『もう一度別れのブルースを・淡谷のり子物語』(1991)

オンエアが8月13日とのことなので、終戦記念日にからめての企画でもあったのでしょうか。
戦時中のエピソードを中心にした、淡谷のり子さんの伝記です。
淡谷さんを演じるのは秋吉久美子さん。
洞口依子さんは妹のとし子さん役で、二人のお母さんが市原悦子さん。

3人の住む家の場面が全編を通じて重要なモチーフとなっていて、
戦線への慰問や上海のクラブで歌う場面のあと、母と妹の待つ家にドラマごと帰ってきます。
そして、この3人がひとつ屋根の下に顔をそろえる空気がとっても濃厚です。
よく考えると、洞口依子さんも秋吉久美子さんも市原悦子さんも、お一人ずつは淡々としているというか、
アンニュイだったりフワフワしていたりつかみどころがなかったりで、生活感や日常性から離れた存在。
そんな3人が集まると、生活レベルとは違った虚構の意味合いだけど、いちばん地に足がついて見えるのが、
最年少の依子さんだったりします。
そこが面白く、洞口依子ファンとして楽しめるポイントです。

たとえば、放蕩三昧の父から逃れるように、青森から東京に出てきて暮らす母娘三人のもとに、
父の訃報が届きます。 久しぶりの故郷に向かうのは秋吉さんと依子さんの姉妹。
二人が喪服で歩くシーンがあるんですが、依子さんのほうが一瞬年上に見えたりするんですよ。
それは、奔放で浮世離れした姉としっかりものの妹という設定も影響してるんでしょうけど、
どちらも日本映画界に得難い個性である洞口依子さんと秋吉久美子さんの魅力って、
別のものなんだなぁと実感します。

ちょっと脱線しますね。
80年代の初めに、『ナポレオン』というサイレント映画が上映されたことがあるんです。
アベル・ガンスという、『鉄路の白薔薇』とか作った名匠の、1920年代の映画。
これをフランシス・コッポラがプロデュースして、父のカーマイン・コッポラ指揮のフルオケ付きで
上映したことがあるんです。1982年だったと思います。
その2000円くらいしたパンフレットに、秋吉さんが感想を寄せていたんですね。
それが、「ナポレオンがロッド・スチュワートみたい!でもいいんです、これは映画だから!」
っていう、もう顔の目鼻が溶けそうになるくらいステキな言葉で、
私なんか、『の・ようなもの』でポーッとなった中学生でしたから、それ読んで、この女優さん、好きだなぁって。

で、なにが言いたいのか本人が困ってるわけなんですが、それが秋吉さんの佳さなんですね、私にとっての。
洞口依子さんだったら、たぶん、もっとべつの表現で参らせてくれるのでしょう。
そしてそれはきっと、「でもいいんです!これは映画だから!」とはちがう魅力ですよね。

じつは私、このお2人が並んで歩いてるというだけで、本当は何も言いたくないんです。
雲を踏むような足取りで歩く秋吉さんと、姉妹が直面している現実を姉よりひしひしと感じている妹の依子さん。
この依子さんの表情が、びっくりするくらい、20年近くたった現在の依子さんを思わせるんです。
とくに割烹着姿で家事にいそしむ姿なんか、そのまま『山のあなた』のお凛とつなげても違和感なし。
DJがロック・クラシックと最新の曲をつなげるようにミックスしたら、フロア受けしそう(笑)。

国防婦人会の奥様方が、淡谷さんの華美な格好をいさめにやって来る場面でも、
秋吉さんの後ろで、その場をどう収めようかとハラハラしながら成り行きを見守っている姿がいいです。
奥様方が引きあげたあと、「ちょっと言いすぎなんじゃないの?」って諭すところも、
そう言いながらも、根本では姉と近しいところもある妹だなぁって、独特のニュアンスを感じます。

時局がらみで、歌いたい歌が歌えなくなって自暴自棄になる姉を叱咤するシーンも、
秋吉さんとの呼吸が、見ていて楽しいです。 
物語や人物の設定だけ見ると、向田邦子ドラマでの妹(的)な依子さんに近いかと思わせますが、
もっと前に出ているし、もっと重心を担っていますね。
秋吉さんのアンニュイとも市原さんの浮世離れとも違ったカラーを見せてくれます。
その色は、品のない言い方かもしれないけど、「負けてない」ですよね。 鮮やかです。

洞口依子さんのフィルモグラフィーになかなか載らない作品ですが、お薦めです。
こんな依子さんのことを書きとめて紹介できると、こういうサイトをやっていてよかったなぁと思います。

1991年8月13日(火) 21:00〜22:54
テレビ朝日系列にて放送

恩地日出夫 監督
内館牧子 脚本    

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