★ 「洞口依子的」ということ
残念ながら当日行けなかったかたに、ひとつ説明させてください。
今度のイベントはたしかに発表から実行までに間が短く、多くのかたが、
「行きたいけど、その日は…」と悔しい思いをされたことと思います。
私も、えらく急だなぁとは思っていましたが、今回のイベントについては、
思い立って、すぐに行動する
ということが重要だったと、依子さんがおっしゃっていました。
つまり、大勢の人を集めて大規模なサイン会を開くことより、
「パイティティが下北の町を練り歩けばおもしろいんじゃないか、じゃ、やろ!」
という衝動を、なるべく新鮮なまま行動に移すこと、が大事だったというわけです。
そして当日。
雷(「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」か!)を伴う大雨で始まり、
下北沢駅の前も傘をさして早歩きする人ばかり。
こりゃあ練り歩きはないな、と思っていたのですが、
時間が近づくにつれ、雨がやんでいき、しまいには晴れ間までのぞきました。
そして往く人々の誰もが振り返って見た練り歩き。
なんと洞口依子的な日。
洞口依子さんに会う日、というより、洞口依子みたいな一日。
そのときに、私はハッと思い当たりました。
あぁ、そうなのか。この人は、すべてこうやって表現するんだ。
『子宮会議』も、あれは、「洞口依子について」書かれた本ではなく、
「洞口依子のような」本なんだ。
だからあんなに心を動かされるんだ。
ライヴで爪弾いてくれた「イン・マイ・ライフ」も、
「洞口依子が演奏する」「イン・マイ・ライフ」ではなく、
「洞口依子のような」「イン・マイ・ライフ」だったんだ。
そう思ったとき、レノンの素晴らしいこの歌が、
まるで依子さんのために書かれたかのように響いたのです。
このときの演奏はウクレレだけでしたが、
たしかに歌が聞こえてきたのです。言葉もない、歌が。
そしてエンディングとともにギタロンのタケシさんがアドリブで放ったシャボン玉が、
ほんの少しだけだったけど宙を舞って、すぐにはじけて、わっとみんなが歓声をあげて、
私は、あまり感傷的なことを書くのは本意ではないのだけれど、
ちょっと涙ちびっちゃったのです。
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