『あげまん』(1990)

(当サイトは洞口依子さんのファンサイトです。この記事も作品中の依子さんについて書いたもので、作品自体についてではありません)

このまえ東京に行ったとき、ぼくは渋谷の名曲喫茶「ライオン」を訪れまして、
なんとなれば、かのお店は、洞口依子さんの『戦慄の旋律』のロケが行われた場所なんですね。
お店自体がもちろんたいへん魅力的なところです 。
賭けてもいいですが、あのとき中にいた数十人のお客さんの中で、
「ここがあのドラマを撮ったところかぁ」と感慨にふけりながら「浄められた夜」を聴いていた人は他にいなかったと思います。

表参道なんて場違いなところを歩いていたときのこと、よもやそんな史跡にめぐりあえるとは思っていなかったら、
あったんですよ。あの店が。
どこかで見た赤いロゴだな?ん?Figaro?
なんやったかな、『青山ロブロイ』でもないし、『愛という名のもとに』でもないし、思い出せない。
でもたしかに「歴史が私を呼んでいる」状態。
まさかフレンチ・キュイジンのおしゃれなお店に、「ここ、むかし洞口依子さんがロケで使いませんでしたぁ?」
なんて顔だけのぞかせて尋ねるほど面の皮は厚くありません。
判明したのは後日です。「あ、『あげまん』だ!あの津川さんとのシーンだ。マフラーの!」

というような次第で、わりと最近、私にとって急速に身近なお店になったFigaroの内と外、
それからもう一個はホテルのシーンがこの作品での依子さんの出演場面です。

クライマックスの手前で、北村和夫さん演ずる鶴丸(次期)総理が演説をするところがあります。
「空前の金余り現象である!」「ジャパン・マネーが世界を動かしておる!」
1990年封切りの映画です。いやしかし、こういう言葉がこんなにも遠い響きになったとは。

1990年というと、ぼくは22歳でした。この作品は封切で観てますが、じつは、そのときの印象は「イマイチ」でした。
「あげまん」芸者にまつわるファンタジーを期待してたんですな。ピーター・セラーズの『チャンス』のようなものを。
後年、見直して、男の俳優さんたちの魅力にうなりました。
津川雅彦さんはもちろん、橋爪功さん、島田正吾さん、大滝秀治さん、加藤善博さん、上田耕一さん、北村和夫さん、宝田明さん、
みなさん見事にカッコいいです。島田さんと大滝さんのキャリアだけでも大変なものですけど、画面に圧迫感がなくて、
飄々として風通しがいいのが魅力。 
封切前月には、『笑っていいとも!』のテレフォン・ショッキングで、ワルぶりが颯爽としていた宝田明さんから始まり、
宮本信子さん、伊丹監督、そして洞口依子さんへとバトンが渡されたものでした。
(依子さんが紹介したのは? サザンの関口さんでした!)

依子さんの役は、津川さん演じる鈴木主水の恋人(のひとり)、純子です。
鈴木は未婚者なので「道ならぬ」恋ではないのですが、なにせ『風少女』直後でもありますし、
昼の日中っから、陽光差し込むカフェでの逢引きなのに、忍んで逢ってるような雰囲気が漂う。
依子さんは最初っから泣き顔です。
「鈴木さんにとって、わたしはなんなんですかぁ?」
「なにって・・・恋人に決まってるじゃないか!」
「じゃあ、どうしてほったらかしにしとくんですかぁ?」
「いや、きみねぇ・・・」こういうときの津川さんのリアクションはとにかく可笑しいです。

この作品での依子さんは、「タ」行の発音に特徴があって、母音が舌ったらずで消え入るようです。
「ほったらかし」がそこはかとなく「ほっつらかし」、「わたし」が「わつし」に近く響く。
このあと、ホテルのシーンで「太られました?」と訊くときも、「ふつられました?」。
こんなこと分析してどうするんだ。
でも、ほかの作品ではあまり気づかないことであります。

『あげまん』に登場する女性たちは、おおむね堂々と前を向いてキリッとした印象を与えます。
宮本信子さんの七四子、高瀬春奈さんの毛皮屋のオーナー、石井苗子さんの令嬢。
南麻衣子さんのウェイトレスは財力の面で彼女たちに劣るかもしれませんが、鈴木に対峙するときの印象は
大胆なふくみ笑いを持っています。
依子さんの純子という女の子だけが、終始うつむいた角度で彼に向き合ってますし、
キャメラも店の中二階から彼女を見下ろして撮ったりしてるので、よけいにそれが強調されています。

また、ほかの女性たちは鈴木とのけっこう濃厚な(下着の映りが『タンポポ』の黒田福美さんを引き継いでエロティック)
ベッドシーンがあったりするんですが、純子にはそれはありません。
ほかの女性はベッドその他に押し倒されて横になりますが、ホテルのシーンの純子だけは、
コトが終わってかなり間があったようで、ベッドの上をピョンピョンと軽く跳ね歩いて荷物を取りに行く。
そこでの純子も下着姿ですけど、依子さんのうつむき加減にどこか思いつめた感のある表情のほうが目立ちます。
あきらかにちがうタイプの女の子だし、鈴木もほかの恋人たちほどには純子に甘えてはいないようす。

店を出た2人、純子は鈴木に「じゃ・・・さようならぁ」と伏し目がちにつぶやきます。
「おいおい、そんな言い方したら心配するじゃないか」
純子は紙袋からマフラーを取り出して、「はい、これ」と鈴木の首にふんわり巻きつけます。
「これねぇ、(巻いたマフラーの空き目を探しながら)ここ、通るんですよ、ほら」
このとき、彼女の思いが、ちょうどマフラーのように彼の首にやわらかく巻きついて、
彼をぬくめながら自分もぬくまっていたいのだ、ということがわかります。
でも彼は、そんなふうに心地よい温度でもたれてくる女性を最優先できないんですね。
戸惑いながら彼女を見送ったあと、婚約者の令嬢がやってくる頃合いにあわてて、鈴木はそれを抜き取り、
後ろ手でゴミ箱に捨ててしまいます。
ところが、後日彼女とホテルにしけこんだとき、この子はまたマフラーを編んできて、鈴木をゲンナリさせる!

そんなふうに、与えることを喜びとしつつ、そのじつ自分都合で相手に甘えている女の子を、
サラリと演じているのが『あげまん』での洞口依子さんの魅力です。
『タンポポ』や『マルサの女2』に比べるとインパクトは薄いですけど、鈴木が女性に求めるものを反面でさりげなく示す役どころ。
そして、この「引いた立場の人間の勝手さ」という要素は、『愛という名のもとに』を筆頭に、その後いろんな作品で武器となります。


1990年6月2日公開
伊丹 十三 監督・脚本
山崎 善弘 撮影
本多 俊之 音楽

製作 ITAMI FILMS
配給 東宝

「この人を見よ!」へ


←Home (洞口日和)