Let's get lost

リーディング・セッション
〜「お台場オトナPARK2008」〜子宮頸がん啓発セミナー〜もっと知ってほしい女性のこと〜
 (2008年11月24日、フジテレビ マルチシアター)


とってもよかった。

今までもリーディング・セッションには毎回ちがう表情があった。
けれど、この日はまったく別のものだった。

ファルコンのギターが、素晴らしかった。
ふだんはゆったりと弾き始めるオープニングを、いきなり激しくかき鳴らす。
朗読が始まってからも、たどりやすいメロディーやフレーズはほとんどないし、
依子さんの朗読の起伏に添うような展開もない。

長い沈黙を保ち、手を動かしたかと思うと、
(ネックの)ヘッド近くで弦をはじいてごくごくわずかな音をたてる。
説明や情緒を徹底的に省いた、乾いた音。
鳴っているときも鳴っていないときも、こちらの想像が泳げる余白がいっぱいあって、
震えてしまうくらいにいい。

そして、この日は、依子さんの朗読もまた大きく変化していた。
助けを求める子宮の声色が、いつもよりトゲトゲしさを帯びている。
純真なものが恐れを訴えるだけじゃなく、影も裏もありそうな、
魔女の声のように響いたのにびっくりした。

そのあたりから、ギターの音にあいまいで不穏な表情が増していって、
告知を受ける段では、それが舞台の上の依子さんから、
語り手としての輪郭をどんどんぼやかしていくかのようだった。

突然の宣告に頭が真っ白になっている彼女の姿が浮かんでくる。
僕も何を思えばいいのか、わからなくなる。
語られる彼女の像が、僕を内側から水責めのように浸していく。
呼吸すら奪われていって、苦しくなった。

ファルコンが手を止め、依子さんの声だけになる。
でもギターの残響は、そのまま舞台にとどまっている。
ふたたびギターが入ると、さらに突き放しあうように、二つの音が離れてゆく。
どちらも相手を追いかけない。
依子さんもファルコンも、同じ表現の只中にありながら、
ひとり対ひとりで、初めての道を手探りで進もうとしている。
慣れてきたはずの『子宮会議』に、まるで初めて読む本のように向き合っていた。

変化ってなんだろう、と僕は思う。
それは、多少毛色の変わった趣向を凝らすだけでかなうものなのか。
この日のセッションが大きく違う印象を受けたわけは、
固くつながれた手を一度ほどいて、相手にも自分にも見えないところへ、
はぐれていくことを、迷い込むことを、
いとわない意志に衝き動かされていたからじゃないだろうか。
そんな、今いる場所から勇気を持ってはぐれていこうとする姿は、凛として美しい。

リーディングは、「私はもう闇を見切ったのかもしれない」の一文から
最後の部分にかけても、今までとはまるでちがっていた。
こんなに一語一語をはっきりと、かみしめるようにこの段を読むのを聞いたのは初めてだ。
言葉がひとつずつ届くごとに、僕はどんどん気分が高揚していった。

この日の「ただいま」は、朝陽が顔にさすかのように、きっぱりと晴れやかで、希望の匂いがした。
それは、はぐれて迷い込むことで手に入れた強さかもしれない。
すがすがしい気持ちに、心がやわらいでゆくようなうれしさでいっぱいになった。

今までにない試みが山盛りだったけれど、奇をてらった感はまるでなく、むしろ清冽ささえ感じた。
僕も、まっすぐな気持ちで、まっすぐに打たれた。

『子宮会議』のページはこちら

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