『李(イ)君の明日』(1990年)

NHK大阪が制作したドラマスペシャル。
大阪市生野区(コリアン・タウンがある)を舞台に、在日韓国人の若者の苦悩と自立を描いた作品で、
元秀一原作、小林武演出、田中晶子脚本、小室等音楽。
5月3日の憲法記念日にぶつけた企画だったのかどうかは、わかりません。
脚本の田中晶子さんは、1991年の『別冊宝島』誌で、好きな自作の一本に挙げていらっしゃいます。

主人公、李(石田登星さん)は「吉本」の通名で、塾で中学生に英語を教えている青年。
洞口依子さんの役どころは、彼の大学時代の恋人、夏子。
李は東京で彼女と知り合い、結婚寸前まで行ったのですが、日本人である彼女との将来に不安を感じ、
彼のほうから別れを切りだしました。

夏子は、お見合いを重ねたりしながらも、まだどこか李に未練があるようす。
彼が自分のアイデンティティと真っ向から向き合わず、いつも逃げの手を打つことに不満を感じています。
それは彼自身がよくわかっていて、公務員を選ばずに塾の先生になったことも、彼女との別れも、
そしてたぶん東京の大学へ行ったことも、自分を取り巻く環境から迂回したい気持ちがあったはず。

ドラマは、李と夏子の恋の結末以上に、李の教え子でやはり在日韓国人の男の子の国籍に関する悩み、
その子とイギリスからの帰国子女でカルチャー・ギャップに苛立つ少女との初恋めいた友情を中心に進みます。

依子さんの場面はほとんどが屋外です。
李を訪ねて大阪へやってきた夏子が、久しぶりに彼と歩く生野区の商店街。
地元のお店で饅頭か何かを買って歩きながら頬張ります。

李の両親に会いたいと言い出して、彼を煙たがらせるのですが、「ご両親に会ってみたい」というセリフは、
相手との関係によって、とんでもない重さを持つのは言うまでもありません。
2人の恋はいちおう終わっているのですから、「友人として」言っている面と、まだ彼に未練を感じていて、
彼の気持ちを試している面と、両方あるはずなのがこのセリフ。
ここでの依子さんは、けっこう屈託ない笑顔を浮かべて言うんですよね。
う〜む、李君があわてるのも、わかるような気がする。

それから、自分が体験したお見合いの話をする場面。
2度目までにハッキリ断らなかった相手に、3度目のデートでホテルに連れ込まれ、
下着姿で謝って飛び出してきたエピソード。
そうなんですよね。洞口依子さんって、童顔でけっこうキワドイ話をあっけらかんとしゃべっても、
いやらしくならない女の子だったんですよね。
この1990年の依子さんは、短めの前髪からツンと出たオデコとぷっくりした頬が本当に可愛くて、コケティッシュです。

次が夏子の泊まっているホテル。
李は教え子の父親と民族の問題をめぐってちょっとした口論になり、荒ぶる気持ちをぶつけるように彼女を訪れ、
激しく抱きしめます。
何事かわからないまでも、彼をしっかりと受け止める夏子。
そして翌朝、新幹線のホームで、見送りに来た李に「また会いに来るね」と明るく言うと、「もう来るな」と返されます。
閉まる扉。
どう反応してよいのかわからない夏子ですが、冷たく言い放った李が、動き出した列車の横をすがるように追いかけるのを見て、
涙をこぼします。

私は常々思うことですが、洞口依子さんの笑顔には、どこか哀しみの成分が含まれているような気がしてなりません。
それは、甘みを引き立たせる塩味とも少しちがうし、よく泣くからよく笑うというのともちがう。
笑顔が、穏やかならざる曇天にふと差した一条の光みたいに映える、とでも言えばいいでしょうか。
それこそ、私がこのHPのタイトルに冠した「洞口日和」でもあるのですが・・・

ラストで、塾の先生を辞めて不動産鑑定士を目指して歩き出した李を、夏子が訪ねに来ます。
彼女は、お見合いを続けて、今度こそ結婚することになったこと、自分の目標が見えて、
ようやく李にお別れが言えるようになったことを、笑顔で告げます。
この笑顔には、もう哀しみの色合いはうかがえません。
ちゅうことは、演技、なんだな、やっぱり。

教え子と帰国子女の子を、子役時代の小磯勝弥さんと高橋かおりさんが演じています。
高橋かおりさんと依子さんは『炎立つ』『あした』などで共演され、今年に入ってからも『甚内たま子ファイル5』で
ご一緒されていますね。

1990年5月3日放送
NHK大阪制作

(なお、スタッフのクレジットに「考証」担当として、「中尾幸世」という名前があるのですが、まさか、『夢の島少女』の女優中尾幸世さん?
だとしたら、ビックリ。
『夢の島少女』(1974)は佐々木昭一郎さん演出でNHKが制作した名作ドラマで、2001年の『NHKアーカイヴス』で私もようやく見ることができました。
そのときに中尾さんはスタジオで当時を回想されていたのですが、当時18歳で、ロックが好きで、気鋭のディレクターに見出されたという経緯に、
どこか洞口依子さんと重なるものを感じたのです。
『夢の島少女』の中尾さんも、田舎から東京に出てきた翳りの深い少女を演じられていて・・・
いや、決して珍しいお名前ではないからなぁ。でも、そうだったら、なんかドキドキします。
どなたかご存じでしたら教えてください)

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