『美空ひばり物語』(1989)

(このサイトは洞口依子さんのファンサイトで、この文章も作品中の依子さんについて書かれたものです。)

美空ひばりさんが亡くなってから半年後の年末にオンエアされた伝記ドラマです。
岸本加世子さんがひばり役で、樹木希林さんがお母さん役。
マネジャーの「ツウさん」こと福島通人氏を夏八木勲、川田晴久役を五木ひろし、
笠置シヅ子を清水ミチコ(これは『トットチャンネル』での室井滋さんがハマってましたね)、
川口松太郎を田村高廣、小林旭を陣内孝則などと配役も豪華で、4時間弱のドラマを一気に見せます。

洞口依子さんの役は、塩酸事件を起こした少女。
有名な話ですが念のために書いておくと、浅草国際劇場に出演中だった当時18歳のひばりさんが、
ステージ下にいた同い年の少女に塩酸をかけられて、顔などに火傷を負った事件です(ただし、運よく傷として残らず)。
ビデオのパッケージに、役名は田代久美子として記されていますが、逮捕時未成年だったので仮名でしょう。
なお、ドラマのなかでは彼女の名前はいっさい登場しません。

全体から見ると、非常に短い一挿話です。
ですが、丁寧に描かれているのと、演じる依子さんがとても良いので、鮮烈な印象を残します。
じつに20年ぶりに見直しまして、ここまでこの少女のキャラクターがちゃんと描かれていたことに驚きました。

雪村いずみ、江利チエミとの「ジャンケン娘」の撮影風景がそのまま映画のワンシーンになって、
やがてそれが上映されている映画館の出口へと場面は移ります。
口々に「ひばりちゃん、すてきね」などと感想を言い合う女性客のなか、一人で劇場を後にする久美子。
外の空気に「さむぅ」と口を動かすのですが、その言葉を分かち合う友人も恋人もいない。
でも、表情は充実感でいきいきとしており、それがよけいに彼女の孤独を際立てて、悲しい。

久美子は一軒の邸宅にお勝手から入っていきます。お手伝いさんなんですね。
そのお勝手のドアと、そこを開けて無言で中に入る足取りにやるせなさを感じてしまいます。
次は屋敷の外。かじかむ手に息をはきかけながら、洗濯にいそしみます。
ひばりの「波止場だよ、お父つあん」を口ずさみながら。

またこの歌が悲しい歌なんですよ。
年老いて目の見えなくなった父の手を引いて、波止場に来る娘。
父は昔、マドロスだった。波止場でじっと汽笛の音に耳を傾ける父。
父の髪は真っ白になり、体もすっかりやせたけど、「ほら 縞のジャケツがまだ似合う」(ここを口ずさむ!)
「わたしが男なら、親子マドロスで鼻が高いでしょうけどね」
そんな歌です。
これを、とくに感情も感傷もこめることなく、軽くハミングする久美子。そのぶん侘しさがつのります。

次が台所でぬか漬けを仕込んでいる姿です。
そこから、彼女が集団就職で東京へやってきたときの列車の中の回想へ。
依子さんは当時24歳。まだまだセーラー服が似合います。
同郷の友達とにこやかに、ラジオから流れるひばりの歌を聴きながら、ひと粒のキャラメルをおいしそうに頬張ります。
友達が久美子に言います。「東京さ着いたら、ひばりちゃんに会えるかもねぇ!」
期待と照れの入り混じった屈託のない笑みをこぼす久美子。

回想が明けて、まかないで宛がわれた質素な部屋に戻ってくる久美子。
押入れの扉を開けると、その裏側には、「明星」などの雑誌から切り抜いた、ひばりの写真がところ狭しと貼ってあります。
「ひばりちゃあん・・・」ため息をつくように、低い声で呼びかけます。「・・・つらいんだ・・・」
ここも、泣きを強調せずにつぶやくように、ポツリ。これが効いています。

昼。お屋敷の電話を勝手に使って、ひばり邸にかける久美子。
「ひばりちゃんに会いたいんです。だめなら、せめて声だけでも」受話器の向こうで通話が切られます。
お屋敷の奥様に私用電話をとがめられる久美子。口をとがらせて、財布から小銭をたたきつけるようにその場に置いて去ります。

夜の公衆電話。ここでも取り次いでもらえません。
電話が切れるや、すぐにまた財布から小銭を出して電話機に入れる久美子。
そのほんの一瞬見せる笑顔が悲しいです。

ひばり邸。婚約者のバンド・リーダーと、華やかなジャズのレコードで楽しく踊っています。
そしてひばりの婚約を報じる雑誌のページ。
それをハサミで切り抜く久美子の姿。大好きなひばりの記事だから、なんでもスクラップしたいんだろうけど、
この記事だけは・・・切り抜いた紙を手の中でクシャクシャにしてしまいます。

ドラマの序段で、まだ子供だったひばりの歌が、サトウハチローに「子供らしくない。化け物みたいだ」
と雑誌で酷評されるエピソードがあります。
悔しさに泣き出しそうなひばりにお母さんが言うセリフが、
「この記事は、切り抜いて大切に持っておきましょう。
そして、つらいとき、くじけそうなときに、困難を『切り抜く』お守りにしようね」
ひばり母子も、決して順風満帆に成功を手に入れたのではなかった。
久美子にとっての切り抜きも、決してそれと乖離したものではないはず。
だけど田舎から出てきて、なにをやってもパッとしない18歳の少女の、
自分と同じ年の成功者を見る目は、徐々に変質していきます。
たぶんに、性や恋愛に対する潔癖すぎる意識もあったかもしれません。洞口依子だからこそ想像させてくれることです。

彼女は薬局で塩酸の瓶を買い求めます。
そして国際劇場。
灯りの落ちた客席に久美子の顔が見えます。緊迫のなかに気だるさを感じさせる面持ち。
歌いながら舞台の袖から現れたひばりに、ファンの声が飛びます。
そのなかのひとつ、とりわけ大きな「ひばりちゃん!」の声にひばりが振り向いた瞬間、
久美子が最前列にいて、「えい!」と何度も叫びながら、塩酸をひばりにふりかけます。
「熱い!熱い!」としか言えずに顔を抑えてうずくまるひばり。
騒然とするスタッフ。脱兎のごとく駆け出して舞台の下をくぐって逃げる久美子。
追ってきたスタッフに彼女は取り押さえられて、次に現れるのは、楽屋裏、手錠をはめられてうなだれた彼女の姿です。
待ち構えたファンの怒号のなか、その場にしゃがみこんでしまう久美子。「ひばりちゃあん、ごめんなさい・・・」

これがこの『美空ひばり物語』での洞口依子さんの出演場面です。
文章に起こしたものを読んでいただいてもおわかりでしょうが、久美子を単に狂信的なファン、犯罪者として扱っておらず、
シロウト考えでは、美空ひばりサイドも関わっているこのドラマで、こういう解釈も通るんだなぁと感心するしかないんですが、
おかげで、高度経済成長に向かう日本の希望としての美空ひばりというスターと、
それを夢みながら、その足元にもたどりつけない庶民の現実が、やるせない味わいを伴って伝わるエピソードに仕上がったと思います。

ほとんどセリフのない役です。
しかし、この部分、彼女のドラマになっている。心に残るキャラクターとなっています。
久美子が犯行にいたった心情には、自身の貧しさが影を落としたであろうと考えられる設定ですが、
彼女の貧しさはことさら強調されているようには思えません。
そのかわり、「図らずとも」なのか、彼女が演じると、久美子という少女は、貧しいということ以上にとても孤独な少女として映ります。
その孤独感が、はっきりと理由や意味づけをもって示されるよりも先に、依子さんの身体とたたずまいで表現されたのが、
あの「ひばりちゃん・・・つらいんだ・・・」の場面だと思います。
そしてこのセリフをつぶやく依子さんが、この作品の彼女ではいちばん輝いています。

この時期の彼女の魅力が短いシークェンスに凝縮された作品ですね。



1989年12月30日(土) 19:00〜22:54 TBS系列にて放送
原作:上前準一郎
脚本:佐伯俊道
監督:伊藤俊也


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