「洞口依子にはとても謎めいたものがある」
“There’s something very mysterious about Yoriko
Douguchi.”
ジェリー・ホワイト氏(THE FILMS OF KIYOSHI
KUROSAWAの著者) x 夢影博士(「洞口日和」管理人)
アジア映画について専門的に執筆されているアメリカのライター、ジェリー・ホワイトさんに洞口依子さんの魅力を語っていただきました。
ホワイトさんは2007年にストーン・ブリッジ・プレス社から
『THE FILMS OF KIYOSHI
KUROSAWA Master of
Fear』という黒沢清研究本を上梓され、
その中にある依子さんに関する記述を読んでから、一度お話をお伺いしたいと思っていました。
出版社経由で連絡をとってみると、「洞口依子のファンサイト!それはすごい」という反応。
早速メールをやりとりすることになりまして、予想以上のペースでインタビューは進みました。
アメリカでは、黒沢監督のファンがその作品のすべてを見る機会というのは、あまりないようです。
インタビューでも触れられていることですが、ジェリー・ホワイト氏が取り寄せて見た黒沢作品は英語字幕のない日本版ソフト。
日本語のわかるお友達や奥様がなんとセリフを1行ずつ訳して、協力されたのだそうです。
私にはそこまでのことをやり遂げる自信はとてもありませんが、どこか親近感をおぼえてしまいました。
しかし、ここまで『勝手にしやがれ!!』シリーズの話が通じる人は、日本人でもあまりいない・・・
(原文はこちら)
黒沢清監督の映画や日本映画に興味を持つにいたった経緯を教えていただけますか?
ジェリー・ホワイト(以下、JW): 最初に日本映画に興味を持ったのは、黒澤明、溝口健二、小津安二郎といった巨匠たちでした。
そこから少しずつ、いろんなものを見るようになりまして、とくにホラー映画に関心を持つようになりました。
やがて『CURE』に出会いました。 これにはほかの黒沢清作品を求めたくなるだけのものがありましたね。
『CURE』が最初に公開された頃で、アメリカでは黒沢作品を追いかけるのはとても大変なことでした。
全作品を見るまでに何年も待たなければなりませんでした。 もっとも、現在もまだそのすべては見きれていないんですが!
お話をうかがっていると、『CURE』が黒沢監督にどれほどの国際的な注目をもたらしたのか、ひしひしと感じられますね。
『CURE』はアメリカの黒沢ファンにとって、共通の入口みたいなものでしょうか?
JW: アメリカでは、まちがいなく『CURE』がいちばんよく知られていると思います。
黒沢清を知らないホラー映画のファンでさえ、あの作品については聞きおぼえがあると思います。
『回路』がアメリカでリメイクされて人気が出るんじゃないかと思っていたんですが、あのリメイクはひどかったですね!
あれのせいでみんなオリジナルを見たいと思わなくなったんじゃないでしょうか。 とても残念なことです。
黒沢清を発見していった時期に、どんな日本のホラー映画に興味があったんでしょうか?
私は『死霊の罠』は見ていないですね。 田村正毅さんがカメラじゃなかったでしょうか。
JW: そうです。 彼は(黒沢の)『蜘蛛の瞳』『蛇の道』でのカメラワークも素晴らしいです。
この2作も、アメリカでもっと入手しやすくなればいいのにと思います。 両方とも、私の大好きな作品だからです。
じつは、私はこの2つは「古典」(classics)だとさえ思っているんです。
アメリカで入手の難しい黒沢作品をどうやって手に入れたのですか。 また、『THE FILMS OF KIYOSHI KUROSAWA』を出版するまでに、どのくらいかかりましたか?
JW: オンラインで日本版を注文しました。
ご想像いただけるように、値段は非常にかさみましたが、それだけの値打ちはありましたよ!
ある意味では、この本は私に全作を追いかける言いわけをくれたようなものです。
出版を最初に思いついた時点からすると、およそ2年かかりました。
できるだけ読者のかた--映画学科の学生や教授でなくともいいんです--にとって、入っていきやすいものにしようと心がけました。
今でも思うことですが、より多くのアメリカ人を黒沢作品に向けるような、よりアカデミックな英語の本が書かれるといいですね。
でもそれは誰か日本語に堪能な人がやってくれるでしょう。
あなたのお友達が1行1行日本語のセリフを英語に訳してくれたと書かれてありましたが、セリフを一つずつ英語に書き直してくれたのですか?
JW: そうなんですよ。
コバヤシヒロキ氏が『勝手にしやがれ!!』シリーズに体当たりしてくれましてね。 おもに、セリフを書き出したスクリプトを作ってくれたんです。
他の作品については、私の妻のイーシンが、中国人なんですが、日本語がペラペラで、よくそばに座って日本語や日本文化の要点を説明してくれました。
彼女の存在なくしては、この本は書けなかったと思います。
洞口依子さんをはじめて見た映画は何でしたか? また、そのときの印象は?
JW: 『CURE』でした。
第一印象は、彼女がとても美しいということ以外では、彼女の演技にはどこかゾッとするような(eerie)質感を感じました。
ほとんど異世界のものという感じの。 あきらかに、それはあの役柄に完璧に合ったものです。
その当時、まだ日本の女優についてあまりよく知らなかったのですが、あの映画での彼女の演技を見て、
とても有名で賞をいくつも獲っている女優なんだろうなと思いました。
『CURE』の洞口依子さんといえば、ほんのひとつのエピソードにもかかわらず、ファンのあいだでも最高の演技のひとつとされています。
JW: 彼女のキャラクターにはまちがいなく恐怖を感じさせるものがあります。
「距離感がある」、私ならそう言いますね。 『CURE』のほかの登場人物たちの多くがそうであるように。
そして彼女はそれを見事に演じています。 黒沢清監督も彼女のそういうところに魅力を覚えているのではないでしょうか。
彼女の演技の特徴である、人智を超えていてなおも惹きつけられるような感覚は、黒沢作品を非常にユニークなものにしていると思います。
黒沢監督にインタビューしたとき、そのことを聞けばよかった。
『The Films of Kiyoshi Kurosawa』で、あなたはこう書かれています。
「(黒沢作品には)日本の社会や疎外感といった重要な事柄にふれるものがある(後略 p.20)」
黒沢作品における洞口依子についてはどうでしょう? 疎外感や孤独感ということでいえば?
JW: やはり、彼女には謎めいたものがあって、それが黒沢作品の世界にとてもよく合っているのだと思います。
彼女は世界から離れて立っているように見える。 そのことが彼女のキャラクターを少し孤独なものに映します。
役所広司にもそういう面があると思いますよ。
あなたは『ドレミファ娘の血は騒ぐ』の章ではこんなふうに書かれていますね。
「秋子は無垢かもしれないが、彼女は気が強く、知的であり、究極的にいうと反抗的でもある(p.39)」
秋子という役のどんなところを「知的」で「究極的にいうと反抗的」だと思いましたか?
また、その2つの印象は秋子という役柄についてですか、洞口依子さんについてですか?
JW: なによりも、私はこの映画が大好きなんですよ! この作品は過小評価されていると思います。
映画が進むにつれて、観客は秋子が最初に想像したような純粋無垢な存在ではないとわかります。
私にはこれが秋子のキャラクターの変化の問題だとは思えません。
私にとっての秋子の印象は
— これは本当に洞口依子の演技のおかげなんですが
—
彼女は都会の女の子でもなければ、大学の中では自分本来の部分のまったく外側にいるのに、私には彼女がうぶな女の子には映らないんです。
じっさい、彼女はほかの学生よりもずっと知的に見えますし、もっといろんなことを知っているように見えます。
観客は、時間がたつにしたがって、彼女の本来の姿がわかるようになるだけで、
それと同じように、秋子も彼女が出くわす事柄によって変わるのではありません。
まるで映画の終わりまで彼女が本当の姿を観客から秘密にしているかのようです。
この「謎めいた」感覚が、教授やほかの学生たちに惹き寄せるほどの魅力となるのだと思います。
彼女は大学の枠組みにはおさまりませんが、最後には、実際に学生たちのリーダーとなります。
彼女自身にとって自然な環境にいるのではないのですが、そこでも彼女は何者にも服従しないのです。
これが洞口依子のことを正確に言い表したものかどうか、
少なくとも、彼女がこの役にもたらしている知性からすると、当たっているのでしょうが、
私には確信は持てないところです。
ところで、アメリカの黒沢ファンの何割くらいが『ドレミファ娘』を見るチャンスがあるんでしょうか?
JW: 『ドレミファ娘』は「非常に」少ない割合のファンしか見たことがないと思います。
ほとんどの人は聞いたことすらない映画じゃないかと思いますね!
黒沢のファンでない人に、この映画はどう面白いんでしょうね。
私が見たのは最近のことで、すでにこの本を書いている時ですから、
この映画のことをそういう(自分がファンであるという)流れ以外では考えにくいんです。
で、繰り返しになりますが、これは後年の黒沢作品よりもずっと軽やかさがあって、楽しめる映画です。
さらに、素晴らしいショットがいくつもあります。 もちろん洞口依子の演技もあります。
それからあのミュージカル・ナンバー・・・あれを忘れたくないですね!
あなたが『勝手にしやがれ!!』シリーズについて詳細に書かれているのが、私はうれしかったですよ。 画期的なことだと思います。
JW: それはどうもありがとう。
このシリーズについては書くのにいちばん苦労しました。
字幕もないうえに私は日本語を話せない(日本語を話せて辛抱強い友人がいたのはラッキーでしたが)。
『勝手にしやがれ!!』シリーズを英語字幕なしで理解するうえで、なにがいちばん難しかったですか?
そんなに難しくないかなと思っていたんですよ。
というのも、このシリーズのプロットはほぼ繰り返しですし、字幕がなくともわりあい簡単に追えるものかと。
JW: プロットが追いやすいというのはその通りですし、たぶん、字幕なしでもなにが起きているのかぐらいを思いめぐらすことはできたでしょう。
ただ、翻訳をしてくれた友人のヒロキに言わせると、言葉遊びの類が多くてそれを英語に訳すのが難しいのと、
日本語をしゃべらない人にそれを説明するのは困難なのだそうです。
そんなわけで、おそらく私もこのシリーズのユーモアについては取りこぼしが多いと思いますよ。
何語であれ、ユーモアというのは訳すのがいちばん難しいですからね。 ユーモアの多くは微妙なものなので。
『成金計画』なんか特にそうで、耕作のセリフはどうでもいい話だらけです。
でもバカみたいなしゃべりであるほど、カメラの素早くスムーズな動きによって、耕作の人物とキャラクターが鮮やかに捉えられている。
私があなただったら、このセリフが母国語の文脈でどう聞こえるんだろうと知りたくてたまらなくなると思います。
JW: まさにその通り! 日本語が話せてあのシリーズを完全に理解できる人がうらやましいですよ!
私はあのシリーズでは『英雄計画』が仰天するほど凄いと思いますし、あなたもシリーズ中最高作に挙げていらっしゃいますよね。
洞口依子さんについてはどうでしょう。 シリーズ中ではどの作品の彼女が忘れがたいですか?
JW: なんといっても『英雄計画』の彼女がびっくりするほどの素晴らしさですね。
正直に言って、私はいつも彼女の役のキャラクターを面白いと思いながら、全作を通じてもっと大きな役だったらなぁと思うんです。
私が断然好きなのは『英雄計画』の最後のショットでの彼女の顔なんですが。
あれは忘れられない瞬間です。 そして、他の女優だったらあれほど見事にできたかわからない。
あのエンディングにかなりの曖昧さがあるので、彼女の存在感— 変わらず謎めいたその存在感が — そこにプラスされるのだと思います。
『勝手にしやがれ!!』シリーズの洞口依子について言うと、
回が重なるにつれて、あの由美子という役のキャラクターが少しずつ変わっていくさまがおもしろいです。
第1作と第2作では彼女は自信に満ちて大胆に映ります。 最初の2作では、じつにクールに佇んでいる。
ところが、最後の作品を見るとですね、彼女はしおれちゃったみたいに、活気に乏しく見えるんですね。
そこに私たちの大好きな、洞口依子の物憂げな顔の、あのエンディングですべてが閉じられる。
まるで彼女の曖昧さがあって、完璧なやり方で、暗転に向かって次第に褪せて解き放たれていくみたいなんです。
そうやって考えるとですね、あのテーブルに座ってシリーズを終わらせるのは彼女じゃないと駄目だと思えるんですよ。
JW: 素晴らしい解釈ですね! その通りですよ。
そうやって考えると、彼女が全シリーズを通して起こったことを本当に反映していますね。
最初の軽快なコミック風のおふざけが最後にはよりシリアスになっていく。
これは黒沢監督の演出の才とスタイルの変化をも映し出していると思います。
『ニンゲン合格』では、洞口依子さんは他の黒沢作品のときとはちがって見えます。
エンジン付きスケボーで登場して段ボールの箱に激突し、やさしく微笑みながら土手に座ってウクレレを爪弾き、
ナイトクラブの場面では本当に楽しそうに歌っているかのようです。
多くの黒沢ファンにとってはいつもとちがう、こういう洞口依子の「陽性」の部分をどう思われますか?
JW: 正直に言いますと、2回めに見るまで彼女だと気づかなかったんです!
おそらく彼女がどんな「タイプ」の女優かという予備知識があったんでしょう。
だから、これは彼女の他の作品からすると、じつにクールな気分の転換ができましたね。
彼女の幅の広さを証明していますし、これを見ることで他の作品での彼女をもっと楽しめるようになります。
洞口依子さん出演の黒沢作品だと、『CURE』以外で国際的に知られているのは『カリスマ』でしょうか?
JW: そうです。 『カリスマ』だと思います。
あの映画には観客を惑わせるようなところがありますが
(私は最初に見たときからそこが大好きでしたが、「こういうことか」と思えるまでじっくりと考察をしなければなりませんでした
…それでも100%とは言えませんが)。
もちろん、『CURE』も『カリスマ』もメジャーの会社からDVDがリリースされており、それなりのDVDストアに行けば購入することができます。
なので、この作品が最も人気があるというのは、ちょっと誤解を招くところがありますね
…単純に、こちらの観客には『ニンゲン合格』も『ドレミファ娘』も見るチャンスがないということです。
『カリスマ』では、洞口依子さんは非常に多義的な千鶴役を見事に演じています。
私はこの映画の彼女が好きで、この作品を見るたびに畏敬のまなざしで彼女に見入ってしまいます。
JW: まったく同感ですよ。 私の最も好きな洞口依子の役柄です。
この映画での彼女が無条件に大好きなんです。
彼女は息を飲むほどの素晴らしさです。 私の最も好きな黒沢作品のキャラクターかもしれません。
あまりに単純な質問ですみませんが、この『カリスマ』という映画全体にとっての洞口依子とは何でしょうね?
JW: 映画全体にとっての彼女の役割…それは難しいですね。
『カリスマ』にはさまざまな解釈ができますが、私はあの映画の森は全体的に見て、小宇宙で、
各キャラクターはいろいろな要素を表しているように思います。
(カリスマを枯らして現状を維持しようとする)植物学者は秩序、
洞口依子の演じるその妹はカオス。彼女は刑事を唆そうとして、どちらの側につくかの判断をますます困難にします。
洞口依子さんのことを、彼女をまだ知らない人(たとえばアメリカ人で外国映画をあまり見ない人)に説明するとしたら、何と言いますか?
JW: 「洞口依子には、無限に目に見える何かがある。
じっさい、彼女がスクリーンにいると、視線が惹きつけられてしまう
(彼女の出番は少ないけれど、『勝手にしやがれ!!』シリーズでもそれは本当にそうです)。
これが何なのかは正確にはわからない。 彼女には、とても謎めいたものがある」
洞口依子さんが『ドレミファ娘の血は騒ぐ』でデビューしてから25年になります。
この11月には2週間の「映画祭」を行う予定です。 洞口さんになにかメッセージはありますか?
JW: おめでとうございます!
あなたの仕事がふさわしいリスペクトと評価を得ることができて、幸せです。
ここアメリカにも、あなたのファンはいっぱいいますよ!
最高の好運と健康と幸福がありますよう、お祈りいたします。
(2009年10月 メールによるインタビュー)