUN』に重みと渋みを与えていました。この第8回がなくとも、充分に心に残るキャラクターだったことでしょう。
 しかし彼の存在感が、単に「掟」と呼ぶのも躊躇われる信念や忠誠心、そして虎永との共謀意識に裏打ちされたものであることが、この回で痛いほどに伝わりました。その命を賭けた行動を受けても不動の姿勢を貫いてみせる虎永との、息詰まるやり取り。あの広間に視聴者までもが座らされて、事の成り行きを見守っているような緊迫感がありました。
 その戸田広松の息子である文太郎の、やはり武士道を掟としていながらも不甲斐ない、茶室での一幕も見事でした。こちらは鞠子の芯の硬さに気圧されるような文太郎の哀れさが、その後で父・広松がとる壮絶な行動と対比されて、人間的な弱さがにじみ出ます。これはこれで現代人にとって共有できる弱さかもしれません。


『SHOGUN 将軍』第7話(2024年4月2日火曜日配信)


 この回は凄かった。奥野瑛太さんの演じる佐伯信辰(虎永の異母弟)が登場し、政局から孤立した虎永をいっそうの窮地に陥れます。
 久しぶりに対面した兄弟の腹の探り合いが、迎えの宴で不穏な空気を醸しだし、そこから緊迫した状況になだれこむ、この展開には画面から目が離せません。
 また、前回からの流れを途絶えさせず、宮本裕子さん演じる茶屋の女将・お吟の人物像をさらに深めているところも唸らされます。
 この2024年版『SHOGUN』が戦国ドラマとして楽しめるのは、封建社会のしきたりや慣わしを変に現代的なソフトさで描いていないところです。
 たとえば、虎永には正室がいて側室もいる。そのことを現代人にも飲み込みやすく和らげず、家の存続がなにより大事な時代だったのだから、正室も側室もいて当たり前の感覚で描いています。また、そのことを殊更に強調してもいません。
 藪重が事あるごとに遺書を書き直すのも、武将として当然の覚悟なのです。今回は虎永も自分の首を差し出すと決意し、遺言を考えていました。
 もちろん現代人にはナンセンスな慣わしばかりですが、そうした事柄を口当たりよく丸めず、彼らにとってのリアルを視聴者に想像させて見せていきます。
 わかりやすい善人もほとんど出てきません。みんな時代の埃にまみれています。それでも必死で道を求める人たちが、愚かだったり、ぶざまだったりしながら、壮絶に生きている姿が描かれているドラマです。


『SHOGUN 将軍』第6話(2024年3月26日火曜日配信)


 今回の2024年版『SHOGUN 将軍』に登場する女性たちが海外でどう受け止められるのか、気になるところです。前回の1980年とは時代が変わっていますし、ミステリアスな東洋の女性像だけでは通用しないのでしょう。
 第6話ではそんな『SHOGUN』の女性たちがクローズアップされていますが、中でも遊女の菊がセクシュアルな役割を担いつつ、自らの仕事へのプライドを持ち、さらに鞠子とブラックソーンの官能的な距離を暗に肉体と精神の両面から縮めてゆく過程が、見事な照明のもとで示されていました。
 洞口依子さん演じる桐の方も、今回は二度登場します。
 まずは石堂によって虎永の鳩小屋が焼かれ、いよいよ虎永弾劾の気運が表に出た大阪城で。封鎖された城からの脱出を促す戸田広松に、桐の方は身重の静の方を気遣って城に残ると言います。
 もうひとつは、太閤の功績を讃える能の観劇場面。前述した鳩小屋全焼にしても、この能舞台にしても、桐の方が出てくる場面は暗がりと蝋燭の火が印象に残ります。
 また、この能場面の桐の方で注目できるのは、男たちがヒソヒソと政情について囁き合う後ろに、聞き耳を立てて映る洞口依子さんの姿です。目鼻も曖昧な深度で顔と体の輪郭のみが描出されるのですが、よからぬ雲行きを察知する桐の方の暗黙の反応が浮かび上がり、見逃せません。
 ドラマを含めた洞口さんの過去の出演作でも、彼女が何かよからぬ動きを察して受けて、それが不穏な空気を効果的に醸し出すことがありました。Jホラーに分類される出演作だけでなく、『炎立つ』のような比較的コミカルな役でも、その効果を担うシーンがありました。『SHOGUN 将軍』でもそれが見れるのは嬉しい驚きです。 



『SHOGUN 将軍』第5話(2024年3月19日火曜日配信)


 この2024年版と1980年版との違いは、画調にも表れていると思います。前の版は全体に明も暗もスッキリとしていた印象がありますが、2024年の『SHOGUN』は空や海の青さにも翳りがにじみ、空気が湿っているように映ります。
 その中で展開する物語も、より細かく、見る者の感情を動かし訴えかけてきます。とくにこの第5話では、それまでヒロイックな死にざまを讃えられてきた人物が生還したことから、ストーリーが封建社会の日本をえぐるように示して迫ってきます。
 視聴者も按針とともに、一度はサムライの美学に心打たれていたのです。その裏地にある醜さを見せつけられ、ここでも按針とともに混乱し苦悩する回です。
 2024年版『SHOGUN』は、日本人の視聴者をも落ち着かせさせません。関ヶ原や大坂の陣にいたる史実的な経緯とか、私たちが海外の視聴者より詳しいからといって、先輩ヅラできないのです。
 同じ事がこの第5話にも言えます。たとえば、もしこの回を日本文化を知らない外国の人と一緒に見たとしても、この心の綾はこういうことで、だからこの人物はこんなふうに振る舞うのだ、などと説明するより先に、自分が重い鉛をくらったかのように黙りこんでしまいます。あの夕餉の場面は、なんとも気持ちの置き場の定まらないイヤ〜な空気で、やはり按針の視点に引き寄せられました。西洋人が麺をすすれないのがコミカル、というレベルを超えていました。
 終盤の大変な出来事は予想外でしたが、その直前に按針が言うセリフが現代の日本人にも刺さります。「この国では命が軽視されている(Life has no value to you)」。現代の私たちは、按針のこの怒りを「封建社会での話だよ」と鎮められるでしょうか。


『SHOGUN 将軍』第4話(2024年3月12日火曜日配信)


 真田広之さん演じる虎永と、洞口依子さん演じる正室の桐の方を見ていて、ふと思ったことがあります。
 この二人が夫婦役で黒澤明の『蜘蛛巣城』をリメイクしたら、ぜひ見てみたい。
 真田さんが主人公を演じれば、より現代的な妄執の悲劇性を漂わせつつ、武将としての太い体幹と気魄にも説得力があるのではないか。対して、『蜘蛛巣城』の奥方はニューロティックではあるけれど、『SHOGUN』で鷹揚な桐の方を演じる洞口さんが、『蜘蛛巣城』で狂乱して何度も手を洗う姿というのも、少しひねった説得力がありそうです。
 『SHOGUN』の話をするのに別の作品を持ち出してしまいましたが、洞口依子さんのファンとしては、これまでに彼女が時代劇で演じてきた経験がここに繋がっていたのかと感慨深く、同時にこれが今後、他の役柄にどう繋がってゆくのかが楽しみなのです。今年40周年の節目を刻む洞口さんですが、私はさらにこれから先の彼女も見続けたい。そう思わせるのが『SHOGUN』という世界的な話題作であることが嬉しいです。

 いやしかしホントに、小耳にはさんだだけでも大変な労力と時間を注いだ大作です。毎回、見ていて圧倒され、驚かされます。そしてこれが配信プラットフォームでの再生回数ナンバーワンを獲得していると聞きます。
 日本以外の視聴者には、ブラックソーンと一緒に封建時代の日本を旅する面白さもあるでしょう。でもそれは日本人にもあります。史実そのままではなくフィクションですから、なにが起こるやも知れません。むしろ家康とか三成といった予備知識を忘れたほうがハラハラさせます。

 第4話では、さらに人物像の奥行きが深まり、視聴者に血の通ったキャラクターへの感情移入を倍加させます。しかもストーリーが劇的かつ不穏に動く回でもあり、いよいよ目が離せません。虎永はほぼ不在で、そのかわりに息子の長門や、藪重とその甥の央海らが前に出ました。鞠子と藤の見せ場もあり、彼女たちとブラックソーンとの心の綾にも、これまで以上に惹きこまれました。見事な回です。
 登場人物たちも、戦の避けられない、引き返せない状況に来ましたが、視聴者もここで止めることが出来なくなりました。早く次の火曜日が来ないかな。ていうか、あの時代にLINEがあったら虎永に危急を知らせたい!


『SHOGUN 将軍』第3話(2024年3月5日火曜日配信)


 第3話では、虎永の策士ぶりが地上での弓矢の飛び交う剣戟や海上での包囲網突破といったアクションを通じて描かれました。どういう策略なのかは書きませんが、シンプルにして大胆な手口がスリリングな印象を残します。毎度目を見張らされるセットと撮影は今回も凄いです。
 ここまでの3エピソードは世界中でたいへんな評判を呼んでいるようです。私も見ていて「全50話にしてもらえないものか」と思います。たぶんこれはまだ序の口。合戦が始まったら、どんなことになるのか。ちょっと想像がつきません。
 いや、じつは今だから言いますけど、『SHOGUN』を新たに作ると聞いたとき、ここまで満足できる作品になるとは予想していませんでした。1980年版は面白く見たけれど、それなりに日本人の目線で修正を加えながら文化的誤解も楽しんだのです。しかも昭和55年とあって、配役からも有無を言わさぬ重厚さが発せられていました。さて、2024年にどれだけの『SHOGUN』ができるのか。そこに一抹の不安がなかったと言えば嘘になります。
 しかし今、三船敏郎はいないけれど真田広之がいる。それはこんなにも大きく力強いことなのだと、ヒシヒシと感じています。とくに虎永の生い立ち、幼少の頃から人質として生きねばならなかった家康のプロフィールを取り入れた設定が、真田さんの隙のない一挙手一投足と腹の読めない表情に反映されています。ここは今回の『SHOGUN』の魅力でもあります。

 虎永の正室、桐の方を演じているのが洞口依子さん。彼女は1980年に『週刊朝日』の表紙で被写体としてのデビューを飾りました。11月7日号だったので、写真撮影は前の『SHOGUN』が全米でオンエア(9月)されて、日本ブームが巻き起こっていた頃だったのでしょう。その洞口さんの写真を撮ったのは、先ごろ亡くなった篠山紀信さん。不思議なめぐりあわせ、とでも言いましょうか。いや、こうした歳月をはさむ交錯は、ひとつひとつのステップの積み重ねで繋がっていると私は信じています。
 日本との制作スケールの違いについては、『SHOGUN』撮影でカナダに滞在していた洞口さんから、XのSpace上での公開トークで何度もうかがいました。もちろん私は現場を見ていないので想像するしかなく、まさかこれほどのスケールだとは思っていませんでした。ひとことで言うと、ギャフンです。
 第3話での洞口さん=桐の方は、虎永の策略の一幕に登場します。第2話までの桐の方は鷹揚でユーモアたっぷりな人物に描かれていましたが、ここではいくぶん落ち着いた面持ちで姿を見せます。奥方として公の場に現われる、堂々たる品格の余裕なのかと受け止めて見ていたら、彼女も夫の策に加わっていたのですね。
 この場面の洞口さんは、桐の方のひと芝居を演じているわけです。それを念頭においてリピート視聴すると、桐の方の落ち着いた表情の下に『スティング』的な「いっちょカモろうぜ」の魂胆が見えるかのようで愉快です。そしてそれは前回までのユーモラスなキャラクターとあわせて、どこか悪戯っぽい欺きとなって役柄を膨らませていると思います。視聴者もだまされました。この夫にしてこの妻あり、です。

(『SHOGUN 将軍』の新エピソードと洞口さんの出演シーンについては、この記事ページで随時更新していきます。)


『SHOGUN 将軍』第1話 第2話(2024年2月27日火曜日配信)

 1980年の映画『忍者武芸帖 百地三太夫』で、19歳だった真田広之さんが伏見城の上からのダイヴ・アクションを見せて以来、地元の子供たちにとってあの天守閣は「広之が飛んだ城」と認識されるようになりました。『吼えろ鉄拳』(1981年)も「伏見城から飛んだ広之」の新作だったし、それはジャンルがガラリと変わった『道頓堀川』(1982年)や『麻雀放浪記』(1984年)の頃にも言われていました。
 伏見城は豊臣秀吉から徳川家康へと城主が引き継がれた城です。そして新たに作られたアメリカのTVシリーズ『SHOGUN 将軍』で真田さんが演じているのは、徳川家康をモデルにした戦国武将の吉井虎永。昨日の2月27日に全世界配信されたエピソードの1話と2話を見て、今朝その天守閣を眺めながら歩いていると、あれは遠い遠い場所へ辿り着くダイヴだったのだなと胸が熱くなりました。

 奇しくもと言うか、ジェイムズ・クラヴェル原作の『将軍』がアメリカで最初にドラマ化されたのも1980年。史実を基にしたフィクションで、天下分け目の戦い前夜の日本に漂着したイギリス人航海士が、歴史のうねりに巻き込まれてゆく物語です。ドラマはアメリカで日本ブームを巻き起こし、翌1981年に日本でもオンエアされました。
 40年以上の間をおいての映像化です。日本も世界も1980年と同じ視点や同じ感覚では通用しなくなるくらいに大きく変わりました。しかし真田広之さんがプロデュースを手がけて主演する意気込みを感じ、そして洞口依子さんが虎永の正室・桐の方にキャスティングされていると知った瞬間に、配信が待ち遠しい作品となったわけです。

 日本人からカナダへ赴いたキャストとスタッフが撮影を開始したのが2021年の9月。それから終了までに1年を費やし、配信日も当初の予定(2023年内)から延期されました(ホトトギスを鳴くまで待つ性格の私でも、シビレをきらしかけました)。
 カナダ滞在中の洞口依子さんとは、X(旧Twitter)の音声アプリ「Space」で何度も公開トークの機会をいただきました。これが毎回とても楽しく、だいたい2時間から3時間のおしゃべりがあっという間に過ぎていくんです。当然、作品の中身に関しては触れられないのですが、現地と日本との撮影システムの違いや、洞口さんのカナダ見聞録的なトピック、そこから気ままに派生して最近見た映画や買ったレコードの話などが語られ、「聴く万華鏡」のような時間を体験できました。「ほんとにカナダにいるんですか?」と確かめたくなるくらい、洞口さんの声が近くに感じられたものです。

 しかし彼女は実際に1年かけてカナダで『SHOGUN 将軍』を撮影していました。具体的な出演は第2話からですが、第1話の冒頭、コスモ・ジャーヴィス演じるジョン・ブラックソーン(史実ではウィリアム・アダムス=三浦按針)の乗った船が映し出されるや、この物語の中に桐の方が出てくるのだと思うと、私も洞口さんのファン歴は長いけれど、今まで味わったことのないタイプの期待が湧き上がってきました。
 それは何なのか。『SHOGUN 将軍』が外国人の物語であることが大きいような気がします。日本人のスタッフとキャストを多く含むチームが、日本を舞台にした海外の作家による小説を海外で撮影したこと。つまり、外国で自国の歴史や文化・習俗を描く制作プロセスが、もとの『将軍』の持っている異人の物語と通ずるものがあるのです。
 とくに私たち日本人は、この構造と向き合うことになります。今作は真田さんがプロデュースをしていますから、日本と外国というストーリーの型を、日本からカナダへ赴いた人たち、ひいては国籍を超えたスタッフとキャスト全体にも意識することになるのです。

 新版の『SHOGUN 将軍』は精悍で湿った画作りに引き込まれる作品です。その厳しさと湿り気が西欧人を「蛮人」と罵る日本人の「蛮人」ぶりも容赦なく抉りだします。今のところ1話と2話では、洞口さんも出演した『サイレンス 沈黙』でのキリシタン弾圧と重なる部分もあります。
 虎永と他の四大老との腹の探り合いは、海外の視聴者には掴みにくいかもしれません。いや、現代では日本人でも機微を読みとるのが不得手という人は増えているでしょう。そこで活躍するのが劇中の通詞(通訳)の存在。漂着したブラックソーンと日本人とを言葉で繋ぎながら、内外の視聴者への説明も兼ねています。
 1980年度版でも今作でも興味深いのは、原作に準じた登場人物のネーミングです。実在した武将らの名を採用しないことで、戦国絵巻に親しんでいる日本人視聴者にも認知の壁が挿まれて、私たちの安心感をストレンジャー目線に寄せます。その作用は1980年版以上に強まっていて、日本人の視聴者を異人の心理に近づけます。カトリックとプロテスタントの軋轢も1980年版より前に出ているようで、広い世界を知らずに天下を奪い合う日本を外から見つめる視点が印象づけられます。これには1980年と現在との日本の社会状況の違いも反映されているでしょう。

 虎永は政務上で感情を露わにしない男として描かれています。風格を全身で放ちながら、苦渋に耐えうる胆力を黙した態度に滲ませて、しかも異人の運んできた情報を熟考できる人格の幅を表現する真田広之さんの演技。そんな虎永のお茶目な一面がのぞくのが、正室である桐の方との会話です。洞口依子さんが登場するのも第2話でのそのシーンで、虎永の冗談を即座に切り返し、和やかな空気を醸し出します。蝋燭の火が人物や鷹(!)をうっすらと照らすこの温度を、洞口さんのセリフの波長や「あなや!」といった言葉の面白さが共有しています。
 『大岡政談 魔像』(1989年)以来、数々の時代劇にも出演してきた洞口さんですが、歴史上の人物(をモデルにした人物)の正室という役柄は初めてです。2話を見るかぎり、今作での桐の方は鷹揚な人柄に映りますが、危難が迫ったときには家来に檄を飛ばす、背筋の伸びた強さもあるようです。
 慎ましくも肝が据わっていて、軽口を好みながらも弁えた人物像で、夫と苦難を乗り越えてきた経験の深さを窺わせます。まるで子供にお菓子を配るような無防備さで話す桐の方に、虎永が隣で心を開いている様子が伝わってきます。
 武将の奥方としての気構えと、用心深い虎永をも寛がせるパーソナリティ。堅さと柔らかさを織り込んで演じているようで、洞口さんの多彩な出演作の、それぞれの糸が桐の方役に織り込まれていると実感します。

 ちょうど40年前に映画界にダイヴした洞口さんは、この作品を撮るために海を渡って旅に出たのです。デビュー作で緑に囲まれたキャンパスを見下ろしていた少女を、今こうして『SHOGUN 将軍』で見る。そのことがファンには驚きだし、嬉しいし、感慨深いです。40周年を迎えた洞口依子さんに、『八十日間世界一周』の締めの文を贈ります。「そもそも人は、得られる物がもっと少なかったとしても、世界一周の旅に出かけるのではなかろうか」。

(『SHOGUN 将軍』の新エピソードと洞口さんの出演シーンについては、この記事ページで随時更新していきます。)



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