『CURE キュア』(1997年)

                      映画祭ブログ


この作品は『洞口依子映画祭』で上映されます!


香港版VCD(DVDにあらず)。
これ、間宮?おもわず「あんた、誰?」
左下でしゃがんでいるのが依子先生。
パッケージ裏の解説は、
「刑警高部断定有人利用催眠術行兇、
卒逮捕一潜蔵暴力傾向之精神病患者。」

画質はかなり悪かったです。


こちらはアメリカ版DVD。
ますます、「あんた、誰」?




BRUTUS誌は1989年5月15日号で、
「美しき隣人たち、ジャパニーズ・ビューティー。」と銘打って、
当時各界で注目を集めていた50人の女性を写真つきで特集しました。
全員が1ページ使ったポートレートを載せているその中で、
分割画面でいろんな表情を見せて写っている女性が2人だけいました。
洞口依子さんと中川安奈さん(『Aサインデイズ』公開直前だった) です。

2人とも、当時なにかとクセが強そうで、ありていに言うと生意気そうにも映って、
ひと筋縄ではいかない魅力に惹かれるファンがいました。
黒沢清監督の名を世界に知らしめた『CURE キュア』では、
この2人が登場し、不安感と恐怖をあおる役を担っているのが見どころでもあります。

一人の謎めいた青年によって暗示をかけられた人々が起こす殺人。
喉もとをX字に切り裂く凶行であるにもかかわらず、
なぜそんなことを犯したのか、彼らには説明がつかない。

この映画に登場する女性たちのうち、とりわけ強い印象を残すのが、
中川安奈さん演じる刑事(役所広司さん)の妻と、洞口依子さん演じる内科医です。

内科医の名は宮島明子。
記憶喪失患者として保護される間宮(萩原聖人さん)を診察する前に、若い男を診ています。
「インフルエンザかもしれませんね。
奥の診察台に横になってください。ズボンをおろして」
サスペンス・ドラマでもう何度も見慣れているはずの依子さんの白衣姿です。
首はタートル・ネックで隠れているし、脚もまったく露出していないのに、
ほかのどのドクター役のときよりも色っぽい。
患者の男も戸惑っている様子で、「大胆ですね」と半笑い。
明子先生は気にもとめずに男の内股に手を置いて、「リンパが少し腫れてますね。はい、いいですよ」

依子さんの所作が興味をひきます。
診察台に向かうときの歩幅は大きめだし、両の手は握って白衣の裾に隠れそうだし、
きわめて事務的で性を感じさせないようにも見える。

でも、その反面、若い男の軽口にピリピリしているようなところも覗える。
またそれを表に出さないようつとめているようにも見えて、
この先生が意識しまいとしているところが、ぜんぶ意識として透かせてしまう。
これが次の間宮の診察場面で利いてくるんですよね。

この診察室。
なんでこんなにガランと広いんだろうと気になります。
このシーンが来るたびに、地階にあるのかなと勘違いしてしまう。
窓の外からいっぱい光が差しこんでいるから、そんなことがあるはずはないのだけど、
先の若い男との場面ではデスクの向こうに見えていた窓が、間宮との場面ではいっさい出てこない。
そのかわり、間宮の向こうに光っているのは蛍光灯のゆるいあかり。

「昔のこと、どこまでおぼえてる?」と訊く明子に、
セーターの腕をダランと垂らした猫背気味の姿勢で、
「先生と話してるところまで」と答える間宮。
「不安は?けっこう落ち着いてるわね」そう言って部屋奥へ歩いていく明子。
ここまでは、医者として、経験と知識で、どこかこの男の病状を疑っているようにも見えます。

そんな彼女の背中に向かって間宮がひとこと、
「不安は、あんたのほうにある」
不意を衝かれたように「え?」ともらすも、やっぱり落ち着きを繕う明子。
ポーカーフェイスでデスクに戻り、彼に背を向けてカルテに筆を走らせるのだけど。

ややあって、
「私のほうにある不安って、なんのこと?」
彼の顔を振り向くことはしません。
自分が背負っているストレスを言い当てられた驚きと、それを悟られまいとするプライド。
その場の苛立ちをこの男の不遜さのせいとして処理し、自分に余裕があることを、
自分に言い聞かせようとしているかのようです。

「忘れた・・・」
間宮は、そんな観客にも肩透かしをくらわす言葉ではぐらかします。
明子はそれに見向きもせず、さも気にとめないような素振りでカルテに向かっています。
だけどもう、封を切って立ちのぼる彼女の動揺の色は隠せません。

「水・・・」と立ち上がって、片足を引きずりながら奥の流し台に歩く間宮。
コップに水が注がれる音に、用心するかのように肩越しに振り向く明子。
「先生、俺の話、聞いてくれる?」
ここでもう、観客は飛んでいって明子先生の耳に栓してあげたくなります。
その思いもむなしく、「いいわよ」と体ごと彼に向ける明子。

「前に俺の中にあったものが、ぜんぶ外にある。
だから、先生の中にあるものが、俺には見えるんだよね。
そのかわり、俺自身、空っぽになった・・・」
そういい終わるやいなや、コップを倒します。

床のタイルにこぼれて広がる水。
じっとそのゆくえを見つめる明子先生。
即物的かもしれないけれど・・・やはりひんやり冷たく官能的です。

水が、先生の座るほうへ、微々たる勢いながらも流れてゆく。
それがじらすような動きで溜りかけたところで、一瞬気がついて間宮に目をやる明子。

「見ないで」と、間宮。
完全に彼に制されたかたちの明子先生は、その命令に目を下にやります。
怒られたかのように、バツが悪そうに、うつむいた顔の睫毛が長く美しいです。

「今度は先生の話を聞かせてよ」
「私の?なにを?」
「どうして医者になったの?」
「どうして?」
「女のくせに、どうして医者になったの?」
「”女のくせに”??」

目をあげて彼のほうを見ると、間宮はいつのまにか目の前に立っていて、
彼女の頭を押さえつけて、うつむかせる。
この瞬間が作品中、いちばん好き。

そのまま彼女の頭をさらに深く押し下げながら、
「”女のくせに”・・・よくそう言われなかった?
言われたよね?
どう思った?
そう言われて・・・どう思った?」
彼女の虚勢の中に潜む不安や負の感情を少しずつ手繰り寄せながら、
そこから憎悪を導き出そうとする間宮。
それに翻弄されてゆく明子先生。
目を見開いて前を見据えたままの依子さんの表情の、微妙な綾。

「あんたは本当は外科医になりたかったんだ。
男を切り刻みたいと思ってたはずだ。
思い出せ。
思い出すんだ」
そこでコップの水を彼女の顔にぶちまける。
はっと目を覚ます仕種さえ見せず、なに思う間もなく、顔をぬらす水を拭う明子。

間宮のほかの犠牲者には、不満とストレスの対象となる個人がいて、
その理由はハッキリとは示されなくとも、人間関係が描かれていました。
小学校の先生とその妻も、警官とその同僚も、そして(解釈はさまざまだろうけれど)刑事とその妻も。
しかし明子先生のストレスはそこまで相手の顔の見えるものではなく、
このあと描かれる犯行も現場からみても、たぶんに行きずりのものだと思われます。

また、催眠暗示のほかの犠牲者たちとちがって、
彼女の場合は逮捕されて尋問される姿が出てきません。
先に間宮が彼女に仕掛ける場面が(初めて)具体的に描かれるからでもありますが、
その後が省略されているだけに、公衆トイレでのあの場面は強烈です。
おこなわれている事自体も相当にショッキングであるのは確かだけど、
洞口依子さんの、あのさして面白くもつまらなくもないことを淡々とこなしているような表情を、
あんな形で見せられるのがいちばんの恐怖であります。

だから、あそこは目をそらさずに見ておきたい。
洞口依子さんご本人が「やってる本人が、ひとりでも観られません」と語っているくらいですが、
それでも、やっぱり、彼女のもっとも素晴らしい表情の一つではないでしょうか。



日本のファンの感性は、やっぱりこういうセンスですよね。


加藤博之 製作 
黒沢清 監督 
黒沢清  脚本
喜久村徳章  撮影
ゲイリー芦屋  音楽

製作=大映 配給=松竹富士
1997年12月27日公開
111分 カラー ビスタサイズ



「この人を見よ!」へ戻る

←Home (「洞口日和」)