『時の王様 第1回 短針だけの目覚まし時計』(1996)

市場の魚屋のおかみさん。夫は阿部寛さん。
まだ若いですが、「ウチのかかぁ」と呼ばれています。
それがこのドラマでの洞口依子さんの役どころ。

18分のドラマで、登場シーンは10分強。
このドラマは、洞口依子ファンとして見た場合、構成が絶妙なんですね。
市場大好きな依子さんなんですが、そういう庶民的な役のイメージからは離れています。
そこで、小樽の町の市場で働く奥さんという役を、どうやって全体に無理なく溶け込ませているかというと、
市場のシーンを、最後の最後に持ってきてます。
ドラマのつくりからすると、最初に小樽の市場を出したいところでしょうが、やらない。
彼女は、水谷豊さん演ずる時計屋のところに壊れた目覚まし時計を持ち込む客、として登場します。

依子さんの登場するシーン、踏み切りがあって、電車が画面を横切って走ります。
通過したあと、踏み切りの向こうの絵が映りまして、
遠景で、画面の真ん中から少し上あたりに、赤い服を着た女性が、坂道を下ってくるのが見えます。
私は最初、これが洞口依子さんだと思いました。
カメラは引いているので、顔が確認できないんですが、
電車が通ったあとの踏み切りの向こう、坂道を歩いてくる赤い服の女は、絵として目立ちます。
なんとなく、『思い出トランプ』の坂道も結びつけてしまったり。ワケあり感が濃いですね。

ところが、これは依子さんではない。
彼女は、画面右下の踏み切り前に、薄いピンクのジャケットを羽織って立っていました。
その姿を「あ、こっちか」と確認するほんの一瞬、坂道の赤い服の女から、意識のフォーカスを切り替えます。
あくまで洞口依子ファンとして見た場合、とお断りしておきますが、
これは、「今日の洞口依子は日常的な役柄ですよ」と、絵のスウィッチングで訴えかけてるんです。
・・・みなさん、呆れてないでしょうね。ついてこれますか?ついてこれない人は、置いていきますよ!

何度か見返しましたが、やっぱりここが面白いです。
依子さんにも、「そんなの、アタシと関係ないじゃん!」って言われるかもしれないけど。

ピーター・セラーズが、中国人でくるか、庭師でくるか、マッド・サイエンティストでくるか、
その出オチがとっても重要だし、作り手もそこを気合いを入れ、観客も集中して見るように、
洞口依子だって、硬でくるか軟でくるか、セレブなのか市井の人なのか、
けっこうたいへんなものなんですよ。形容詞が思いつかないから、「たいへん」でごまかしちゃったけど。

ドラマの主な部分は、時計屋で、水谷、洞口、阿部の三人が、壊れた時計にまつわる夫婦の来し方を話す場面です。
この三人、みんな顎の輪郭が魅力的なんですよね。
端整な水谷さんの、繊細で内向的にも映るライン、やや突き出た阿部さんの、シャイと頑固が同居したようなライン、
そして、人なつっこいふくらみのある頬からなだらかにスッと流れる依子さんのライン。
カメラが切り替えすごとに、この顎のラインが、そのカットの内に含まれた感情の経路になっているかのようです。
そして、夫婦の話に心を近づけていく水谷さんの、困惑したようなまなざしと、
ギョロリと目をむきながら、ときおり照れたようにはにかんだりする阿部さんのまなざしが交差する横で、
ほとんど2人と目を合わせることなく、あふれる気持ちに表情を変えていく依子さんのまなざし。
このシーンで、彼女の市井の女性としてのリアリティが見事に築かれます。
だから、最後に出てくる、市場で働く姿がすんなりと心に入ってきます。
その頃にはもう、赤い服の女のことなんか、きれいに忘れています。


1996年7月15日 NHK総合
19:40〜19:58 『ドラマ新銀河』の1挿話として放映

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