『芸術家の食卓』(1989)

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この作品は『洞口依子映画祭』で上映されます!

TBSが「HDTV」(ハイビジョン)で制作した20分強の作品です。
写真家で、料理人としてもご活躍されている西川治氏がコッテージで料理をするさまを撮ったもの。
あえて呼ぶなら「食についての映像によるエッセイ」です。
実質的な出演者は西川氏と依子さんのふたり。

最初に、子供たちがハンバーガーに嬉々としてかぶりつくモニター映像が流れ、
それとは対照的に、鋭い眼差しで肉を叩き、こね、油をしいて黙々と焼く西川氏の姿へと移ります。
そこに一瞬、猫のカットを挿んで、依子さんの登場となるのですが、
彼女はどうやらこの猫の化身のようです。最後にも同じような形で、猫と依子さんが入れ替わります。

真っ暗な部屋のなか、山と積まれたハンバーガー。
そのひとつを頬張る依子さん。
たっぷりと塗られたマスタードがパンの合間からこぼれ落ちるカット。
ここでは、洞口依子さんの目がフレームから外されています。
あの特徴的なまなざしを省いた状態で「ものを食べる洞口依子」を見せるというのは
なかなか冒険的な方法ではないかと思います。

やがて、ハンバーガーからそこに使われるマスタードへと焦点が移ります。
このマスタードも西川氏のお手製です。
ズラリと横に並んだ材料の壜が、明瞭な輪郭で表情を持って映し出され、
その末尾に置かれた石臼を依子さんがチョイチョイと猫手よろしくいじり、
今度はその石臼で挽いてマスタードを作る様子が描かれます。

さらに、ハム。
自分で作ったマスタードを塗るハムは、自分の納得のいくものでなくてはなりません。
そこで戸外に小さなスモークハウス。
西川氏はおいしいハムを食べるために、スモークハウスをこさえたのです。

「エピキュリアン」という言葉には、「快楽主義者」とともに「食道楽」の意味もあります。
この作品は、本物のエピキュリアンを見せるドラマでもあるのです。
西川氏の、ひとつもにこやかな笑顔を浮かべず、むしろ無愛想に黙々と、
おのが食への欲望を満たす料理を作っていく姿が魅力です。

書類に目を通しながら、どでかいハムを削って口に放り込むときの、とくに感動の見えない横顔。
そして、そこで表情を直接捉えず、体を投げ出すように椅子に横たえた西川氏の無造作なしぐさを収めた演出。
一陣の風が吹いて(ここは演出を強調してある)、手にした書類が外にとばされ、
窓の外にいた依子猫がそれを拾い、くるくると丸めてチャンバラごっこよろしく、
スモークハウスの中に吊るされた肉に向かってエイッと振りかぶる…
じつに贅沢な感覚です。クラクラするほど豊かな映像の連鎖で、
紹介されるエピキュアリンのライフ・スタイルに、負けていません。
この作品は、それが延々とつながってゆくのです。

ロブスターの山を、ニコリともせずに次々に片づけてゆく西川氏と、
その横から珍しそうに手をのばし、つまみ食いをする依子猫。
そんな依子猫に視線ひとつくれず、それでいて遊ばせているだけの愛情を感じさせる西川氏との間にある空気。
スタジオから徒歩5分のところにある紀ノ国屋から、カートのまま帰路に着く西川氏。
鰹を、「ティッシュのように薄く、ガラスのような輝き」になるまで削る姿。
でっかい鍋に作ったパエリアを、川の中州で食べる姿。
鰹の残りを酒と醤油に3日間浸し、柔らかくさせて、それを熱燗の肴でかじる姿。
「私は冬の間は何もしない。ただ、サラミを食べてウィスキーを飲む」という言葉。

ずばぬけて味蕾の発達した人の話は、一度それを翻訳したほうが伝わりやすい場合があります。
グルメ番組だと、依子さんのこのポジションは、西川氏にインタビューをしながら進行させたり、
主役の存在が視聴者を置いていってしまわないよう気配りする立場でしょう。
しかしこの作品での依子さんは、猫です。なんの気配りの必要もありません。
おもしろそうなものに近づき、匂いをかいだり、触ってみたり、かじったり、
できた料理はおいしく食べていますが、新たに気になるものがあらわれると、
ほったらかしにして、そっちへ歩み寄っていく。
いわばこれは、宮田吉雄氏の演出と西川治氏のライフスタイルと洞口依子さんの存在が、
エピキュリアンという感性で映像に実を結んだ傑作と言っていいでしょう。

全体の主眼は、食べるという行為のエロスを表現することには置かれていません。
むしろ、食を作る行為を、丹念に追って行きます。
作業一つ一つは確かに地味でストイックささえ漂うのですが、
その積み重ねが生み出す効果は感覚をあやしく刺激するもので、
その意味で、映像自体に醒めたエロティシズムが感じられます。

この作品の収録は1988年。
『土曜倶楽部』があり、『マルサの女2』があり、『風少女』があった頃。
洞口依子さんというと、この頃は、ポスト・モダンな潮流の中から登場した印象がまだ強く、
新人類の旗手の一人として選ばれたのも、そうしたイメージを踏まえてのことだったのでしょう。
そんな彼女が、ひと世代、ふた世代先を歩いてきた大人の男性のこだわりに、
猫となってつきまとい、目を丸くしていろんな物事に好奇心を示している様子には、
じっさい、彼女の内にすでにあったであろうモダンへの関心、憧れと(もしかすると)共鳴が見えるかのようです。
この作品との出会いは、依子さんにとって大きいものだったのではないのでしょうか。
洞口依子研究所として見た場合、そこがいちばん興味深いです。


宮田吉雄 演出
TBS 制作

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