女優グラフィティ -洞口依子- (2024年のお誕生日と40周年のお祝いに)

 下記の文章は、洞口依子さんのファンサイト『洞口日和』の管理人である私が、2024年の洞口さんのお誕生日と40周年をお祝いして書いたものです。
 タイトルの『女優グラフィティ』は、1978年にブロンズ社から出版された本の名前から拝借しました。小藤田千栄子さんと川本三郎さんを主幹に、複数の執筆者が欧米の女優の魅力を熱量高く綴った文章が収められています(表紙のデザインは安西水丸さん!)。
 ジェニー・アガターに始まり、カレン・ブラック、ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド、サリー・ケラーマン、ソンドラ・ロック、ジェニファー・オニール、ジョアンナ・シムカス、シェリー・ウィンタース・・・・・・、40年前の1984年に高校2年生でこの本を読んだ私には初めて知る名前が多数ありました。7割がそうだったかもしれません。
 どの文章も深い思い入れが紙面から溢れだすかのようで、私はこの『女優グラフィティ』という本がとても好きでした。今も本棚のすぐ手の届くところに置いてあります。
 長年、「洞口依子」のページが新たに加わった『女優グラフィティ』を妄想してきました。そしていつも心の中で、そのページを自分の言葉で推敲してきました。それが下記の文章です。思い入れの蛇口を全開にしましたが、後悔はしていません。

 『女優グラフィティ』の「まえがき」で編者のお二人が連名でこう書いています。
 「スクリーンの中で共感した女優を発見し、語ることによって、大仰にいえば人生への信頼そして夢をもう一度確認したいのである。」
 ──私にそれを叶えてくれる洞口依子さんへ、感謝と愛をこめて。)


 『ドレミファ娘の血は騒ぐ』の冒頭、スクリーンに大写しで登場した洞口依子。
 18歳になったばかりの小僧だった私は、青空をバックに髪を風になびかせて、緑に囲まれたキャンパスを見下ろす彼女の視線に射抜かれてしまった。

 
正直なところ、その時点であの映画を他人に説明できるほど理解していたかは疑わしい。「なんだかよくわからない」と困惑する人の気持ちも汲み取れた。
 だが洞口依子の素晴らしさと、それと共振してやまない作品自体の魅力に心を奪われた。「よくわからない」のに、来る日も来る日も洞口依子と『ドレミファ娘の血は騒ぐ』のことが頭から離れなくなった。まるで暗号を後ろ手に受けとるようにして、私は彼女と出会ってしまったのだった。

 
洞口依子の出演作はジャンルが多岐に渡る。テレビの2時間サスペンスやコメディーや時代劇もあれば、作家性の強い映画やハイビジョンの実験的な作品もある。世界的に知られる邦画やJホラーの代表的な作品もあり、スコセッシの映画もある。目下の最新作はカナダで長期間撮影されたアメリカのドラマ『SHOGUN 将軍』だ。これらを一つに括るのは難しい。

 
しかしこれだけは言える。それがどんなジャンルの作品であれ、洞口依子が映っている画面は、彼女以外に誰もなしえない呼吸で脈打っている。
 出演時間の短い作品でも、『地獄の警備員』を、『CURE キュア』を、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』を、『白鍵と黒鍵の間に』を観ればわかる。そこには物語の展開とは別の扉がある。
 私はそれを洞口ドアと呼んでいる。その奥の階段に足を踏み入れたいような、それを試みると物語に戻ってこれなくなりそうな、妖しく悩ましい磁力がそこに渦巻いている。『地獄の警備員』には、いみじくもこんなセリフがある。「知りたいか?それを知るには勇気がいるぞ」。扉を開けて階段を降りて行けば、そこは映画という表現が有する特別な場所に通じている。洞口依子のいる画面には映画の神秘がある。だから私は洞口ドアを無視することなどできない。隠された蜜を求めるように、暗号を手にして、そこへ入ってゆく。

 
今年は洞口依子が『ドレミファ娘の血は騒ぐ』を撮影してから40周年にあたる。その間、彼女の人生にはいろんな事があった。大病を患い、生死の淵に沈みかけて浮き上がった彼女が演技をやめずにいてくれて嬉しい。
 相変わらず彼女の魅力を語るのは容易ではないけれど、こうなったらもう、私は洞口依子という海の水平線に向けた巨大な疑問符でありたい。洞口依子は、そんなクエスチョン・マークの幸福に浸らせてくれる。
 憂いや倦怠を含んだ彼女の瞳は、言葉の枠に収まらない詩を発し、観る者に創ることの神秘と出会った驚きをもたらす。たとえ数分の出演シーンであろうと、私にとって、そこに洞口依子を観る喜びがあり、彼女の存在を誇りに思う理由がある。
 洞口依子のいる場所は映画に変わる。彼女は映画を連れてくるのだ。

2024年3月18日



洞口依子さんへの思い 

彼女は、最初、ポスターの中の人でした。
今思うと、あれはチラシだったのかもしれない。
でも、もうそこまではおぼえていません。
『ドレミファ娘の血は騒ぐ』という、少年の気取った気分を焚きつけるようなタイトルを持つその映画のポスターに、
17歳の私は、まんまと、かどわかされました。
その映画を実際に見たのは数週間後、18歳になってから。つまり私にとって、彼女はまずポスターの中にしか存在しない女の子だったのです。

それでも、彼女を「発見」したことは私のささやかな自慢でした。
高校生活も終わりに近づいた消化試合のある授業中、私は悪友との筆談でこんなことを走り書きしました。
「『ドレミファ娘の血は騒ぐ』。桐口依子ってのが出てる。」
悪友はすぐに声を立てずに笑って、サラサラッと書いてよこしました。
「桐口じゃなくて、洞口」
え?と顔を覗き込むと、アホちゃうか、といった表情を浮かべて、さらに付け足してくれたのが、
「洞口依子。GOROの激写に出てた。映画に出たんか?」
私はGOROを読んでいなかったのです。
それ以来、その悪友と彼女の話はしていません。

ポスターの中で、彼女は小型のテープ・レコーダーを耳に当てていました。
私にはなぜかそれが拳銃に見えました。
それで、この映画はきっとフィルム・ノワールのようなもので、彼女は『エンジェル』のドナ・ウィルクスのように、
男たちを撃ち殺していくのにちがいない、と勝手に思い込んでしまいました。
彼女の表情は、不満げで、ふてくされていて、怒っているようにも見えたし、おびえているようにも見えました。

なにがあんなに私の視線を釘付けにしたのか、今もってよくわかりません。
クソ生意気な思春期のアンテナが敏感に反応する何かを備えていたとしか思えない。
たとえば、17歳の私にとって大切だったのは、
映画でも、小説でも、詩でも、絵画でも、音楽や、社会で起こっている諸々の出来事でも、
そこにロックを感じるかどうか、でした。

思い出すとこっ恥ずかしくなることも多々あるのであんまり書きたくないのですが、
よくも悪くも、オッサンになって、ロックを音楽の一種類としてとらえるようになった現在とはちがって、
17歳の私は、成熟を拒むもの、異端の存在、度を越した行動をとる人々、エキセントリックなもの、歪んだもの、
人さまの顔をしかめさせるような事をあえて行う者、手に負えないもの、天才、バカ、気狂い、変態、ラリリ、自閉症、ノイズ、
アングラ、アヴァンギャルド、倒錯、超現実主義、神秘主義・・・などといった事象にきわめて表面的に惹かれる傾向があり、
それら全てをひっくるめた感性を大見出しで「ロック」と呼んで愛でていたふしがあります。
つまり、「ロック」とは、ロック音楽のことではなかった。
ジャズでもよかったし、クラシックでも現代音楽でも能楽でもよかった。
いや、音楽でなくともよかったのです。

はたして、洞口依子という女の子が、そんな月刊imagoみたいな属性を背負って見えたかというと、これまたなんとも言えません。
実際に見た『ドレミファ娘の血は騒ぐ』は、フィルム・ノワールでもなく、洞口依子も予想した以上に笑顔が可愛い女の子でした。
もっと殺伐とした、「みんなブッ殺してアタシも死んでやる!」みたいな、『人魚伝説』のようなものを思い描いていたので、
その点では肩すかしでした。
ただ、やけにバカ明るいキャンパスの風景の中、彼女の横顔は倦怠と鬱屈をはらんだ陰翳があって、
そこに、町田町蔵のひん剥いた瞳や、キース・リチャーズのボサボサの頭や、ボブ・ディランのサングラスなどといった、
当時私が夢中になっていたものと同じにおいを感じたのはたしかです。
・・・でも、月刊imagoはないな、いくらなんでも。可愛かったから。
可愛くなかったら、そこまで思い入れるわけないしね。
お詫びして訂正します。

そのデビュー作での彼女の芝居がどうこうということには、今も昔もまったく興味がありません。
大切だったのは、とても切羽つまっているように見えたことです。
映画という場を与えられて、中身がフル回転しているのに、自分でそれをコントロールする術を知らず、
無我夢中でぶつかっている彼女に、切迫感を感じました。
それでそのドッタンバッタンやってる姿がサマになっているところが、やはり天賦の才能だったと思うし、
それが彼女の手にしたテープレコーダーを拳銃に変えるマジックでもあったのだと思います。

退院した彼女が出演した2004年12月の『徹子の部屋』を見たとき、それからややあって彼女のブログを見つけたとき、
しばらくのあいだ私は彼女に対して、「なんてかわいそうなんだ」と思っていました。
こういう言い方は誰よりも彼女が嫌うだろうけど、ほかに思いようがありませんでした。
すべてが、ショックでした。
彼女の人生に起こったことにもショックだったし、その余波で女優としての仕事にも自信を失くしかけていたことにも、
毎日すべり台のアップ&ダウンを繰り返しているかのような彼女の日記にも、すべてに衝撃を受けました。
なによりも、洞口依子という女優に対して「かわいそう」などという気持ちを抱いている自分が、信じられませんでした。

彼女が仲間とウクレレ・バンドを結成し、自分たちでレコーディングを始めたことを知ったときは、
ホッとすると同時に、一抹の不安感を拭えませんでした。
音楽という表現が、彼女に表現者としての自信を取り戻させてくれれば言う事はない。
それに、単純に、彼女がそこまで音楽を好きでいてくれたことが、うれしい。
のだけど、同時に、どんなものを聞かされるんだろう、という不安を感じたのです。
ありていに言うと、妙に「日和っちゃった」音楽だったらどうしよう、という不安。
「日和っちゃった」洞口依子なんて、私は知りたいだろうか。
知らないほうが幸せなことというのは、世の中いくらでもある。
それとまた裏腹に、それでもいい、今の彼女が出したい音なら、それを受け容れよう、という気持ちもあって。
まぁ、あらゆる点で私は浅はかですが、ここでも相当なものでしたね。

パイティティのCDを聴いたとき、私は彼女に対して、心の中でひたすらゴメンナサイを繰り返しました。
これか。これをやりたかったのか。こういうことだったのか。
なんとユニーク。
可愛くて、キャッチーで、その奥にヒネリやネジレが幾重にもしかけてあって、ひとすじ縄ではいかない。
なんだこれ、洞口依子みたいじゃないか。
しかも、不穏でも不安でもなく、こんなに楽しい表情なのに、洞口依子がこの音の中にいるじゃないか。
私はうれしくて、うれしくて、泣きました。
彼女は絶対に大丈夫だ、と確信したのです。
パイティティのこの音が、私がこのHPを立ち上げる後押しになりました。

そこから後というのが本当にすごい。私は幻惑されっぱなしです。
彼女は『子宮会議』という本を上梓します。これがまた「おもしろい」本です。
この内容を、ここまで「おもしろく」するために、どれだけ自分と格闘したのだろうと想像して、胸が熱くなりました。
と思ってると、今度はそれの朗読会を始めたりします。
そうなるというと、目で読むだけでは通り過ぎていた助詞やら句読点やらまでもが、彼女の分身であるかのように、
活き活きと動き出し、物語を演じだすのです。
それから、パイティティのライヴもあります。
CDを聴いてパイティティの音楽をロックだと直感した私ですが、ライヴでいっそうその思いを強めました。
なんといっても、ミュージシャンシップに溢れる達者な音楽家たちと、カリスマのあるフロント・ウーマンという組み合わせ。
そして手練の仲間によって彼女の華が際立ついっぽうで、彼女の華に手練の仲間が暴走するスリル。

それから、こんなふうに誰かと一緒になって、さらにはお客と一体になってまでして、ナマの姿で表現する洞口依子に対する驚き。
いままで、いつもひとりで誰とも交わらずに、自分だけの風景を見ているようだった彼女からは想像できないその姿。
あぁ、彼女は仲間を見つけたんだなぁ、という感慨にふけりました。

今でも彼女のブログを見てみると、決してすべり台が終わったわけではなさそうで、アップ&ダウンは終わってはいないようです。
でも、以前の彼女と大きくちがうことがあります。
今の彼女は、ちっとも「かわいそう」ではありません。

彼女が「かわいそう」に見えたころ、私はそのことがとても悔しかった。
だから、最近出演した『徹子の部屋』で、その頃の自分の姿をVTRで見て涙まじりに「かわいそうな子!」と笑っている彼女につられて、
私も笑うことができました。
実際の心のうちまではわかりません。でも、少なくとも、もう彼女は「かわいそうな子」ではない。
私は単純だから、つい自分の人生に起きたいろんな事柄を類推して思いをはせるのだけど、ぜんぜん及ばないくらいの長い道が、
そこにはあったのだと思います。

最近の彼女の写真で私が大好きなものは、ブログのこの日、8/21「
Gotta Have It 」と題された、ワンドレのギターがトップに来ている日のもの。
これ、抱えているのはウクレレなんですよね。嘘みたいだ。
私が知るかぎり、ウクレレをかかえてここまでロックなたたずまいを見せる人というのは、ほかにいない。

ギターのことを、英語でaxということがあります。axとは、斧のことです。
クラッシュというバンドの 『ロンドン・コーリング』というアルバムがあって、そのジャケットがまさにaxという感じなんだけど、 

ここでベース・ギターを叩き壊しているポール・シムノンだって、きっとウクレレを手にしたら、ウクレレのおじさんだと思います。
ポール・マッカートニーだって、ウクレレを持ってるときは、ウクレレのおじさんだもんな。

そう考えると、ウクレレをこんなにクールに抱えるというのは、才能だと思うんですよ。
あんまりこういうことを書くと、ご本人はまた照れてしまわれるでしょうが、それで疎まれても私はいい。
やはり、依子がROCK!なわけです。私はそう信じて疑いません。

表現をするということ、表現をする人間であるということは、幸福でもあり、不幸でもあるのでしょう。
私は、自分がこれまで見聞きしたり傾倒したりしてきた何人もの表現者の轍(わだち)を遠巻きに眺めただけでも、そう思います。
そのことの是非については、私は何も言葉を持っていません。
今は、その幸福も不幸も引き受けながら、洞口依子という女優(やはり、私にとっても、この人は女優だ)が、
決してほかの誰にもできない洞口依子の表現を続けていかれることを嬉しく思い、彼女にいちばんふさわしい風が吹くことを祈ります。
テープ・レコーダーが拳銃に変わったように、これからも、彼女の手に触れたものがすべて斧に変わりますように。
その斧が、一人でも多くの人の心に、魂に、深く打ち込まれますように。


これが問題のポスター。
この表情から受けたものをみんなにわかってほしい!
と思った果てに、いまこういうことをやっている20数年後のワタシ。
 


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