『チンチン電車』(1993年)

関西以外の地域のかたは、もしかして関西人というのは、
みんな『じゃりん子チエ』のような世界観の中で生きているのだ、
と思われるかもしれませんが、そういうものでもありません。
たしかにそういう人もいるけど、そればっかりではない。
あの、自らを「関西のダシで煮しめたような人間」と表現した中島らもさんでさえも、
自分は関西文化というものを「好きでも嫌いでもない」と言っています。
みうらじゅん氏にもそういうところが窺えますね。

ワタシもそういうとこ、あります。
そりゃあ、自分の来し方と結びついた土地や文化への愛着はあるけれど、関西が一番とか、思ったことがない。
よその土地で、その場のノリで、お調子者の関西人を演じることはあるけれど、
それは、そのほうが場がしのげるからです。それに、そのことも、さほど苦ではない。
むしろいま、絵に描いたような「負けたらアカンで東京に」の関西人は、
絶滅の危機に瀕しているのではないでしょうか。

というような理由で、このドラマ、始まってしばらくはワタシにはあまり居心地がよくありません。

大阪に慣れてないと「南海」と聞き間違うことがあるのですが、
「阪堺線」という路線があります。路面電車です。
このドラマの主人公であるお婆ちゃん(村瀬幸子さん)は、雨の日も風の日も、
天王寺発浜寺行きの先頭部に立って、一人暮らしのお年寄りに弁当を届けてまわるのが日課。
彼女の旦那(浜村純さん。淳じゃないよ)は通天閣のすぐそばで喫茶店を細々と切り盛りしていまして、
昼の日中っから、常連の松之助師匠に円広志氏らが将棋を打っているという、コッテコテな世界です。

弁当配達に精を出す村瀬さんですが、彼女自身、ぼけが進行しており、
そのボランティアも医者の勧めでおじいちゃんが始めさせたもの。
この老夫婦の娘、離婚秒読み段階の樹木希林さんが、一人娘の洞口依子さんとともに、
東京から両親を訪ねにやってきますが、おばあちゃんは孫の顔がわかりません。

物語は、この老夫婦の息子の一人、平田満さんが熊本で亡くなったことから舞台を移動します。
ここに家族が集まるわけですが、この通夜の席、酒をのみ交わし、積もる話を吐露しあう親兄弟の中、
依子さんはほとんど映るところがありません。
この座敷、(依子さんにとっての)お母さん、おじいちゃん、叔父さん夫婦らがテーブルを囲むのですが、
通常、こういうときって、母と娘は隣合わせに座るものではないでしょうか。
ところがここで、親子は向かい合わせに座ります。
だから母が親兄弟と会話をしているカットも、ほとんど、依子さんは背中です。
もしくは、フレームの外にいる。

彼女は彼女で、若い女性ならではの恋の悩み(相手は役所広司さん!)を抱えているのですが、
母や叔父たち、そしておじいちゃん夫婦のそれからは距離があります。
さらに言うと、亡くなった先妻のことを忘れられない彼氏の懊悩からも、離れています。
彼女はこのドラマの中で、唯一人、強く「どうして?ねぇどうしてなの?」と問いを発する人物です。

じつは、彼女のこのような全体からの違和感は、前半の大阪の場面ですでに喚起されています。
ものすごくシンプルに言って、依子さんの姿は、大阪の下町の情景から浮いているのです。
見知った者どうしが肩寄せあって、悪口を言い合いながらだらだら集まる空間に、
どうにもあんまりフィットしないものが、個性としてある。女優として、ですよ。
そんなふうに、全体の中で別の種類に映ってしまう人が、このドラマでの依子さんです。

このことが、ワタシのような、関西的なものに距離を置いてしまう関西人には、
とくに前半において、自分に近い存在があるなぁと安心感を得るのです。
そして、それはなにも関西文化だけに限ったことではなく、
たぶん、ワタシにとっての洞口依子という女優さんの魅力だったりします。
彼女が、あるいはワタシがどんな土地に身を置こうが。

(なお、村瀬幸子さんは、このドラマの2年前に『八月の狂詩曲』に出演され、
このドラマのオンエア1ヵ月後にお亡くなりになっています。これが彼女の長い俳優人生の遺作になりました。
普通はこういうことをちゃんと書いとくもんですね)



1993年9月15日NHKにて放送
NHK大阪 制作
永野昭 演出
黒土三男 脚本

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