『マルサの女2』(1988年)
                              

1988年はまだ1月15日が成人の日で、新成人の一人であった私は、その日、「成人の日に映画を観に行く」と答え、
大いにからかわれたものだけど、はたして私が向かった映画はこの『マルサの女2』でありました。
その日が封切り日。 東宝全国ロードショー公開。
80年代後半の日本映画界で監督の名前で客が入ったのは、「伊丹十三」くらいだったんじゃないだろうか。
その実感は、『お葬式』でも『タンポポ』でもなく、2作のマルサと共にあります。

タンポポ』、『あげまん』、そしてこの作品と、伊丹十三監督の作品での洞口依子さんは、
本筋から距離を置いた役を演じていて、その距離感と彼女の強烈な存在感に、
まだデビュー当時の彼女への興味を大いに掻き立てられたものです。
(『タンポポ』『マルサ』の陰に隠れがちな『あげまん』での彼女も、2作にはない味わいがあって好きです)

『マルサの女2』での役どころは、高校生の少女・奈々。
父親の借金の「担保」として、三国連太郎さん演じる宗教団体の館長・鬼沢に供えられる女の子で、
ストーリーに直接関わるという点では『タンポポ』以上です。 出演シーンも7場面と他の2作より圧倒的に多い。

奈々の登場シーンは、依子さんのフィルモグラフィーの中でも特筆すべきものの一つです。
教団本部と隣り合った鬼沢宅の書斎で、奈々の父親をめぐって腹黒い会話が交わされます。
その向こうに見える庭は、別世界のように穏やかで明るく豊かな光があふれている。
本来の宗教と俗世の意味合いを反転させたようなこの光景の中、父が奈々を連れて庭先に戻ってくる。 
その彼女のうつむいた顔を照らす光のまぶしさ。
そしてそれをはじき返さんばかりに彼女の全身からこぼれだす美しい輝き。

この映画では、双眼鏡での監視や尾行する査察官たちの姿もあって、窃視の目線が強く印象づけられます。
また、俳優のいわゆるカメラ目線での芝居もほとんどありません。 
鬼沢がこっちを(つまりカメラを)ぐっとのぞきこむ場面はありますが、ひとつはプロジェクター用のレンズ越しと、
もうひとつはメガネ、それもご丁寧に前後逆にして手に持ったメガネ越しです。 
劇中の人物と観客がなかなか目を合わせないようになっています。
奈々の場合、濃い目の化粧をほどこしながら鏡をのぞきこむシーンがあって、
ここで彼女のねっとりした視線にさらされたように錯覚するのだけど、
これまた鏡の向こうの話。 彼女もまた、こっちを見ない点では徹底しています。

ただ、一度だけ、最初の最初、庭先にたたずむ場面で、ほんの一瞬なんですが、
足元に落とした視線をチラリと鬼沢に向けるようにカメラを見やるところがあります。
この目が、見ているこちらと合った瞬間に、囚われの少女への憐憫と、おそらくああなってこういう展開になるであろう期待が同時に湧きます。
その先には、彼女の境遇や心の動きへのト書きは一切なし。 
鬼沢の寝室で表現主義ふうに手篭めにされる彼女の、怯えているように見えながら、どこかですべて了承ずみのようにも感じられる表情、
その「事後」に、それまでの純潔の印象から一転した艶かしい目つきでの睦言
(この封切り時期に『GORO』の「激写」に載った姿を彷彿とさせてドキドキした)、
鎌倉の某邸宅で撮ったらしい(DVD『マルサの女2をマルサする』による)、これまた光をキラキラと反射させた風呂場での笑顔、
うなされた鬼沢を聖母のように抱えて添い寝する彼女の、なにも語らないで見守っている目、
リビングで記念写真を撮る場面で、加藤治子さん演じる教祖と罵り合う彼女の、あっけらかんとした態度とソファの上を歩くステップ、
依子さんが全身で放つ、そうした定型におさまらない魅力あふれる姿が積み重ねられてゆきます。
やがては、奈々というキャラクターが、最初に提示された不幸なシチュエイションからも、
また鬼沢の孤独や弱さや虚勢を映し出す意味性からも、微妙に逸れたところに描く軌道が、
ストーリーの真ん中にいるはずなのに属さない彼女の独特の存在感をもたらします。

とくにリビングでの記念写真のシーンでの依子さんは素晴らしい。
この長回しはどういうディレクションのもとに撮られたのか、私がこの映画でいちばん知りたいところです。
加藤治子さんとのやり取りがあるのでTVでの彼女を想起しそうにもなるんだけど、まったく別の魅力ですね。
お腹の大きくなった奈々が、赤と白のボーダーにオーバーオール姿で寝そべったり、
教祖の毒舌に毒舌で応えたり、右にあるテーブルに物を取りに行ったり、
無造作に見えるし直感的に動いているようにも見えるここでの依子さんの魅力は筆舌に尽くしがたい。
どういう演出が入っていたのか、とても知りたいです。 興味あります。

初めてこの映画を見たとき、最後に殺された死体が鬼沢だと錯覚してしまった私は、
その後の墓地での場面は完全に鬼沢の念の世界だと思い込みました。
このシーンでの依子さんは、うつむき通しということでは登場シーンにイメージが還っていく面もあります。
しかし、ここで座らせられる彼女の空虚な瞳にはもはや何も映ってはいないようで、それは非常に苦い後味のラストへ繋がっていきます。
この魂が抜けたようなうつろさは、依子さんのフィルモグラフィーの中では、たぶんこの作品で初めて演じてみせた感覚ではないでしょうか。
『マルサの女2』の持ち味が善悪カタのつかない雲行きにあるとすれば、彼女の個性もまた見事に雲を呼んでいると思います。


製作 伊丹プロダクション 
配給 東宝
1988年1月15日封切
127分 

伊丹十三  監督 脚本
前田米造  撮影
本多俊之  音楽

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