『digi+KISHIN 洞口依子』(2009年)

洞口依子さんが初めてメディアに登場した『週刊朝日』1980年11月7日号の表紙写真が、
奇しくも29年後の同じ日にスタートした『洞口依子映画祭』で、映画館のスクリーンに映し出される。
さらに80年代に『GORO』の「紀信激写」で彼女と篠山紀信氏が送り出した傑作グラビアの数々もデジタル化され、
2人が2009年にあらためて組んだ最新フォト/動画セッションを融合させた5分x3章で構成される、
という説明だけではまずこの作品のことは何も伝えられないでしょう。

この作品が『洞口依子映画祭』で上映プログラムに組まれると発表されたとき、
「激写」時代からのファンの男性より快哉のメールをいただきまして、私もそれに喜びで応えたものです。
ただ、その時に2人が盛り上がったのは、未発表テイクも含めて、阿蘇やタヒチでのグラビアが大画面で観れるという単純なもの。

阿蘇の「風いっぱい」でまくれあがったスカートをおさえて微笑んでいる彼女、
修学旅行生の一団を見てちょっとおどけている彼女、
ギンガムチェックのワンピース姿でロープウェイ乗り場に佇んでいる彼女は、
ほかのどの写真でも見たことがない「阿蘇の笑顔の洞口依子」で、
その目映いばかりの輝きは、鬱屈した青春を送っていた私には時にまぶしすぎることもありました。
いっぽうで、最初の最初、そこに彼女が微笑んで居たということは、
映画やテレビでの彼女の像が25年ぶん積み重なった現在からは異色にさえ思えることだけど、
18歳のその裸が、笑顔とともに、太陽と草原のにおいとともにあったということをヴィヴィッドに伝える阿蘇での写真は、
彼女のキャリアにいつでも風通しを感じさせてくれる存在でもありました。

「後ろ向きにはなりたくないですけどね」と、男2人、わざわざお互いに言い聞かせるようにして自分に釘をさしたり、
そうなるとよけいに「懐かしさ」というやつが気になってしまって、知らず過去の記憶をチラ見してたりするありさま。

そして始まったのは、天気雨。
傘を置き、濡れるがままに髪を振りほどき、顔いっぱいに受ける柔らかい雨に目を閉じながら、
笑顔へと解きほぐれてゆく表情。
この笑顔を見たときに、この作品に対する感動の半分以上が心に流れ込んできました。
洞口依子という女優の、こんな表情を見たことがない。

そんな彼女の笑顔は、そこにかつての彼女の裸身と笑顔がリミックスされて、阿蘇やタヒチといった原点とのあいだを何度も往復します。
南の島に漂着したまんま同化した少女のような、土地の人間でも異邦人でもどちらでもない雰囲気で微笑む顔。 
掌に乗せた貝殻に目を落としてうっすらと笑みを浮かべる顔。 とにかく、息を飲むほど可愛い。
2009年の彼女に、それらの笑顔や裸身と驚くほど変わらない部分を見つけるのは、難しいことではないです。 
でも、やっぱり違う。 懐かしさや変わらなさだけでは終わらないなにかがあって、それが強く心を動かしてくる。

笑顔が印象的だった第1章から、第2章では倦怠とエロスがより強く結びつき、第3章では死のイメージすら呼び起こします。
そこに感じるのは、女優としての25年の重さでもあるだろうし、88年のタヒチから20年のあいだに横たわっているものの重さかもしれません。
(あらためて思うことだけど、これって本当に15分間で起こっているんですよ!)
章が進むにつれて増してゆく、彼女の表情やからだ、その周囲の空気が帯びる凄み。
それは、過去の彼女が挿まれることでより際立ってゆくのですが、かつての彼女が当時全力で放っていただろう煌きと、
現在の彼女が見せる輝きの間には齟齬がなく、2つが合わせ鏡のように互いをどこまでも映し合っていくのを見ているみたい。

だから、どれだけ昔の写真が使われようと、ノスタルジックなものになりようがない。
29年ぶん、もちろん『子宮会議』の彼女もいるし『マクガフィン』の彼女もいる。
そしてなによりも、そうした時間の重みを受け止めながら、いまの洞口依子を表現している洞口依子。
それが笑顔の一つ一つにまで芯となって貫かれていて、それがシンプルで強く、なおかつ想像力を刺激してやまない面妖な翳がある。

彼女は間違いなく、いま、ここにいる。 
そう言える作品だと思います。
本当に、その言葉をここで書ける時を、ずっと待っていたんです。
それがどんなに嬉しいことであるか。 こんな気持ち、私一人のものじゃないと思う。
あえて言っちゃうけど、過去のことは過去で、それでいいんです。 いいものは、いいんだし。
でも、一番新しい洞口依子が素晴らしいということ、それは掛け替えのないこと。
信じていたけど、待ち遠しかった。 でもそのぶんだけとても嬉しい。

同時にそれは、きっとここからまた別の時間、別の場所にもう動き出しているであろう彼女を想像すると、悩ましいことでもありますね。



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