『泣きたい夜もある・第3話 僕だけの女神』(1993)


(『僕だけの女神』『3度目の偶然』『夜空の晩餐会』のシナリオが収録されている『ドラマ』誌1993年5月号)


「JT DRAMA BOX」として制作された、一話完結のドラマ・シリーズ『泣きたい夜もある』の第3話です。

木村拓哉さんとの共演。木村さんは『あすなろ白書』に出演する半年前。
洞口依子と木村拓哉、今にしてみれば、なかなか不思議なとりあわせです。
なにか、同じ海でもちがった海域にいる魚のような感じ。

木村さん演ずる20歳の大学生武志と、彼の親友の姉で、依子さん演ずる6つ年上の真弓の物語。
ドラマは短い回想シークエンスを除いて、レストランのテーブルで交わす会話で成り立っています。
テーブルをはさんで座ったまましゃべる芝居って、役者にしたらどうなんでしょうね。
演じにくいものなのかな。
テーブルにはもう1人分の料理とワインが用意されるのですが、その人は姿を見せません。
これが真弓の弟で、武志の幼馴染みであることが、会話からわかります。

ドラマは、姿を見せない弟を軸にして、武志と真弓が分かち合えるものと、どうしても分かち合うことができないものを描きます。
武志は男として真弓を支えてあげたいのだけど、自分が年下であるという現実が枷となってなかなか身動きがとれない。
真弓は、新しい人生に踏み出すために、子供の頃から続く武志や弟との黄金の時間に別れを告げなければなりません。
ここに、恋愛と、人生のある局面との決別というテーマが胸に迫ってきます。

依子さんは、遅れてテーブルに着くや、やや下から見上げる強い目線を木村さんに注ぐのですが、
この目線がまず「姉の目」です。
そわそわした思いを押し殺して、いつもの友達の空気を綻ばせないように気をつける武志がいるので、
よけいに落ち着いた大人の女に見えます。
それがふたりの会話が進むにつれて、徐々に彼女の心の砦のようなものが崩れてゆき、
武志が彼女に対して抱く、守ってあげたいという目線が、見ているこちらの目線と重なります。
正確には、守ってあげたいけど、とりあえず、ここの会計払える甲斐性がない…なのですが。

この回を含む3話ぶんのシナリオが収録された『ドラマ』誌1993年5月号には、
丸谷嘉彦プロデューサーの談話と、『僕だけの女神』の脚本を担当された岡田惠和氏の自己紹介的な文章も載っています。

丸谷氏によると、このTBSの日曜23時は、JT提供で『RYU'S BAR 気ままにいい夜』、『植木等デラックス』、
そして『ビーナス・ハイツ』と十年以上続いた枠で、『泣きたい夜もある』もトーク番組の予算内という制約があったそうです。

丸谷氏は、リハーサルに時間をかけたドラマ作りをしたいという点で、演出の長谷川康夫氏と意見が一致し、
本格的なリハーサルを積み上げ、なおかつワン・カメの長芝居をメインにしたドラマを目指した、ということです。
これはドラマ制作としては主流の方法ではないけれども、なによりも役者がこういう試みを面白がるだろうし、
また、それを理解してくれる俳優を求めた、とのこと。
このあたりの経緯は、私のようなシロウトにも実感とはちがった感覚でわかるような気がします。

30分のドラマということで、ドラマティックな緩急は付けにくいけれども、若者の日常に起こりうるような共感できる物語を、
徹底的に脚本を磨くことで創りあげていったようです。
脚本の岡田氏によると、2人芝居という形式に大いに興味をかきたてられて書いたものの、
当初は笑いの要素が入りすぎていたりテンポが良すぎたりで何度も書き直したとのこと。
また、主役の2人も当初の予定から変更がなく「嬉しい限り」とコメントされています。
リハーサルと脚本を練りこんだこと、そして木村&洞口の魅力によって、今日まで語り継がれる作品となったのでしょう。

シナリオと照らし合わせながらもう一度ドラマを観てみると(そういう無粋なこともするんです!私はマッド・サイエンティストですから!)、
真弓への思いが具体的に表現されている武志のナレーションが、完成版では抑えられているのがわかります。
たとえば、「会社では残業をよく頼まれてしまう」という真弓のぼやきに対する、
「会社の男たちも、彼女に帰ってほしくないんだな」という武志の心の声。
武志が真弓の弟に、姉と結婚しろよ、姉貴はおまえに惚れてるよ、と言われた時のことを回想するナレーション。
その2箇所がカットされています。

また、3人でキャンプに出かけたくだりを現在の真弓と武志が回想する場面では、
キャンプでお腹がすいてスイカ泥棒をしたことについての会話の声が、武志のナレーションで完全にオフになっています。
同様に、免許を取り立ての真弓の運転でドライヴに出かけたとき、海岸に入り込んで地元の漁師たちに助けられた話も、
ドラマでは語られていません。

シナリオを読みながら見ていて気づいたのが、武志が真弓を呼ぶときの言葉です。
シナリオではずっと「真弓さん」で通すところを、完成版では「真弓姉(ねえ)」から、最後のシーンで「真弓さん」と変わる点。
ここは意を決したようなニュアンスが伺えます。
いっぽう、真弓が武志を呼ぶときは「武志くん」。これは変わりません。
日本語っておもしろいもので、これだけでも、2人がこれまでどの程度の距離感でお互いを認め合っていたのか、
察することができるんですね。

武志の年頃の男の子は、親戚や近所や知りあいなど、既知の人に対する言葉遣いを急に意識しだすもの。
久しぶりに会う親戚のおじさんに、子供の頃とは変わって敬語で挨拶したりしますし、
自分が思いを寄せる年上の女性に1年に1度会うのであれば尚更のこと、
武志も何度か真弓に(ややおどけたフシもありますが)敬語を使う場面があります。
真弓は、それをなんとなく受け流したり、調子を合わせて敬語で返したりしていますが、明らかに真弓のほうに余裕が感じられます。
このあたりの綾の絶妙さは、ちょうどその役に相応しい年齢差の2人の俳優の、実際感に裏打ちされた佇まいの魅力でもあります。

私が好きなのは、前述の会計のシーンです。
「大切な女性のために男が金を払うのは当然だろ!」と啖呵を切ったものの、金額に目を落としてゼロの多さに呆然とする武志。
その手から真弓が勘定書を取りあげるとき、スルリと抜けないで、ズズズ、と抵抗があるんですね。
この期に及んでもなお意地を張ってるわけです。あの重み。雀の涙ほどの陥落寸前のプライドにまだすがってしまう気持ち・・・
経験のある男性なら笑えるし泣けるでしょう!
そのあと彼女を追って階段を下る武志の心の中というのは、敗北感と屈辱と情けなさから、必死に立ち上がろうとしているわけです。
あの一段一段のステップ、わかるなぁ。
だからこそ、本当に触れるか触れないか、唇をわずかに重ねてすぐに離す真弓のさりげなさは、心にしみます。
そのあとの季節はずれの雪が、そして洞口依子さんの、大げさではないけれど、そっと肩に手を置いてくれるような微笑が、
「僕だけの女神」として彼の心に刻まれるんですね。


1993年4月18日(日)23:00〜23:30
TBS系にて放送

長谷川康夫 演出
岡田惠和(よしかず) 脚本


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