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2007 |
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5/31
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『子宮会議』発売
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6/10
朗読会 |
東京 |
下北沢の書店フィクショネスにて洞口依子サイン会、
バー風知空知にてパイティティのライヴ(このとき、はじめて『子宮会議』を朗読。洞口依子のみ)
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「椅子に座って、『子宮会議』から、数箇所を抜粋して朗読。
私が思い描いていたのとはちがう、子宮の語り口。
目の前でカメラをまわす夫カッパくんの笑い方を真似て読む依子さん。
子宮との会話がなくなった段で、声を詰まらせる依子さん。
それを聴いていたときは思わなかったけれど、今こうして文章にすると、つらい。」
当HP「 下北沢よーりぃ愛をこめて」より抜粋
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7/26
朗読会 |
沖縄 |
ゆるゆるゆんたく会&サイン本販売 那覇 ラッフルズカフェ
→ http://blogs.yahoo.co.jp/yoriko3182006/34837615.html
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8/4
第1回
リーディングセッション |
東京 |
渋谷デロリでのパイティティライヴ「真夏の夜の夢」内で、
初めてファルコン(ギター)との「リーディング・セッション」
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「じんわり広まった温もりをまだ逃さず掌で確かめるかのように、
ファルコン氏のギターを伴奏に『子宮会議』朗読が始まりました。
ファルコン氏のギターは、打ち合わせナシが信じられないほど、
依子さんの朗読にもうひとつの声を与えてます。
依子さんの朗読は、回数を重ねた自信と、
回数を重ねても埋まらない空白の間にたたずみ、
そして(ここがこの人のたまらん魅力だと私は本当に感じ入ったのだけど)
ときにその空白に向き合うことに
創造のスリルを見出だすかのような胸の高鳴りを響かせていました。
そして、そんなふうに、フィクションとして作られていけばいくほど、
この本の悲しみはどんどんリアルになってゆくようです。
最後の「ただいま」の言葉に、
どれほど「おかえりなさい」と声に出して返してあげたくなったことか。
「ただいま」「おかえりなさい」って、なんなんだろう。
家に帰るって、どういうことなんだろう。」
当HP「真夏の昼の蜃気楼、真夏の夜の夢」より抜粋
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9/4
第2回
リーディングセッション |
東京 |
ポレポレ東中野での映画『一万年、後・・・・。』上映に際して、
リーディング・セッション
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「これまでの依子さんのリーディングは、
朗読する視線の先にある文字がそのまま聴き手の心に書き込まれ、
その内容の重さを聴き手に追体験させることに成功していたと思います。
8月のイベントでは、さらに、隠れがちだった何気ない一文の役割にハッとさせられたり、
黙読するうちには気づかなかった言葉が聞こえてきたりしました。
今回のリーディングは、これまででいちばん「音楽的」だったと思います。
たぶん、私が作品の内容に親しんだこともあるのでしょうが、
依子さんの声のトーンとテンポはスムーズに流れていき、
朗読というよりも、声という楽器でギターとアンサンブルを奏でているようでした。
本人に聞いたところによると、ファルコンは非常に緊張していたということですが、
8月に渋谷で聞いたときよりも内容に寄り添う形で、文章の展開を、
統一した曲想で支えていたと思います。
つまり、今回は、言葉が音楽的に聞こえて、音楽が散文的に読みきかせてくれた、
と言えばいいでしょうか。」
当HP「 東中野よーりぃ愛をこめて」より抜粋
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11/3
第3回
リーディングセッション |
埼玉 |
埼玉県県民健康センターで
「女性のための市民講座 二十歳になったらがん検診」にディスカッション参加
『子宮会議』リーディング・セッションを含む
→
http://blogs.yahoo.co.jp/yoriko3182006/37693436.html
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11/16
第4回
リーディングセッション |
東京 |
渋谷デロリでのパイティティライヴ「Paititi Goes
To Pop
Planet」にて
ファルコン(ギター)、tsutom(スライド写真)と「スライド・セッション」
ただし、このときは『子宮会議』ではなく、オリジナルの詩を朗読。
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「最初、ファルコンのすでに何度か聞き覚えのあるアルペジオ(ファルペジオ!)に
導かれるように写真が映し出されたとき、
私はてっきり「子宮会議」のリーディングが始まるものと思っていて、少し心を構えました。
ところがそれは、詩だったんですね。
細部までよく聞き取れなかったけれど、たぶん、
ブログで掲載された依子さんの詩だと思います。
missing
loveという言葉のリフレインがある英語の詩も朗読されました。
missing
love、不在の愛。
ファルコン氏のギターは、この日、
いつになく感情をはっきりと前に出したようなエモーショナルな演奏で、
かきむしるような焦燥感に満ちたギターが、
それに答えるパーカッションとの音楽による会話に発展していきました。
そうすると、目の前に映る依子さんの写真の、
奥のまた奥の表情までもが見え隠れするようになる。
笑っている顔の奥にある泣いている顔。
無表情の奥にある笑顔。
露わになった肩のくぼみからイメージが広がる悲しい話。
その悲しい話を笑いをこらえて聞いている顔。
不安に曇りながら、シアワセの予感に笑い出しそうな顔。
ひとときのよろこびに綻ばせながら、どこかでその果てが視界に入ってしまっている顔。
どれひとつとして、単純な表情はないけれど、どれも余分なものがない。」
当HP「 Paititi Goes To Pop Planet 」より抜粋
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12/12
第5回
リーディングセッション |
大阪 |
大阪うてな喫茶にてリーディング・セッション

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「予想外に多かった男性客を意識してか、
「カッパくん」が登場する箇所を何度かはさむのがよかったです。
私も男なので、「子宮会議」でいちばんグサリとくるのは、
「カッパくん」との関係です。
とくに本文p174からのくだりは、彼女がこの本でいちばん言いたかったことの一つが、
男性女性の区別なく迫ってくるところなので、彼女の朗読でぜひ聞きたかったところ。
重いです。
とても重いし、ここでは会場にせつなさの空気の塊りがのしかかるようでしたが、
「あぁそういうことなのか」と
一気に彼女の表現に吸い寄せられるのが伝わってきます。
「カッパくん」の演技にしても、下北沢のときは、
もっと声色を取り入れていたのだけど、
よりさりげなく響くようになっているし、
そのさりげなさが悲しさにも転じます。
ファルコンのギターは、いつものセットではディレイを効かせて残響で音を紡ぐかのようなんですが、
この日はとても素朴な生の音色。
たぶん、本人の耳にはバランスまでは聞こえてなかったと思いますが、
バックで静かに鳴っている感じが、なぜかカリンバなどのゆるい音を思わせたりしてよかった。
と、後半に入って、とつぜん椅子から立ち上がった依子さん。
そのままゆっくり前へ進みだし、店内を入口のほうへ向かって歩きだしたのでした。」
当HP「 勝手にしやがれ!!朗読計画」より抜粋
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2008 |
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2/9
第6回
リーディングセッション |
北海道 |
13時〜16時
ウェルシティ札幌にて『ここまで進んだ女性のがんと診断の治療』+リーディング・セッション
→http://blogs.yahoo.co.jp/yoriko3182006/39994703.html
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4/9
第7回
リーディングセッション |
東京 |
15時より、主婦会館ブラザエフにて、アフタヌーン・ティー メディア・セミナー
「子宮がんは100%予防できる」にてリーディング・セッション(マスコミ限定)。
この模様は同日夜の日本テレビ「NEWS
ZERO」でも取りあげられる。
19時半より、代々木公園にて「子宮会議は踊る@代々木公園」を開催。
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「2個のアンプに楽器とマイクをセッティングして、リーディング・セッションの始まり。
日は落ちきって、池を背に爪弾かれるギターが、水と空と木立に反響して、
特にカッティングのアタック音が、前後左右、そして上下から降りそそぐかのようです。
これまで室内でしか聞いたことがなかったリーディング・セッション。
まるで、読みなれた一冊の本を久しぶりに開いたかのように、
言葉が、わっと活字の世界から飛び出してきます。
とても不思議です。20人以上の人間が集まって、同じ言葉に、音に耳を傾けているのに、
それぞれを包む暗闇の薄い膜が、それぞれの個人的な世界を隔てている。
そしてそれがバラバラにならずに、1人の演奏者と1人の読み手によって、結ばれている。
みんなが1人で、みんながそれぞれの暗がりに包まれているのだけど、ランタンの小さな灯りが見えている。
その灯りはもちろん、朗読される文字も、ギターのフレットも照らしている。
この野外の空気と静寂が媒介になって、それが言葉と同じくらいに伝わってきます。」
当HP「 Happiness Is A Cup
of Hot Wine 」より抜粋
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7/6
第8回
リーディングセッション |
沖縄 |
13時半より、沖縄県那覇市桜坂劇場にて、ガールズトーク主催の『子宮会議』。

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「依子さんの朗読は過去最高のパフォーマンスでした。
舞台に出てきて前を向いた瞬間の気迫がいつもとちがいました。
そしてそのオーラや気迫が、強圧的になるのではなく、ひとことひとことの響きを大切にしながら、
読み進めるほどに、聴いている人たちを包み込んでいきます。懐の深さを感じました。
お客さんのほうを向いたり、目を閉じたりして、書かれてある内容を「読む」のではなく「声で伝える」姿もよかった。
彼女が前を向いているあいだ、背後にある白いスクリーンに、まるで語られている彼女の像が映写されているようでした。
その像はやがて、『ドレミファ娘』の秋子になったり、『マルサの女2』の奈々に変わったり、
『部屋』の不動産屋OLが大映しになったり、『カリスマ』の千鶴になって椅子に座ったり(!)、
彼女が演じたいろんな女性像が垣間見えては、いまの姿に戻っていくような、
そのくらい、映像として「見える」、いい朗読だったと思います。
ファルコンが、これまで何度か試してきた後半に向けてのストロークでの盛り上げをほとんど排して、
音数を極力しぼった演奏に徹していたのも素晴らしい効果がありました。
女優としての存在感と美しさが、やわらかく落ち着いた声のトーンとギターの音に結びついたとき、
手の届かない星としてではなく、誰もがいつかたどりつける希望の姿としての洞口依子が、そこにいたと思います。
そして、そんな姿だからこそ、苦悩の向こうにようやく沖縄の海に浮かぶ彼女が、
「ただいま。」という言葉で読み手の彼女に戻ってきたとき、そのゆっくりと氷解するような笑みは、
聴き手を照らすための灯りになって、しっかりと手渡されたと信じたいです。」
当HP 「那覇桜坂劇場 その3」より抜粋
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7/12
第9回
リーディングセッション |
東京 |
東京プリンスホテル鳳凰の間にて、
ヤンセンファーマ主催「クリニカルオンコロジーシンポジウム」にてリーディング。
(医療関係者のみ対象)
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8/6
第10回
リーディングセッション |
広島 |
広島にて医療関係者対象のリーディング・セッション
→
http://blogs.yahoo.co.jp/yoriko3182006/43835260.html
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9/22
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『子宮会議』第2版発売 |
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10/23
第11回
リーディングセッション
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東京 |
渋谷デロリでのファンの集い「洞口依子 のら猫集会」にて、リーディング・セッション。

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「ファルコンのギターとのセッションを、もう何回聞いたかわからないけれど、
この日、読まれたパートは、とくに重い、手術とその直後の段でした。
「自分を取り戻したいよ」と手術に臨んで、麻酔とともに意識が遠のいていって、
目が覚めた自分は以前の自分ではなくなっていた、という部分。
ここまで身を切られるような描写に、ファルコンのギターは
とても澄み透っていて、それが救いのようでもありまた残酷でもあり、
それは感傷というのではなく、厳しさを捨てない優しさを感じさせるのでした。
それで私はふと思ったのだけど、
依子さんの朗読とファルコンのギターが、いい意味で「ひとり対ひとり」というか、
声はギターに泣きを求めていないし、ギターも声を憐れんでいない。
ドライと言ってもいいような距離感があって、ベタついていないんです。
最後にファルコンが「月の光」を織り交ぜたのも、
言葉から意味を清め去って、そっと音の薄衣をかけるようで、
そのさりげなさが逆にしみました。
最初、この部分を読むのかと身構えていた気持ちが、
最後は完全に音に解放されました。
慰めや同情というより、解き放たれる感覚でした。
」
当HP「 Cat Heart, Pumpkin Head 」より抜粋
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11/29
第12回
リーディングセッション |
東京 |
フジテレビが11/22〜24に主催した
「お台場オトナPARK〜素敵な大人の3DAYS〜」の一環として、
11/24(祝)の12:00〜13:30(予定)、セミナーNo.24-(2)で、
子宮頸がん啓発セミナー〜もっと知ってほしい女性のこと〜
に出演。
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ファルコンのギターが、素晴らしかった。
ふだんはゆったりと弾き始めるオープニングで、いきなり激しくかき鳴らす。
たどりやすいメロディーやフレーズはほとんどないし、
依子さんの朗読の起伏に添うような展開もない。
長い沈黙を保ち、手を動かしたかと思うと、
(ネックの)ヘッド近くで弦をはじいてごくごくわずかな音をたてる。
説明や情緒を徹底的に省いた、乾いた音。
鳴っているときも鳴っていないときも、
こちらの想像が泳げるような余白がいっぱいあって、震えてしまうほどよかった。
そして、この日は、依子さんの朗読もまた大きく変化していた。
助けを求める子宮の声色が、いつもよりトゲトゲしさを帯びている。
純真なものが恐れを訴えるんじゃなく、影も裏もありそうな、
魔女の声のように響いたのにびっくりした。
そのあたりから、ギターの音にあいまいで不穏な表情が増していって、
告知を受ける段では、それが舞台の上の依子さんから、
語り手の輪郭がどんどんぼやけていくかのように思える。
突然の宣告に頭が真っ白になっている彼女の姿が浮かんでくる。
僕も何を思えばいいのか、わからなくなる。
語られる彼女の像が、僕を内側から、水責めのように満たしていく。
呼吸すら奪われていって、
「大変な事が起きてしまったんだ」と、それ以外に感じられなくなる。
当HP「Let's get lost
」より抜粋
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2009 |
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3/6
第13回
リーディングセッション
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岡山 |
子宮会議リーディング・セッション |
3/7
第14回
リーディングセッション |
山梨 |
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5/16
第15回
リーディングセッション |
東京 |
2009年5月16日 西新宿「芸能花伝舎」にて「洞口依子 のら猫集会 『子宮会議』@西新宿 1年2組にあつまれ!」
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「子供を持ちたいという気持ちとどう向き合うか」について、この日も少し話されました。
そのときに、これは発言するのにすごく決意が要ったんだろうと思うんですが、参加者の女性が、
ご自身の非常に障壁の多い育児状況をもとに、とても切実なご意見を述べられたんです。
それは、たとえば私なんかが、「子供を生めないつらさ」として、ある種すんなりと理解したような気になってしまいがちなことに、
いやそれだけがすべてではないんだと、ご自身の痛みを持って伝えていただいたようなところがあります。
そして、テーマはまた別ですが、ご自身が闘病する女性が、ご高齢のご両親の心配と気遣いにどう向き合えばいいのか、
悩まれている姿にもいろいろな思いがよぎりました。
高橋先生と依子さんのやりとりに、違う視点から質問された女性のご意見も強く印象に残りました。
そんなふうに、ただディスカッションにうなずくだけではない意見交換の場となってよかったと思います。
また、パートナーである男性と別れなければならなくなった女性のお話もつらかった。これは本当につらかったです。
支えを必要とする状況のときに相手に去っていかれる苦しみを耳にして、男性としても人間としても、
自分はそうはならないと信じたいのだけど、すべての人にそれが100パーセント保障できるかというと、
そう言えない自分に気づいてしまう。そんな自分に戸惑いをおぼえる。
そしてそれは、女性から男性に向けての声というだけではなくて、病気の例が変われば、その逆だってありうることです。
それが現実としてあることを、わかってしまうだけにやるせなく思えます。
がんに限らず、病気や災難というものは、その人が抱えている問題をむごいくらいに鮮明に際立たせて、
それと向き合うことから逃げられなくする。
でも、もしもそのなかに力を見いだす可能性があるとしたら
---私がそうなったら、はたして見いだせるか自信もないのですが---
もしかしたら、その「向き合う」ということから獲得できるのだと信じたい、
対談の終わりのほうで、忌野清志郎さんの「がんはロックだ」という言葉を引いて、
お2人が話されていた言葉の意味はそういうことではないいかと思います。
でも、それはこうして簡単に書いてしまえるようなヤワなものではない。
(当HP 「洞口依子 のら猫集会 『子宮会議』@西新宿 1年2組にあつまれ!」 より抜粋) | |
11/15
第16回
リーディングセッション |
東京 |
2009年11月15日 シネマヴェーラ渋谷で開催された『洞口依子映画祭』にて
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この日、洞口依子さんは、珍しく朗読の序盤から感情の高ぶりを抑えきれなくなったようでした。
朗読のあとには、『子宮会議』執筆の経緯を生原稿などを披露して語る時間があって、
執筆時の自分がいかに張り詰めていたか、家庭内での家族の気配りや、
親しい人を傷つけてしまった後悔を口にする時に、彼女は大粒の涙をこぼしては拭っていました。
読むパートもまた特に重い描写が続きます。
診察から宣告への流れと、それを受け止めきれない自分を冷酷なまでに突き放して見つめる言葉が、
つぶてのように客席に投げ込まれます。
その言葉の表現力がそのまま気持ちを引き上げていったのか、
途中から感情の出入りする弁が決壊したかのように、声の調子が揺らいでゆきます。
あれは涙で文字が見えていないんじゃないか、などと冷静に見ていたわけではありませんが、
感情に流されるのではなく、それと真っ向から戦っている姿、もがく様がさらけ出されて、壮絶ですらありました。
(当HP 『洞口依子映画祭』イベント・レポート 11/15 より抜粋)
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2010 |
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4/4
第17回
リーディングセッション |
名古屋 |
2010年4月4日 ウィンク愛知大ホールにて 「子宮頸がん予防活動キャンペーン講演会」の第3部として
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今回で17回目となった『子宮会議』リーディングセッション。
セッション自体から受ける印象も毎回変われば、客席の空気も同じものは二つとなかったと思います。
依子さんとファルコンが登場し、わずかな沈黙の後に最初の一節が読み出される瞬間は何度見ても息を殺して見守ってしまいます。
今回、最初に読まれたのは『子宮会議』のまさに序文、プロローグの部分でした。
このイントロダクション、とくに「これはあなたが読む、ひとりの女のひとのお話」は最高の導入部となったのではないでしょうか。
現実にいまそれを読んでいる「わたし」(著者)からの「あなたが読む」という言葉にある、主客が反転するような感覚。
そして「子宮」からの呼びかけが、幼女のようでも魔女のようでもある声(回を重ねるごとに譬えるのが難しいほど独特の響きになっている!)
で読まれていくところで、客席に背筋を急に伸ばす人の姿がありました。
朗読の内容が、病気のことを調べるうちに「がん」という文字ばかりが目についてしまう段や、
自分を見失いそうになり、周囲との関係にも軋轢が生じてしまったと語る段(これは「洞口依子映画祭」でのトークの時にも触れられた)、
そしてそこから「自分を取り戻したい」という思いにたどり着く箇所で、何度も涙を拭っていた人も見ました。
『子宮会議』は、読者一人一人の中に入っていって読ませる一冊なのだなと、こういうときに実感します。
「がん」の言葉を繰り返し発する部分は、少し後にも出てきて、きっと多くの人がその声の大きさやトーンの変化に
いっそう胸をえぐられる思いがしたのではないかと思います。
(当HP『子宮会議』リーディングセッション in 名古屋より抜粋)
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6/21
第18回
リーディングセッション |
大阪 |
りそな銀行の女性向け医療保険に関連した講演会にて |
8/7
第19回
リーディングセッション |
東京 |
2010年8月7日(土)15時〜17時 ギャラリー+古本+カフェ「ROKUJIGEN
6次元」にて(のら猫集会@荻窪)
洞口依子「『子宮会議』リーディングセッション」とおはなしとちょっとウクレレ |
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2011 |
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1/22
第20回
リーディングセッション |
東京 |
2011年1月22日 渋谷デロリにて 『子宮会議』文庫版発売記念「のら猫集会」
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情緒を排して飛び交うギター、キイキイとさえずるような声、元の楽器の音から想像もつかないベースとパーカッション。
即興の妙なんて生やさしいものでもない。でも、一触即発というのともちがう。
重くテンションは高いが、奇妙な解放感とユーモアがある。これは私があの本から受ける印象をのものだ。
洞口依子さんの朗読は朗読の規格を飛び越えていた(最初戸惑ったのもそこだった)。
一言一言にかかるイマジネーションの全体重と集中力がかつてないほど深く伝わる。
それはライヴ後半で歌われたアルディの「さよならを教えて」(戸川純の作法で。どなたかへ
捧げたのだろうか?)にも一貫していたと思う。
この渦に身を任せていると、男だ女だ、といった物差しではなく、自分は一人の、人間の子供なのだという安心と孤独が同時に内側から湧き起こるのを止められなくなる。
それこそが私がいつも『子宮会議』という本の中心に見るものなのだった。
この夜、彼女は「ただいま」を読まなかった。多くの人がそこで気持ちを解放され、ある種カタルシスをもたらしてくれる「ただいま」の言葉を。
代わって『子宮会議』を締めくくったのは、文庫版のあとがき。
そう、あの新しい出発への表明を、たからかにシャウトしたのである。「アロンジ!アロンゾ!」と。
これには不意をつかれたていで、目が潤んでしまった。
言葉の意味もある。由来もさらにある。しかしそれ以上に、彼女の声が、表情が、全身が、この言葉を叫ぶのに完璧だった。その姿を見れて、とても嬉しかった。ベースの奏でるフレーズも穏やかで優しい旋律だった。 | |
| 2012 |
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3/20
第21回
リーディングセッション |
京都 |
2012年3月20日
京都国際会館で開催される子宮頸がんについての講演+イベントで、『子宮会議』リーディング・セッションを行う。
石田画伯と洞口依子さん、坂出雅海さんの編成。
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7/14
第22回
リーディングセッション |
渋谷 |
2012年7月14日 渋谷Liason
Cafeにて「のら猫集会vol.10」開催 |