『ビタミンF 第5話 なぎさホテルにて』(2002)

 2002年に「衛星ドラマ劇場」の枠で制作された全6回のドラマ。
 演出の高橋陽一郎氏が、重松清氏の原作を毎回べつの脚本家と組んだもので、
おもに30代から40代の男女を主人公に、人生の機微にふれる物語を描き出しています。
洞口依子さんは第5話「なぎさホテルにて」に出演。この回の脚本は岩松了さんです!

1話完結ですが、各エピソードの登場人物がひとり、必ず次回の話にも関わってくる、
ちょっとした「輪舞」式、リレー式の構成になっています。
これ、ドラマとしてあまりにも素晴らしいので、依子さんに関係なく、再放送などあればぜひ見ていただきたい。 

登場するのはふた組のカップルです。
ひと組めが光石研さんと洞口依子さんの夫婦。
結婚10年を経て、二人の子供をつれ、小豆島海岸にあるなぎさホテルを訪れます。
車の座席、フロント・グラス越しに二人の会話をとらえた導入部で、妻は「ここ、前にも誰かと来たんじゃないの?」など
とからかい半分に夫に話しかけ、夫は適当に受け流す。

決してギスギスはしていないのですが、倦怠期に入ったあたりでしょう。
人間ふたりが一緒になるわけですから、その関係の質も徐々に変わっていって当たり前。
なはずなのですが、この場合は奥さんのほうがその変化に順応しにくいようです。
後部座席で眠っている子供たちの存在に自分たちを繋ぐ絆を確認するように安心しながらも、表情は決して晴れ晴れとはしていない。

たどり着いたなぎさホテルは、白い内装が瀟洒な印象。
決して華美ではなく、目の前に海が広がりながら、その波の音もどこか遠くに聞くような奥ゆかしさをたたえた場所です。
この家族4人が割り当てられるのは、なぜかふた部屋。父と長男、母と長女に分かれます。
もとから家族用の部屋がないのか、たまたまそれが埋まっていたのか、それとも予算の都合かなにかなのか。

もうひと組、このホテルにやって来るのは、若いカップル。水橋研二さんと藤谷文子さん。
女の子は、一週間後、べつの男と結婚を控えている。連れはどうやら以前の彼氏のようです。
この旅行も誘ったのは彼女のほうから。男の子は、どうも彼女に対する態度を持て余している様子。
彼女の結婚相手はもっと堅実で頼りになる人物のようですが、彼女はこの元カレに、最後の最後になにがしかのアクションを期待しているような、
そうでもないような。
気持ちを「見ないふりして見てる」じゃなくて、「見せてないふりして見せてる」、藤谷文子ワールドが全開です。

ところで、最初の夫婦の妻の勘は鋭かった。夫は、このホテルに思い出があるのでした。
15年前、当時の恋人と訪れた思い出。その恋人は、結婚を一週間後に控えた身で、彼を誘ってここを訪れました。
ロビーに置いてある、「タイムカプセル郵便ポスト」。
10年後に指定のあて先へ届けるはからいのサービスで、夫の当時の彼女は、彼に宛てて一通投函したのです。
でも、10年のあいだに住所は何度も変わって、その手紙は届かなかった。
夫は妻にそう打ちあけます。

妻は機嫌を損ねます。つまらない嫉妬かもしれないけど、夫婦間にすきま風が吹き始めたこの時期に、
なんでそんな思い出を手繰り寄せるのか。なんで家族旅行に来るのか。
夫は、とくに悪びれるようすもなく、何事もないかのように、家族サービスを務めようとします。

妻へのあてつけというのではないけれど、夫も、なにか満ち足りないものを感じていることを彼女に伝えたいのか伝えたくないのか。
 そこに正面からぶつかることはしない。でも、気づかせたい。
妻は、気づきながら、けれど夫がぶつかってくるまでは、自分からあえて火をつけることはしない。
どっちもズルい。でも、夫婦って、そういうところ、ありますよね。
異なる要素がぶつかるから関係がこじれるのではない。
むしろ、対立を避けながら、のらりくらりとお互いにはぐらかしあっているうちに、取り返しのつかないことになってしまうもの。

オープニングの車の座席から、ドラマは、「2人の人物が並ぶ」という構図に徹底してこだわって進みます。
ほとんどすべての場面で、2人以上の人物が並んでいます。
一人でいる人物がいても、ややあってそこにもう一人加わり、シーンが始まる。
ただ、ひとりだけ、この例にない人物がいます。
それが洞口依子さんです。
彼女は、「ひとり取り残されている」状況がいちばん多い。
なぎさホテルにつれて来た真意を夫に問いただそうとして、はぐらかされて部屋に残るシーン。
夫と子供たちが、引き潮でできた海の道を島へ向かって歩いて渡りに行くとき、ひとりレストランに残るシーン。
ひとりでTVを見ているところに人物が加わるシーンはありますが、やってくるのはホテルの従業員。他人です。
この従業員が、前に夫宛に預かっていた手紙を彼女に手渡す。
その手紙の主こそが、夫のかつての恋人でした。
妻は焦燥感に駆られるように、その手紙の封を開けてしまいます。
書いてあるのはなぜかフランス語。それも日本人が書いたようです。

と、ここで若いカップルの女の子が関わります。彼女はフランス語が読める。
このカップルの部屋、窓際のテーブルで、ようやくこのドラマで(本格的には)最初の「正面で向かい合う」シーンが訪れます。
藤谷さんのほうは、いわば若かりし日の夫の元恋人が立ったシチュエイションをなぞる役割。
いまの自分と同じように、べつの男性との結婚を控えて過去の恋人に何かまだすがりたくなっていた女の手紙を、どんな思いで訳すか。
妻のほうは、まったく理解できない言語の向こうにある過去の夫の姿を、どんなふうに受け止めるのか。
またそれは、時間を超えて、過去の女性と現在の女性が向き合う姿でもあるわけです。

この2人を向き合わせながら、カメラは藤谷さんの背中越しに依子さんを見つめ続けます。
ここでもやはり、洞口依子の独りの世界が画面を圧する。
藤谷文子さんの、自意識と無意識の境目がつかないような、強力に独自なセリフまわしに対峙しながら、
険しくどこか一点を見据えたまま崩さない依子さんの表情。

このドラマの登場人物は、誰も感情をことさら激しく表わすことをしません。
まるで自分たちのいる日常からかけ離れることを恐れるかのように、つとめてフラットな表情と口ぶりで時間を過ごしてゆく。
そのなかでは、依子さんの演じる妻が、かろうじて不安感や不満といった要素を持った役です。
ただ、このドラマを見る人間の気持ちが彼女に寄ってゆくのは、彼女の感情がいちばんつかみやすいからだけではなく、
彼女が「ひとり取り残される」唯一の人物であり、演じる洞口依子さんが、「独りである」という状況とあまりに美しく共鳴するからではないでしょうか。
画面の中に洞口依子が一人置き去りにされるという絵に、役柄の持つ意味を超えた力があるのです。


2002年7月5日 20:00〜20:45
NHK BS2「衛星ドラマ劇場」枠にて放送

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