〜洞口依子さん出演作品解説〜

『ミセス・ノイズィ』(2020年)

 現実にあった「騒音おばさん」(海外でもMrs. Noisyとして報道されたそうです)の事件をもとに、天野千尋監督がオリジナル脚本で映画化した作品。ご近所トラブルとバトルの話だろうと思っていると、ストーリーや主題が途中から意外な方向に展開していきます。
 洞口依子さんが演じているのは、騒音おばさんがパートタイムで働くキュウリ農園の持ち主。私は前情報をほとんど頭に入れずに観に行って、洞口さんはアパートの大家さん役で登場するのではないかと思いながら観ていました。
 というのも、この種のご近所トラブルが起こった場合、親身になって相談にのってくれる大家さんというのはあまり考えられず、たいていは面倒がりながら、当事者間での解決に任せるケースが多いからです。そして、洞口依子さんのアンニュイなイメージには、他人に踏み込まない距離からいくぶん面倒くさそうに対応する役が似合いそうだからです。

 
ところが、この役は洞口さんが今までに演じてきた役からは遠い。『沈黙 -サイレンス-』でのキチジローの母役もそういう意外性がありましたが、今回はもしかするとそれ以上かもしれません。
 パートタイマーの主婦たちに、作物を外観の善し悪しで仕分けるように命ずるときや、後半になってテレビの取材に応えるところで、なんともいけ好かない微苦笑を浮かべています。土地を持っている余裕に支えられた手強い構えがあります。下で働く者への目線に、見栄えのよくないキュウリをハネる手つきと同じ温度を感じました。

 
この農園の場面を見て、はるか昔、少年時代のことを思い出しました。
 私の住む地域はお茶の産地です。茶畑もあちこちにあって、そこでたくさんの人が働いています。私もそのひとつで短期のアルバイトをしたことがあります。
 大した仕事を任されたのではなく、出荷用の茶葉をまとめたりトラックに積み込んだりの単純作業でした。同僚は近所の主婦ばかりで、若者が来たということで、からかわれたり叱られたりしました。ちょうどこの映画に出てくるバイトの男の子みたいな立場です。私は彼がおばさんたちの機嫌を損ねないように自分の役割をつとめている姿を見て、いたたまれない気持ちになりました。
 そこに現れたのが洞口依子さんです。ホント、こういう人が茶畑にもいたんです。たまに一緒に土をいじるから現場を知らない人ではないのだけど、なんというか、歩き方から喋り方から、小さな威圧感のトゲで周囲を急かせて、この人に逆らったら厄介なことになると周囲をピリつかせる存在。これに比べれば、「カノジョはいるのん?」とか「お父さんの職業は?」とか「家は持ち家?」とか、一緒に働くおばさんたちからのその種の質問責めなんて他愛なかった。

 
洞口依子さんを作品で観て、これに近い気分になったのは『呪怨』のときでした。あれは全編に神経を削るような恐怖が張り巡らされていましたが、私にはあのシチュエーションで洞口さんの演じる先生に校内でバッタリ会ってしまう、得体の知れない圧迫感がいちばん怖かったんです。
 しかし、『呪怨』の先生は私たちファンの知る洞口依子像から大きく離れてはいませんが、今回の『ミセス・ノイズィ』での洞口さんは根本的にお馴染みの洞口依子ではない。ここでの洞口さんは私がかつて出会った茶畑のボスです。あ、この人に逆らったら厄介なことになるなと思わせるし、彼女に対して何も言い返せないパートタイマーの姿が、記憶の底から気まずい沈黙の一瞬をつれてくるのでした。

 
ほとんど目鼻しか見えない出で立ちで、家に戻っていく後ろ姿と足どりが地べた持ちの余裕を見せつけます。他の登場人物の誰とも異なります。騒音おばさんとも別の足取りです。
 それはつまり、騒音おばさんがこのボスの側にいる人ではないことを示すポイントの一つでもあり、この映画での洞口依子さんは物語の展開をカーヴさせてゆくそのポイントを演じています。

2020年12月4日公開
出演
篠原ゆき子 大高洋子 長尾琢磨 新津ちせ 宮崎太一
洞口依子 風祭ゆき 田中要次

脚本 天野千尋 松枝佳紀
監督 天野千尋



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洞口日和